「翼っ!!」
一台の車が止まると、焦った表情の徹ちゃんが駆け降りてくる。
徹ちゃんは私の腕を掴むと、心配そうに顔を覗き込んだ。
「昴から発作が起きたって……大丈夫なのか!?」
「もう大丈夫だよ、ゴメンね心配かけちゃって……」
「ああ……よかった……」
掴んでいた腕を離すと……徹ちゃんは優しく私を抱きしめた。
「よかった、無事で……」
「徹ちゃん……」
「頼むから――」
消えるように囁いた徹ちゃんの言葉は、私の耳には届かない。けれど――私を大事に、大切に思ってくれていることだけは分かる。
「ごめんなさい……」
「兄ちゃん、翼が困ってる」
「あ……悪い、翼」
「ううん……」
昴の声に、慌てて徹ちゃんは身体を離す。大丈夫、もういつもの徹ちゃんだ――。
「でも、本当に病院に行かなくていいのか? もう一度見てもらった方が……」
「ううん、大丈夫。それに、もう苦しくないよ」
嘘じゃない。
あの人が――片岡さんの手が私に触れた瞬間から、何故か苦しさが消えた。
「でも――」
けれど、目の前の徹ちゃんは心配そうな表情を崩さない。それもそうだ。あの日から――心臓手術を受けたあの時から1度も起きてなかった発作がこの前と今日の二度も起きた――心配して当然だと思う。
けど……。
「本当に大丈夫。ありがとう」
「そう言うなら……。でも、少しでも変だと思ったら……!」
「分かってるよ。その時はちゃんと病院で見てもらうから」
納得しかねる、そんな表情を浮かべながらも徹ちゃんはしぶしぶ頷いてくれる。
「あ、そうだ」
そんな私たちを見ながら、昴が思い出したかのように徹ちゃんに告げる。
「あの人の名前分かったよ」
「あの人?」
「この前、翼が倒れた時に救急車を呼んでくれた人」
「ああ。……そういえばその人は? お礼を言いたいから待っててもらうように言っただろ?」
徹ちゃんは私たちの他には誰の姿もない河川敷を見渡しながら、咎めるように昴に言う。
「や、だって……頑なに礼なんていらないって言って帰っちゃったから……なあ?」
助けを求めるかのように、昴は私の方を向く。私も慌てて頷いたけれど、徹ちゃんは困ったように首を振る。
「こういうことはきちんとしておかなきゃいけないだろ? で、名前は?」
「片岡さんだって。片岡潤さん」
「片岡さんか――。どこに住んでるって? 年は?」
「や、そこまでは……」
「――それじゃあお礼も出来ないだろ」
小さくため息をつく徹ちゃんに、昴と二人でごめんなさい……と言うとしょうがないな、と苦笑した。
「もし次見かけたら、せめて連絡先ぐらい聞いといてくれよ? 2度もここで会うってことは、この辺の人の可能性が高いしね」
「分かった!」
「はーい」
私たちの返事に満足そうな顔をして、徹ちゃんは車のドアを開けた。
「それじゃ帰るから二人とも車に乗って」
「いいの? お仕事は?」
「終わらせたし、今日はもう帰るって言ってきたから大丈夫」
「ごめんね、私のせいで――」
「そう思うなら……あまり心配をかけないでくれよな」
優しく私の髪を撫でる徹ちゃん。片岡さんの手とは違う意味で安心する――。
「ふふ」
「何?」
「徹ちゃんって、本当のお兄ちゃんみたいだね」
「っ……」
「徹ちゃん?」
私の言葉に、何か言いたげに口を開いた後――徹ちゃんは寂しそうに笑った。
そんな徹ちゃんを昴は、何故かとても冷たい目で見つめる。そして、チッと舌を鳴らすと昴はそれっきり黙り込んでしまった。
誰も話さない、沈黙の車内。エンジンの音だけが低く響いている。
そんな車内を沈み始めた夕日が、赤く照らしていた。