翌日、早速、女子免疫力向上計画、始動。
毎週末には、父はたいてい夕方から郊外のゴルフ練習場へ打ちっぱなしに出かける。その父を尾行して、途中で父の体に飛ぶつもりだった。
父はゴルフバッグを積んだタクシーで出発した。腕の振りすぎで帰りの運転に支障が出るからだと言っていたが、この不況のご時世に、うちにはそんなにお金があったのか。自転車で後を追うのはかなりの疲労を覚悟していたが、ゴルフ場へ行く手間が省けた。
「あれっ!?」
父の乗ったタクシーは家を出ると、ゴルフ場とは逆の方向に走っていった。それは市の中心部、煌々としたネオンの並ぶ繁華街だった。
もともと父に飛んでから行こうと思っていた場所へ、なんと、ゴルフ場へ行くなどと偽って父自ら来ていた。
ええっ! マジかよ……。
父にかぎってそんな人ではないと思っていた。たまに酔って帰ることはあっても、それはただ、飲み屋に寄ってきただけじゃなかったの……。うわあ、めちゃめちゃショック。父、あなたは一体なんなんだ。
繁華街にあるビルの一角のドアに、父は吸い込まれるように入っていた。動揺をなんとか抑え、僕はビルの非常階段の奥のゴミ置き場の裏に身を屈める。そこで父に意識を集中した。
「あーん、うれしい。また来てくれたのね。今日もたくさん飲みましょ!」
次の瞬間、天井からシャンデリアが垂れ下がった薄暗闇の中にいた。ソファに腰掛け、丸テーブルの上には高級そうなワインが何本も並んでいた。僕(体は父)の両側には髪の毛が異常なまでに盛られた、きらびやかなお姉さんたちが体を密着させていた。胸元がぱっくりあいたドレスのため、目のやり場に困る。
お酒を飲んだことがないためどうしようか心配していたが、それも杞憂に終わった。僕が頼んでもないのに、どんどんとお酒が運ばれ、それをすごいまつ毛のお姉さんたちがどんどんと飲み干していった。極度の緊張のせいで初めはなにがなんだかわからなかったが、これは修行だと自分に言い聞かせ、とにかくたくさんのお姉さんたちと話をした。
自分の体に戻ったり父に飛び直したりを繰り返し(僕がコントロールしていない最中は父もけっこう飲んだようだ)て、結局この日は三軒の店をハシゴして修行に励んだ。父は途中の意識が飛んでいるのもあってか、ひどく泥酔し、帰った後はこっぴどく母に叱られた。このご時世に父のお金の使い方は被扶養者として心配になる。うちはそんなに裕福ではないはずだし、これでよかったんだ。
かくして、修行を経験し、僕はおとといまでの僕とは少しは変わったはずだ。香水の匂いがきつい夜の蝶たちとたくさん会話し、ちょっとは度胸がついただろう。今度こそ、なにがあってもおどおどせず、かすみちゃんを守る。
「かすみちゃんを守ろう」計画、再始動。
月曜の放課後、僕は再び沙希の体に飛んだ。
自分の体はいつもの倉庫に隠してきた。今は沙希の体で、教室にいる。沙希たちと同じグループにいたショートカットの女子は、昨日いきなり隣のクラスのイケメンに告白されたとかで、今日二人で帰ることになったらしく、はりきって校門へ走っていった。
斜め前の席ではかすみちゃんが帰り支度をしていた。かすみちゃんと沙希は帰る方向が違う。いつもなら校門を出て別々の方向に分かれるところだが、今日は沙希の体に入っている僕から、かすみちゃんといっしょに帰りたいと申し出るつもりだった。昼休みだとどうしても他の女子がいるため、一度じっくりと二人で話をしてみたかったのだ。
かすみ、と明るい雰囲気でかすみちゃんに声を掛けようとした時、急にかすみちゃんが振り返った。
「沙希、今日ちょっと話し聞いてもらってもいい?」
なんと彼女のほうからお願いしてきたではないか。しかも、ただならぬ表情で。
一旦僕らは中庭に出て、並んでベンチに腰掛けた。
だいぶ日が傾き、そろそろ地平線に消えていく頃だった。
「ごめんね、いきなり」
かすみちゃんは小さな体をいつも以上に縮こまらせて、ひざの上でハンドタオルをぎゅっと握っていた。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ」
僕はそんな彼女をいとおしく思い、いつもの沙希の雰囲気を出して優しく声をかけた。
「沙希は体、もう大丈夫?」
「うん、心配掛けちゃってごめんね」
「早退した日、汗びっしょりで気を失ったから、ほんとに心配したよ」かすみちゃんは、そのときのことを思い出したのか、わずかに声を震わせた。
ごめんね、と僕はもう一度謝った。
「ただのストレスだと思う。柄にもなく受験勉強とか始めちゃってさ。慣れないこと、するもんじゃないよね」沙希が勉強に力を入れているのは事実だ。学校帰りに参考書や問題集を買っているところを見たことがあった。
「あんまり無理しないでね」
「ありがと」
親友のことを心から心配するかすみちゃんを見て、いたたまれなくなった。
ん、心配?
そういえば占いで、さそり座の運勢はなんて言ってたっけ? たしか、『心配事が悪いほうに転ぶ恐れあり。影から支えてくれるひとのサポートで乗り切れるかも』だった。もしかして、僕が沙希に飛んでるせいで、かすみちゃんの心配事を深めている? 僕の行為が彼女を不安にさせている? いや、でも、先日の昼休み、すでにかすみちゃんの様子はどこか変だった。あれはどのタイミングだっけ?
そうだ、たしか、星座占いを聞いた時だ。不吉のことを言われたから、表情が曇ったのかと思ったけど、そうじゃなくて、別の心配事があるのか。
「かすみ、何かで困ってる?」
かすみちゃんから話があると声をかけてきた以上、やはりその内容は言いにくいことなのだろう。
実際のところかすみちゃんは、少し躊躇してから、こくりと頷いた。
「なんでも話して」僕は君を守るためにこうしてここにいるんだから。
「わたしの思い過ごしかもしれないけど……」かすみちゃんが言いにくそうに言葉を切った。「じつは最近、ちょっと気になることがあって」俯いたまま、両手の指を絡めている。
「かすみの悩みは私の悩み」
沙希だったらきっとそう言う。
「ありがと、沙希」
かすみちゃんは、胸の中で言葉を整理するように一息ついてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんかね、ここのところ、誰かから見られてる気がするの。自意識過剰とかじゃなくて、カメラのレンズで覗かれてるような、変な視線ていうのかな。帰り道もね、なんとなく後をつけられてる気がして。後ろを振り返るのも怖いから、なるべく人通りの多そうな道を通って帰るようにしてるの」
いつもの緊張とは違う種類の汗が出てきた。
そんな……、まさか、かすみちゃんがそんな不安を抱いていたなんて。僕は彼女を守ると誓っておきながら、すでに後手を踏んでいたのか。
「他にもね、話すのも怖いんだけど、郵便物がなくなってたり、ゴミがあさられてたりとか」
「それって、完全に悪質ストーカーじゃ」僕は息を飲んだ。
「警察にもお父さんが相談してくれたんだけどね、夜間はうちの周りを巡回してくれるっていうだけで、それ以上はまだ難しいって言われちゃった」
かすみちゃんは恐怖を隠すように笑おうとしたが、それがあまりにぎこちなくて、逆に不憫に思った。
「先日も、窓辺に立ったら外の電柱の影から誰かが私の部屋を覗いてて。もう怖くて怖くて、顔も確認しないままカーテンを閉めちゃった」
電柱……カーテン……、それは、それだけは僕かもしれない……。
「だれか、そういうことしそうな人、心当たりは?」
僕は急いで質問をかぶせた。
「ひょっとしたら、だけど、ピザ屋の宅配の人かなって」
「ピザ屋?」
「去年のクリスマス、ピザを注文したときにね、ちょうど届いたピザを私が受け取りに出たの」
「それがきっかけでその人はかすみのストーカーに?」
「ほんとにそうかはわからないけど、何回か駅やお店なんかで会ったの。挨拶するわけじゃないし目も合わないんだけど、なんか偶然じゃない気がして」
せっかくかすみちゃんと話せたのに、まさかストーカー相談に発展するとは。溜まった不安をすべて吐き出そうとするかのような彼女の饒舌に、胸を鷲掴みにされる思いだった。これ以上かすみちゃんを苦しませるわけにはいかない。
そんなこと、断じていけない!
「いまから、そのピザ屋に行こう」
僕は思い切って提案してみた。
「でも、本当にその人かどうか」
かすみちゃんは戸惑いの色を見せた。
「その人がストーカーかどうかはわからないけどさ、私も顔を見ときたいんだ。直接話すのは危険だから、ちょっと離れたところから見てみよう」
「でも、沙希に余計な迷惑をかけることになっちゃう」
「かすみ一人ほっとけないよ。かすみの悩みは私の悩みだってば」
毎週末には、父はたいてい夕方から郊外のゴルフ練習場へ打ちっぱなしに出かける。その父を尾行して、途中で父の体に飛ぶつもりだった。
父はゴルフバッグを積んだタクシーで出発した。腕の振りすぎで帰りの運転に支障が出るからだと言っていたが、この不況のご時世に、うちにはそんなにお金があったのか。自転車で後を追うのはかなりの疲労を覚悟していたが、ゴルフ場へ行く手間が省けた。
「あれっ!?」
父の乗ったタクシーは家を出ると、ゴルフ場とは逆の方向に走っていった。それは市の中心部、煌々としたネオンの並ぶ繁華街だった。
もともと父に飛んでから行こうと思っていた場所へ、なんと、ゴルフ場へ行くなどと偽って父自ら来ていた。
ええっ! マジかよ……。
父にかぎってそんな人ではないと思っていた。たまに酔って帰ることはあっても、それはただ、飲み屋に寄ってきただけじゃなかったの……。うわあ、めちゃめちゃショック。父、あなたは一体なんなんだ。
繁華街にあるビルの一角のドアに、父は吸い込まれるように入っていた。動揺をなんとか抑え、僕はビルの非常階段の奥のゴミ置き場の裏に身を屈める。そこで父に意識を集中した。
「あーん、うれしい。また来てくれたのね。今日もたくさん飲みましょ!」
次の瞬間、天井からシャンデリアが垂れ下がった薄暗闇の中にいた。ソファに腰掛け、丸テーブルの上には高級そうなワインが何本も並んでいた。僕(体は父)の両側には髪の毛が異常なまでに盛られた、きらびやかなお姉さんたちが体を密着させていた。胸元がぱっくりあいたドレスのため、目のやり場に困る。
お酒を飲んだことがないためどうしようか心配していたが、それも杞憂に終わった。僕が頼んでもないのに、どんどんとお酒が運ばれ、それをすごいまつ毛のお姉さんたちがどんどんと飲み干していった。極度の緊張のせいで初めはなにがなんだかわからなかったが、これは修行だと自分に言い聞かせ、とにかくたくさんのお姉さんたちと話をした。
自分の体に戻ったり父に飛び直したりを繰り返し(僕がコントロールしていない最中は父もけっこう飲んだようだ)て、結局この日は三軒の店をハシゴして修行に励んだ。父は途中の意識が飛んでいるのもあってか、ひどく泥酔し、帰った後はこっぴどく母に叱られた。このご時世に父のお金の使い方は被扶養者として心配になる。うちはそんなに裕福ではないはずだし、これでよかったんだ。
かくして、修行を経験し、僕はおとといまでの僕とは少しは変わったはずだ。香水の匂いがきつい夜の蝶たちとたくさん会話し、ちょっとは度胸がついただろう。今度こそ、なにがあってもおどおどせず、かすみちゃんを守る。
「かすみちゃんを守ろう」計画、再始動。
月曜の放課後、僕は再び沙希の体に飛んだ。
自分の体はいつもの倉庫に隠してきた。今は沙希の体で、教室にいる。沙希たちと同じグループにいたショートカットの女子は、昨日いきなり隣のクラスのイケメンに告白されたとかで、今日二人で帰ることになったらしく、はりきって校門へ走っていった。
斜め前の席ではかすみちゃんが帰り支度をしていた。かすみちゃんと沙希は帰る方向が違う。いつもなら校門を出て別々の方向に分かれるところだが、今日は沙希の体に入っている僕から、かすみちゃんといっしょに帰りたいと申し出るつもりだった。昼休みだとどうしても他の女子がいるため、一度じっくりと二人で話をしてみたかったのだ。
かすみ、と明るい雰囲気でかすみちゃんに声を掛けようとした時、急にかすみちゃんが振り返った。
「沙希、今日ちょっと話し聞いてもらってもいい?」
なんと彼女のほうからお願いしてきたではないか。しかも、ただならぬ表情で。
一旦僕らは中庭に出て、並んでベンチに腰掛けた。
だいぶ日が傾き、そろそろ地平線に消えていく頃だった。
「ごめんね、いきなり」
かすみちゃんは小さな体をいつも以上に縮こまらせて、ひざの上でハンドタオルをぎゅっと握っていた。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ」
僕はそんな彼女をいとおしく思い、いつもの沙希の雰囲気を出して優しく声をかけた。
「沙希は体、もう大丈夫?」
「うん、心配掛けちゃってごめんね」
「早退した日、汗びっしょりで気を失ったから、ほんとに心配したよ」かすみちゃんは、そのときのことを思い出したのか、わずかに声を震わせた。
ごめんね、と僕はもう一度謝った。
「ただのストレスだと思う。柄にもなく受験勉強とか始めちゃってさ。慣れないこと、するもんじゃないよね」沙希が勉強に力を入れているのは事実だ。学校帰りに参考書や問題集を買っているところを見たことがあった。
「あんまり無理しないでね」
「ありがと」
親友のことを心から心配するかすみちゃんを見て、いたたまれなくなった。
ん、心配?
そういえば占いで、さそり座の運勢はなんて言ってたっけ? たしか、『心配事が悪いほうに転ぶ恐れあり。影から支えてくれるひとのサポートで乗り切れるかも』だった。もしかして、僕が沙希に飛んでるせいで、かすみちゃんの心配事を深めている? 僕の行為が彼女を不安にさせている? いや、でも、先日の昼休み、すでにかすみちゃんの様子はどこか変だった。あれはどのタイミングだっけ?
そうだ、たしか、星座占いを聞いた時だ。不吉のことを言われたから、表情が曇ったのかと思ったけど、そうじゃなくて、別の心配事があるのか。
「かすみ、何かで困ってる?」
かすみちゃんから話があると声をかけてきた以上、やはりその内容は言いにくいことなのだろう。
実際のところかすみちゃんは、少し躊躇してから、こくりと頷いた。
「なんでも話して」僕は君を守るためにこうしてここにいるんだから。
「わたしの思い過ごしかもしれないけど……」かすみちゃんが言いにくそうに言葉を切った。「じつは最近、ちょっと気になることがあって」俯いたまま、両手の指を絡めている。
「かすみの悩みは私の悩み」
沙希だったらきっとそう言う。
「ありがと、沙希」
かすみちゃんは、胸の中で言葉を整理するように一息ついてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんかね、ここのところ、誰かから見られてる気がするの。自意識過剰とかじゃなくて、カメラのレンズで覗かれてるような、変な視線ていうのかな。帰り道もね、なんとなく後をつけられてる気がして。後ろを振り返るのも怖いから、なるべく人通りの多そうな道を通って帰るようにしてるの」
いつもの緊張とは違う種類の汗が出てきた。
そんな……、まさか、かすみちゃんがそんな不安を抱いていたなんて。僕は彼女を守ると誓っておきながら、すでに後手を踏んでいたのか。
「他にもね、話すのも怖いんだけど、郵便物がなくなってたり、ゴミがあさられてたりとか」
「それって、完全に悪質ストーカーじゃ」僕は息を飲んだ。
「警察にもお父さんが相談してくれたんだけどね、夜間はうちの周りを巡回してくれるっていうだけで、それ以上はまだ難しいって言われちゃった」
かすみちゃんは恐怖を隠すように笑おうとしたが、それがあまりにぎこちなくて、逆に不憫に思った。
「先日も、窓辺に立ったら外の電柱の影から誰かが私の部屋を覗いてて。もう怖くて怖くて、顔も確認しないままカーテンを閉めちゃった」
電柱……カーテン……、それは、それだけは僕かもしれない……。
「だれか、そういうことしそうな人、心当たりは?」
僕は急いで質問をかぶせた。
「ひょっとしたら、だけど、ピザ屋の宅配の人かなって」
「ピザ屋?」
「去年のクリスマス、ピザを注文したときにね、ちょうど届いたピザを私が受け取りに出たの」
「それがきっかけでその人はかすみのストーカーに?」
「ほんとにそうかはわからないけど、何回か駅やお店なんかで会ったの。挨拶するわけじゃないし目も合わないんだけど、なんか偶然じゃない気がして」
せっかくかすみちゃんと話せたのに、まさかストーカー相談に発展するとは。溜まった不安をすべて吐き出そうとするかのような彼女の饒舌に、胸を鷲掴みにされる思いだった。これ以上かすみちゃんを苦しませるわけにはいかない。
そんなこと、断じていけない!
「いまから、そのピザ屋に行こう」
僕は思い切って提案してみた。
「でも、本当にその人かどうか」
かすみちゃんは戸惑いの色を見せた。
「その人がストーカーかどうかはわからないけどさ、私も顔を見ときたいんだ。直接話すのは危険だから、ちょっと離れたところから見てみよう」
「でも、沙希に余計な迷惑をかけることになっちゃう」
「かすみ一人ほっとけないよ。かすみの悩みは私の悩みだってば」