***
数日後、私は凛々子に呼び出されて、近所の喫茶店に来ていた。
「鈴葉さん、こっち」
「おばさん! お久しぶりです!」
先に店に着いていた彼女に手招きされて、私は向かい側の席に腰を下ろした。
「どうしたんですか? 突然。こっちに用事でも?」
「……いいえ。これから警察に行こうと思って」
「えっ? 何でですか!」
私の疑問に答えるように、彼女はトートバッグから見覚えのある冊子を取り出した。
「それ……中学の卒業アルバム?」
「ええ。刑事さんに見せる前にあなたに見てほしくて」
何故、これを私に――――。
「アルバムがどうかしたんですか?」
「それ、中身がほとんど切り取られていて、ノートが一冊隠されていたの」
「なっ」
「……それを見て思ったの。あの子は『自殺』なのかもしれない」
彼女は何を言っているのだろうか。
自殺なわけがない。あの傷は自分でつけられるようなものではなかった。
「何を言ってるんですか……」
「一時間後にまたここで。暫く席を外すわ」
「ま、待って下さい! おばさん!」
彼女は私の分の飲み物を注文して、代金を支払うと、本当に店を出て行ってしまった。私は一人取り残されて、呆然とテーブルの上に置いてある卒業アルバムを見つめる。そして、凛々子に言われた通り、それを手に取ってみた。
「ほ、本当に違う……アルバムじゃない」
正確には、これはアルバム『だった』ものだ。
カバーを外して、私はアルバムを開いた。そこには凛々子の言う通り、一冊のノートが隠されていた。
「穂波本人がこんなことを……?」
私は疑いつつも、ノートの頁を開く。そこには、私には理解し難いことが記されていた。
ノートの左側には、穂波が考案したであろう『自殺の方法』が記されていて、右側の頁には必ず、『おじさんの見解』という欄が用意されている。ノートをびっしりと埋める歪んだ言葉の羅列を見て、私は吐き気を催した。
「何よ、これ……穂波がこんなことするわけない」
だが、その文章は、紛れもなく穂波の筆跡で記されていた。私は吐き気を堪えて、頁を捲り続ける。
やがて、ノートの内容は、自殺の研究から彼女の日記に変わっていた。度々登場する『おじさん』について読み進めてみたが、名前も年齢も、特徴となるものは一切記されていない。
「おじさんって、誰……?」
穂波は初めの頃、このおじさんを慕っているようだったが、段々と彼への印象が変化していく。
『おじさんは私を助ける気なんてなかったんだ』
『おじさんに断ってこよう。私はこれから私の人生を歩む。鈴葉と一緒に』
『あの子との約束が待ち遠しい』
『それを阻むなら、私があの人を殺す』
それが、ノートに記された最後の文章だった。
私は初めて出て来た自分の名前に驚愕し、震えた。そして、凛々子が刑事に見せる前に私に見せようとした理由を知る。
穂波は、あの日、人を殺そうとしていたのだ。恐らく、この『おじさん』を。
「……あの子は一体、誰と会っていたの? もしかして、このおじさんって……犯人のこと?」
私はアルバムを閉じた。カバーをつけ直し、テーブルの上に置く。
穂波が茜の父親と知り合いで、自殺について語り合うような異常な関係だったとして、どうして穂波は殺されたのだ。
「殺そうとしたから……? それで返り討ちにあって……?」
いずれにせよ、これは殺人だ、自殺ではない。以前がどうであったにしろ、彼女は最後、私と共に生きていくことを選んだのだから。
「穂波……どうして、こんな」
書き記されていた幾つもの自殺の方法を思い出し、私は唇を噛み締めた。
私は、本当の彼女を何も知らなかったのかもしれない。
***
凛々子にアルバムを返してから、何となく家に帰る気になれず、私は町を歩き回っていた。
――――穂波が自殺しようとしていたなんて信じられない。あんな残酷な方法を意気揚々と紙に記し、あろうことか殺人犯に助言をもらっていたなんて。一体何が彼女をそこまでさせたのだろうか。
考え事をして歩いていた私にふと影がかかる。勢いよく顔を上げた時には、もう遅かった。
ドンッ!
「うっ」
人とぶつかって、私は顔を押さえると固まった。
――――かなり痛い。
涙目でぶつかった相手を見上げると、そこにいたのは、ジャージ姿の細身の男だった。学校の体育教師のような印象を受けて、思わず身を引く。
学生が学校に通っている時間に一人でふらふら町を歩いていたら、補導対象になってもおかしくはないのかも。学校は休学中だが。
「すみませんッ」
私がそう言うと、男は不思議そうに首を傾げた。
「何が?」
「え……いや、今ぶつかったじゃないですか?」
「あー……でも、俺痛くないし」
男はにこっと笑う。私は訝し気に彼を見上げた。
「そ、そうですか。なら、よかったです。では……」
「あ、待って待って」
「えッ」
引き止められてしまった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
出来れば補導だけは避けたい。
「はい……何ですか」
「『須崎つぎと』と言う少年を知らないか? 息子なんだけど、見つからなくて」
「えっと……迷子の子ですか?」
「そんな感じだ」
初めて聞く名前だ。力になれず申し訳ない。
「すみません。わからないです」
「ふーん、それならしょうがないか。ありがとな」
男は、私の答えを聞くとあっさりと私の横を通り過ぎて行った。
「軽いな……何だったの、今の……」
私は特に気にすることもなく歩き出した。
数日後、私は凛々子に呼び出されて、近所の喫茶店に来ていた。
「鈴葉さん、こっち」
「おばさん! お久しぶりです!」
先に店に着いていた彼女に手招きされて、私は向かい側の席に腰を下ろした。
「どうしたんですか? 突然。こっちに用事でも?」
「……いいえ。これから警察に行こうと思って」
「えっ? 何でですか!」
私の疑問に答えるように、彼女はトートバッグから見覚えのある冊子を取り出した。
「それ……中学の卒業アルバム?」
「ええ。刑事さんに見せる前にあなたに見てほしくて」
何故、これを私に――――。
「アルバムがどうかしたんですか?」
「それ、中身がほとんど切り取られていて、ノートが一冊隠されていたの」
「なっ」
「……それを見て思ったの。あの子は『自殺』なのかもしれない」
彼女は何を言っているのだろうか。
自殺なわけがない。あの傷は自分でつけられるようなものではなかった。
「何を言ってるんですか……」
「一時間後にまたここで。暫く席を外すわ」
「ま、待って下さい! おばさん!」
彼女は私の分の飲み物を注文して、代金を支払うと、本当に店を出て行ってしまった。私は一人取り残されて、呆然とテーブルの上に置いてある卒業アルバムを見つめる。そして、凛々子に言われた通り、それを手に取ってみた。
「ほ、本当に違う……アルバムじゃない」
正確には、これはアルバム『だった』ものだ。
カバーを外して、私はアルバムを開いた。そこには凛々子の言う通り、一冊のノートが隠されていた。
「穂波本人がこんなことを……?」
私は疑いつつも、ノートの頁を開く。そこには、私には理解し難いことが記されていた。
ノートの左側には、穂波が考案したであろう『自殺の方法』が記されていて、右側の頁には必ず、『おじさんの見解』という欄が用意されている。ノートをびっしりと埋める歪んだ言葉の羅列を見て、私は吐き気を催した。
「何よ、これ……穂波がこんなことするわけない」
だが、その文章は、紛れもなく穂波の筆跡で記されていた。私は吐き気を堪えて、頁を捲り続ける。
やがて、ノートの内容は、自殺の研究から彼女の日記に変わっていた。度々登場する『おじさん』について読み進めてみたが、名前も年齢も、特徴となるものは一切記されていない。
「おじさんって、誰……?」
穂波は初めの頃、このおじさんを慕っているようだったが、段々と彼への印象が変化していく。
『おじさんは私を助ける気なんてなかったんだ』
『おじさんに断ってこよう。私はこれから私の人生を歩む。鈴葉と一緒に』
『あの子との約束が待ち遠しい』
『それを阻むなら、私があの人を殺す』
それが、ノートに記された最後の文章だった。
私は初めて出て来た自分の名前に驚愕し、震えた。そして、凛々子が刑事に見せる前に私に見せようとした理由を知る。
穂波は、あの日、人を殺そうとしていたのだ。恐らく、この『おじさん』を。
「……あの子は一体、誰と会っていたの? もしかして、このおじさんって……犯人のこと?」
私はアルバムを閉じた。カバーをつけ直し、テーブルの上に置く。
穂波が茜の父親と知り合いで、自殺について語り合うような異常な関係だったとして、どうして穂波は殺されたのだ。
「殺そうとしたから……? それで返り討ちにあって……?」
いずれにせよ、これは殺人だ、自殺ではない。以前がどうであったにしろ、彼女は最後、私と共に生きていくことを選んだのだから。
「穂波……どうして、こんな」
書き記されていた幾つもの自殺の方法を思い出し、私は唇を噛み締めた。
私は、本当の彼女を何も知らなかったのかもしれない。
***
凛々子にアルバムを返してから、何となく家に帰る気になれず、私は町を歩き回っていた。
――――穂波が自殺しようとしていたなんて信じられない。あんな残酷な方法を意気揚々と紙に記し、あろうことか殺人犯に助言をもらっていたなんて。一体何が彼女をそこまでさせたのだろうか。
考え事をして歩いていた私にふと影がかかる。勢いよく顔を上げた時には、もう遅かった。
ドンッ!
「うっ」
人とぶつかって、私は顔を押さえると固まった。
――――かなり痛い。
涙目でぶつかった相手を見上げると、そこにいたのは、ジャージ姿の細身の男だった。学校の体育教師のような印象を受けて、思わず身を引く。
学生が学校に通っている時間に一人でふらふら町を歩いていたら、補導対象になってもおかしくはないのかも。学校は休学中だが。
「すみませんッ」
私がそう言うと、男は不思議そうに首を傾げた。
「何が?」
「え……いや、今ぶつかったじゃないですか?」
「あー……でも、俺痛くないし」
男はにこっと笑う。私は訝し気に彼を見上げた。
「そ、そうですか。なら、よかったです。では……」
「あ、待って待って」
「えッ」
引き止められてしまった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
出来れば補導だけは避けたい。
「はい……何ですか」
「『須崎つぎと』と言う少年を知らないか? 息子なんだけど、見つからなくて」
「えっと……迷子の子ですか?」
「そんな感じだ」
初めて聞く名前だ。力になれず申し訳ない。
「すみません。わからないです」
「ふーん、それならしょうがないか。ありがとな」
男は、私の答えを聞くとあっさりと私の横を通り過ぎて行った。
「軽いな……何だったの、今の……」
私は特に気にすることもなく歩き出した。