幼い頃、長期に渡って病院にかかっていたことがある。
私は物心ついた時から夜驚症を患っていて、初めは夢遊病みたいな寝惚けながらベッドから転げ落ちるだとか、トイレに起きてそのまま戻らず廊下で寝ているだとかその程度だったけれど、年齢を重ねるにつれその程度は次第に悪化し、夜中の2時ごろに起きて大声で泣き叫んだり、暴れたりすることがあって、それは小学生の高学年に上がる頃になるまで続いた。
小児病棟に入った時は正直不安だった。でも子どもながらに女手一つで私を育ててくれた母に迷惑をかけたくない一心で、もうお母さんを苦しませなくて済むと思うとほっとした。
あの頃、無性に夜が怖かった。
きっかけやトラウマは全くない。でも昼間に光をもたらしてくれる太陽をどこかに攫って、一面を黒で覆いつくしてしまう夜に怯えてずっと一人で泣いていた。
“わすれられないおくりもの”は、そんな私に母が読み聞かせをしてくれた初めての絵本だった。母がいない病院での夜も、あの本を抱いて眠れば誰かが寄り添ってくれる気がしたからだ。
うっすらと、絵本には母の香りが宿っていた気がしていた。入院生活が長期に渡り、その香りが薄れるにつれて、不安は太陽を攫い、夜は胸をせしめる。
泣いて、泣いて泣いて泣いて、声も喉も枯れてしまったどうしても眠れない夜、その男の子と出逢った。正しくは、彼が私を見つけた。泣き腫らして病院の休憩所のソファで月明かりを見ていると、隣に影が伸びていた。
おばけかと思って、過剰に飛び退いた記憶がある。
『うわビビった。おばけかと思った』
いやそれこっちの台詞だ、と顎を引いて彼を見る。
それは同い年くらいで、背丈は私と同じくらい。夜は彼の色を映さず、代わりにギブスを付けた左足だけが見えた。
『何やってんの、お前』
『…星、観てる』
『星出てねぇじゃん。満月だろ今日』
『知らないの? 月明かりで見えにくいだけで、満月の夜に星が見えないってのは迷信だよ。目を懲らせばあの夜に星はたくさんあるんだから』
ふーん、と大して興味もなさそうに相槌を打って彼は隣に座った。握った水のペットボトルをぐびぐびと飲んで、ある程度したらぷは、と呼吸する音が聞こえてくる。
『お前、夜が怖いの?』
『…どうして?』
『昼間に看護師が愚痴ってんの聞いたから』
ちく、と胸に痛みが走る。この世代の男の子にはまだオブラートって概念が無くて、でもだからこそ普段平然と無条件で与えられる大人からの笑顔の裏側や社会の秩序みたいなものを、極自然に割り当てられたと思う。私は。
どうせ行きずりだ。名前も素性も知らない。本音を曝け出してしまったとて、この子はこの先私を忘れていなくなる。