夜は、信号も眠ってしまうらしい。それを知ってなんだか得意げになる。赤が点滅したままの信号を振り返りながら、私たちは無人の道路を歩いてどんどん夏草の森に近づいた。
 それまでに一沙はいろんな話をしていた。普段はここまでおしゃべりじゃないのに。彼もまた夜の世界に高揚しているみたいだ。

「光ってさ、見ていると近寄りたくならない?」
「やだ、虫みたい、それ」
「でも生き物は大体そうだよ。光に集まるものなんだ」
「私はこの夜の暗さにちょっとワクワクしちゃうけど。なんか、ほら、いけないことをしてる感じで」

 いけないこと、というか。なんだか大人になった気分。後でバレたら叱られるって分かっていても、今この瞬間は「自由」だ。
 私の言葉をどれほど汲み取ったのかは分からないけれど、一沙は面白そうに笑った。

「そうだね。後でバレたら怖いのに、どうしてだろう。なんかおかしくって笑えちゃう」

 普段はあまり感情を出さない一沙が、こうも楽しげでいるのは見ていて新鮮だ。

「だからさ、深夜に花火が上がったらそりゃあもう近づきたくなるわけで、どこで打ち上がってるんだろう? って好奇心が湧くよね」
「ふうん? それで誘ったんだ」
「うん」

 それにしても、どうして花火が上がることを知っているんだろう。訊こうと口を開きかけると、それを遮るように一沙が先に言った。

「僕はね、蓮。最近ちょっとだけ寂しいんだ」
「え?」

 歩調が少し鈍る。それまで逸るようだったのに、急にずしっと重くなる。

「寂しい、の?」

 お母さんが家にいないから? でも、それは前からだった。一沙の両親はいつも忙しくて、私の家に泊まることもあったけれど小学校高学年になればそれもなくなった。ただ、放課後は欠かさず私の家に来ているけれど。
 すると、彼の背中が小さくゆっくりと言った。

「寂しいんだ。なんか、無性に。変な気分」
「それがよく分かんないんだけど、私は」
「分かってよ」

 足が止まる。そして、一沙は振り返る。その顔は険しい。段々と口角を締めていき、泣くのをこらえるような表情へ変えた。
 でも、私にはやっぱり分からない。分かってあげたい気持ちはあるけれど、口は全然素直じゃないし頭も悪いんだろう。一沙の考えていることや感情が分からなくて黙り込んでしまう。

「……人ってさ、死んだらどこに行っちゃうんだろうって考えることがあるんだよ」

 また歩き始めた彼は、ポツリとそんな悲しいことを言い出した。

「なに、それ」
「うーん……なんか、さ。一人で本を読んでいると考えるんだよ。僕がもし、明日死んでしまったらこの僕の思いや感情は、一体どこにいっちゃうんだろうって」
「………」
「なんて言うんだろう。アニメや漫画で死んだ魂がどうとか、輪廻転生とか、幽霊とか、あるだろ? それに泣ける映画で、死んじゃった人の思いは生きている、残された人たちの心に生き続ける、みたいな。あるだろ?」
「ある、ね……何? そういうの観て感化されちゃったの?」
「僕は影響を受けやすいんだよ」

 その言葉は少しだけ、ふざけた調子を含んでいた。一方で、私はなんだか胸の奥が痛い。キリキリと痛む。締め付けられるような痛みは鈍くも、確実に私を苦しめていく。こんな夜中に「死んだあと」の話なんかするから怖いのかもしれない。
 一沙は段々とまた口調も滑らかに調子を取り戻して言った。

「でもね、影響を受けたけれど、僕の答えはそれとは違う。生まれ変わるとか、生きてる人の中で生き続けるとか。違うかなぁって。ただ、自信はないんだけれど」
「答えって?」

 ドキドキと、全速力で走った後のように心臓が忙しなく体の中で脈打つ。そんな私に構うことなく彼は静かに鋭く言った。

「何も残らない」

 その言葉に、息を飲んだ。
 どうしてか私はそれを聞きたくなかった。怖いのかもしれない。分からないけれど確かに恐怖を感じていた。目の前で私の手を引いていく一沙が、どこか見知らぬ場所へ行っていなくなってしまうみたいな、そんな焦燥が背中を走ってぞくりとする。
 耐えられず、彼の手のひらを掴んだ。そして指先を這わせてまた強く握る。一沙はチラリと私を振り返った。

「怖かった?」
「なんか、そんなこと言うから」
「ごめん」
「ううん……」

 なんとなく、空気が冷えた。風が少し冷たかっただけかもしれない。ノースリーブから飛び出す私の腕は少しだけ鳥肌が立っている。本当ならうだるくらいの蒸し暑さなのに。

「別に怯えさせたかったわけじゃないんだ。ごめんね、蓮」
「もういいってば」

 手を離したい衝動に駆られた。でも、彼もまた私の指を握り返して離さないからそのままで。一沙の手のひらは熱い。私の手も熱い。だから、この温度差が気持ちの悪いものに思える。

「……あ、見えてきた」

 夏草の森の、外側をしばらく道なりに歩けば、茂みの中にぽっかりと小さな穴がある。子どもたちがよく出入りするヒミツの通路のようなもので、私も一沙も幼い頃はここから入って湖の方へよく行ったものだ。

「ここ、まだ入れるかな」

 一沙が笑いながら言う。私も少し口元を緩ませる。空気が徐々に元の温度に戻っていく。

「無理に決まってんじゃん。一沙の肩幅じゃもう入れないし」
「蓮もちょっと太ったしね。やっぱり無理かぁ」

 私は間髪を入れずに一沙の背中を殴った。

「太ってない!」
「そう?」

 殴られても彼は痛みに顔を歪めることなく、涼しげにチラリと私の胸元を見る。そして、軽薄に笑った。

「さいってー!」

 非難を浴びせれば驚くだろう。けれど、一沙はどこ吹く風で私の手を引き、別の入り口を探す。

「何も僕だって興味ないわけじゃないんだよ。疎いってだけで」
「ほんと最低」
「しょうがないだろ。つい見てしまうんだよ」
「もういいから! 言うな! 何も言うな!」
「はいはい」

 あしらわれている気がする。でも、手を振り払うことはなく私は一沙に連れられるまま湖のある茂みの奥へと足を踏み入れた。深まっていく濃い黒の葉っぱや茂みをかき分けて、どんどん前を進んでいく。