先日、精子について新説を知った。卵子にたどり着いて子供として生まれる精子と一緒に伴走する生まれることのできない精子は伴走のために生まれてくると聞いた。伴奏もまたその精子の役割という訳だ。妙に芸人の話と精子のことがリンクした。咲も主役ではなく”その他大勢”に属している。そこにその役割と言う意味を見いだせることは救いになる。「自分なんて生まれる意味がない」と嘆く必要がなくなる。
咲はこの社会の中で、”その他大勢”役を演じているが、家族や友人にとっては、主要登場人物になっている。飼っている愛犬にとっては、メインキャストとも言える。「リッキー、お前は私の最重要登場人物だよ」咲は飼い犬の頭を撫でて、こう言う。飼い犬のリッキーは退屈そうにあくびをするが、幸せそうでもある。咲は55歳で未だに道に迷いあがいている。子供の頃には、夢があった。自信も今以上にあったのではないだろうか?
ネットでニュースを見ていて、シンガーソングライターのスガシカオのインタビューも読んだ。どうやら咲は苦悶するアーティストの姿を見て自分も同じだと思いたいらしい。
「売れっ子で才能に溢れていてもストレスやスランプで苦しむのなら、咲がもやもやするくらいは大したことはない」そう思いたいのだ。
”その他大勢”役の咲がなぜ小説を書こうとしているのか?それには、少し説明が必要だ。ある時、先の妹美里が言った。
「ロベルトがお姉ちゃんは本を書くと良いって言っていたよ」なぜかそれがインプットされてしまったらしい。
「そうだ、私は文学部だから、きっと本が書けるに違いない」無意識化でそう思い込んでしまった。
ロベルトは美里の夫でメキシコ人だ。大雑把でどことなくドン・キホーテのようなコミカルな人物だが、妙に説得力がある。そして、なぜかロベルトの父カルロスは咲を絶賛するのだった。多分それは咲が読書家だと思われているからだった。
「自発的ではないが、これが小説家を目指すきっかけであれば、それで結構」と本人も納得している。
そして、もう一つ、現在咲は1年間休業中で傷病手当金で生活していて時間がある。これが第二の理由だ。1日中犬と遊んでいることもできないし、それならと書き出した。芸人作家が言った言葉が残っている。
お笑い芸人の作家も言っていた。
「大切なのは、走り続けるではなく、走り出し続けること」らしい。
犬が応援するかのように咲の鼻の頭を舐めてきた。本当はお腹がすいてご飯くれという意味だが、咲は自分を励ます意味と取る。
この世界の片隅で小説を書いている自分は取るに足りない小さな存在だ。書く作業は楽しい。自分の中から”思い”が出てくる。馬鹿にされても、笑われても良い。意地悪な人は言うだろう。
「それで、何か文学賞取ったの?」と。
学生時代に読んだパスカルのパンセは彼が神様に向けた手紙に過ぎなかった。
それを何世紀も後の私たちが読むことにパスカル自身驚いてはいないだろうか?
純粋になれば良い。迷ったら、その迷いを、苦しんだら、その苦しみを、そのまま表現する、それで良いんじゃないか?
自分は書きたいのだから。
咲は走り出すことを続けて行く。”その他大勢”という名の仲間とともに。咲の書いた小説が生まれてくる名作達の伴走を続けられるように。”
大阪の講演会、京都のリトリート、神戸の瞑想クラス、そして、戻ってきた咲は文章を書き出す。
何も起こらなかったのも事実、咲が文章を綴り出したのも事実、咲に重要なのは、自分が何をしたいかで、結果は後から付いてくる。
自分は役立たずだと思って生きるのも良い、そして、誰かが読んでくれると信じ続けるのもきっと良いはずだ。
「そうか、私には目が治る奇跡ではない。私はきっとクリエイティビティの扉を開かれたんだ」
リッキーは咲の手を取り、かじると
「どっちでも良いじゃん。好きなようにすれば」と咲に言った。【完】
あらすじ:
50歳を過ぎて、キャリアにも花が咲かない悶々とした日々を送っていた。
ストレスが原因で会社を休業する咲に、愛犬を失うという不幸が襲った。
悲しみを抑えて、新しく犬を飼うことにした咲は、お陰か立ち直った。
悶々とした日々のある日、大阪での精神世界の講演会に出かけてみた。
京都で関連のリトリートがあり、参加すると、参加者に神戸の呼吸法クラスで奇跡が起こった話を聞いた。
神戸でのクラスに参加してみるが、どうやら彼女に起こった奇跡は咲には起こらなかった。教師はがんの治った人もいると言っていたのに。
ホテル、新幹線、クラスの代金まで払って何も起こらなかったと、がっかりして名古屋に戻った咲は、次の日から文章を書き始めた、まるで、今まで喋れなかった人が突然喋りだすかのように、次々と物語を書き続けた。書く作業を通して、咲は自分の中に物語がたまっていたことに気づいた。咲に奇跡は起こるのか?
咲はこの社会の中で、”その他大勢”役を演じているが、家族や友人にとっては、主要登場人物になっている。飼っている愛犬にとっては、メインキャストとも言える。「リッキー、お前は私の最重要登場人物だよ」咲は飼い犬の頭を撫でて、こう言う。飼い犬のリッキーは退屈そうにあくびをするが、幸せそうでもある。咲は55歳で未だに道に迷いあがいている。子供の頃には、夢があった。自信も今以上にあったのではないだろうか?
ネットでニュースを見ていて、シンガーソングライターのスガシカオのインタビューも読んだ。どうやら咲は苦悶するアーティストの姿を見て自分も同じだと思いたいらしい。
「売れっ子で才能に溢れていてもストレスやスランプで苦しむのなら、咲がもやもやするくらいは大したことはない」そう思いたいのだ。
”その他大勢”役の咲がなぜ小説を書こうとしているのか?それには、少し説明が必要だ。ある時、先の妹美里が言った。
「ロベルトがお姉ちゃんは本を書くと良いって言っていたよ」なぜかそれがインプットされてしまったらしい。
「そうだ、私は文学部だから、きっと本が書けるに違いない」無意識化でそう思い込んでしまった。
ロベルトは美里の夫でメキシコ人だ。大雑把でどことなくドン・キホーテのようなコミカルな人物だが、妙に説得力がある。そして、なぜかロベルトの父カルロスは咲を絶賛するのだった。多分それは咲が読書家だと思われているからだった。
「自発的ではないが、これが小説家を目指すきっかけであれば、それで結構」と本人も納得している。
そして、もう一つ、現在咲は1年間休業中で傷病手当金で生活していて時間がある。これが第二の理由だ。1日中犬と遊んでいることもできないし、それならと書き出した。芸人作家が言った言葉が残っている。
お笑い芸人の作家も言っていた。
「大切なのは、走り続けるではなく、走り出し続けること」らしい。
犬が応援するかのように咲の鼻の頭を舐めてきた。本当はお腹がすいてご飯くれという意味だが、咲は自分を励ます意味と取る。
この世界の片隅で小説を書いている自分は取るに足りない小さな存在だ。書く作業は楽しい。自分の中から”思い”が出てくる。馬鹿にされても、笑われても良い。意地悪な人は言うだろう。
「それで、何か文学賞取ったの?」と。
学生時代に読んだパスカルのパンセは彼が神様に向けた手紙に過ぎなかった。
それを何世紀も後の私たちが読むことにパスカル自身驚いてはいないだろうか?
純粋になれば良い。迷ったら、その迷いを、苦しんだら、その苦しみを、そのまま表現する、それで良いんじゃないか?
自分は書きたいのだから。
咲は走り出すことを続けて行く。”その他大勢”という名の仲間とともに。咲の書いた小説が生まれてくる名作達の伴走を続けられるように。”
大阪の講演会、京都のリトリート、神戸の瞑想クラス、そして、戻ってきた咲は文章を書き出す。
何も起こらなかったのも事実、咲が文章を綴り出したのも事実、咲に重要なのは、自分が何をしたいかで、結果は後から付いてくる。
自分は役立たずだと思って生きるのも良い、そして、誰かが読んでくれると信じ続けるのもきっと良いはずだ。
「そうか、私には目が治る奇跡ではない。私はきっとクリエイティビティの扉を開かれたんだ」
リッキーは咲の手を取り、かじると
「どっちでも良いじゃん。好きなようにすれば」と咲に言った。【完】
あらすじ:
50歳を過ぎて、キャリアにも花が咲かない悶々とした日々を送っていた。
ストレスが原因で会社を休業する咲に、愛犬を失うという不幸が襲った。
悲しみを抑えて、新しく犬を飼うことにした咲は、お陰か立ち直った。
悶々とした日々のある日、大阪での精神世界の講演会に出かけてみた。
京都で関連のリトリートがあり、参加すると、参加者に神戸の呼吸法クラスで奇跡が起こった話を聞いた。
神戸でのクラスに参加してみるが、どうやら彼女に起こった奇跡は咲には起こらなかった。教師はがんの治った人もいると言っていたのに。
ホテル、新幹線、クラスの代金まで払って何も起こらなかったと、がっかりして名古屋に戻った咲は、次の日から文章を書き始めた、まるで、今まで喋れなかった人が突然喋りだすかのように、次々と物語を書き続けた。書く作業を通して、咲は自分の中に物語がたまっていたことに気づいた。咲に奇跡は起こるのか?