凍結の矢を放った事により、私の魔力はほとんど残っていなかった。これ以上魔法を使い続けたら雫が壊れてしまう。
でもここでサルワを倒さないと逃げることも叶わない。
「さあ一緒に来てもらおう」
「嫌よ……」
重い体を支えつつ、私は必死に思考を巡らせた。
どうやったらこの場から逃げることが出来るのか、どうすればサルワを倒すことが出来るのか、いくつもの案が私の頭の中を駆け巡っていく。
しかしその作戦はどれも魔法が使えないことには成功しない。魔法なしで逃げるのは不可能に近かった。
「……はあ」
溜め息を溢したサルワは私に手をかざす。
「黒影の鎖」
黒い鎖が再び伸びてくる。
「ま、また!」
私の体は再び鎖によって拘束されてしまった。
私は出来る限り体を動かして鎖の締め付ける強さを緩めようとした。しかしいくら体を動かしても、鎖の締め付ける強さは弱まらない。
それどころか体を動かす度に鎖の締め付ける力がどんどん強くなっていく。
「まったく諦めの悪いお姫様だ」
サルワが軽く指を曲げると鎖の締め付ける力が更に強くなった。
「あああっ!」
体に激痛が走り一瞬意識を手放しかけた。
「諦めたらどうかな? もう君の負けだ」
サルワは私に近づくと黒い手袋をを付けた左手を不気味な色に輝かせる。
「君の雫を見させてもらおう!」
そう言い放ったサルワは魔力のこもった左手を、私の体の中へと勢い良く打ち込んだ。
「っ!」
体の中へと入ってきたサルワの左手が中を探るように動かされる。
「ほお……これが君の雫か」
私の雫を見つけたのかサルワが手を伸ばす。
もうだめだ……。
自分自身を探られている気分になりながらそう思った。
雫が抜かれてしまえば私は二度と魔法を使うことが出来ない。アレスの力になってあげることが出来なくなってしまう。
「ソフィア! しっかりしなさい!」
意識が遠のいていく中でテトの声が耳に届く。
「あなたは何のために強くなったのよ! こんなところで負けるほどあなたは弱くないでしょ!」
「テト……」
……テトの言うとおりだ。
こんなところで、こんな奴に負けるわけには行かない! アレスのためにも自分のためにも、雫を抜かれるわけには行かないんだ!!
「私の……体から……離れろ……」
私は雫に手を伸ばしているサルワの左手首を掴んだ。
「っ?! なんだ……中になにか?」
そのとき私の意識は何かよにって飲まれていった。
「汚い手でこの私に触れるな!」
何かを感じとったのかサルワは左手を引っ込めると私から距離を取った。
そして今そこに居たはずの私の存在がないことに気がつき目を丸くする。
「ど、どこに?!」
辺りを警戒しながらサルワは辺りを見渡した。
「どこを見ているの?」
「っ!」
後ろを振り返ろうとするサルワの背中を私は思いっきり蹴り飛ばす。
「ぐぅっ!」
勢い良く壁まで飛ばされたサルワは、口の端から流れる血を拭いながら立ち上がる。そんなサルワに私は構える。
「その構え……まさか!」
「共振せよ、我が魂、共振せよ、我が肉体――」
真っ赤に染まった瞳でサルワの姿を捉える。
「共振(レゾナンス)、発動」
そう呟いたときサルワの方だが光に包み込まれた。
★ ★ ★
西棟近くまで来た時、寮のある付近で強い魔力の波動を感じた。
「っ……!」
今まで感じたことのない魔力だった。闇魔法とは違い禍々しい魔力というわけではない。禍々しいと言うより憎悪といった性質に近かった。
誰かを深く憎んでいる、そういった感情が伝わってくる魔力だった。
俺は覚悟を決めて魔力を感じた場所へと走った。
「こ、これは……」
そこには、激しく戦った後の痕跡が深く刻まれていた。寮や剣術場、体育館からは煙が上がっているが、さっきまで学校の頭上を飛んでいたはずの、小竜やワイバーンの姿は見当たらない。
「いったい何が?」
辺りを見渡した時、煙の中に人影があるのが見えた。強い魔力を感じたのはそこからだった。
「誰だ?」
一人の影が俺の存在に気がつくと、こちらに体を向けて歩いて来る。煙が晴れ月の光がその人物を照らしたとき俺は目を見開いた。
「ソ、フィア……?」
月の光に照らされキラキラ輝く白銀の髪の下からは、血色の染まった真っ赤な瞳が向けられた。
真っ直ぐ向けられるその瞳を見て胸の辺りがざわつくのを感じたと同時に、ソフィアのその姿を心から美しいと俺はそう思ったんだ。
真っ赤な瞳を俺に向けるソフィアは、サルワの首を掴んでいた手を放すと俺に向かって歩いてい来る。その行動を見た俺はとっさに構えた。
「……」
ソフィアは何も言わず俺の目の前で足を止めた。
「……お前は誰だ?」
そうソフィアに問いかける。しかしソフィアは俺の質問に対して優しく微笑んだだけだった。
ソフィアはそのまま目を閉じると、俺に向かって倒れ込んできた。
「おっと!」
倒れ込んできたソフィアの体を支えながら、白銀の髪が翡翠色の髪へ戻ることに気がつく。
「なんだ? 今のは……」
さっきの姿は本当にソフィアだったのか? あの髪色といい瞳の色といいまるで別人に見えた。
ソフィアは腕の中で寝息を立てながら眠っている。魔力を使いすぎたせいで、疲れて眠ってしまったのだろう。
「その子を今直ぐ私に渡すんだ!」
「っ!」
サルワは掴まれていた首を指先でさすりながら立ち上がった。
「サルワ……やっぱりお前が雫を抜いて回っていたんだな!」
俺の言葉に表情を歪めたサルワは目を細めてじっと見る。そして思い出したように軽く息を吐くと言う。
「……よく見たらアレスじゃないですか」
そういうサルワは俺たちに手をかざす。
「その子の雫は、私がずっと探し続けていた物なんですよ」
サルワに警戒しながら話に耳を傾ける。
「あの一族の雫……それがあれば……ヴェルト・マギーアが完成る」
「あの一族? ヴェルト・マギーア?」
その言葉に首を傾げた時、サルワは俺たちに魔法を放つ。
「闇の波動」
それを見た俺は目の前に手をかざす。
「光の精霊よ、汝の力を持って我らを守りたまえ、光の盾(ミルアディルア)!」
光の護りが俺たちの体を包み込み闇の波動を弾き飛ばした。
「くっ!!」
今直ぐにでもソフィアの雫が欲しいのか、サルワは更に魔法を放とうと俺たちに手をかざす。
そんなサルワの背後に数人のフードを被った人たちが姿を現す。
「サルワ様、ここは一旦……」
「……っ」
悔しそうに唇を噛んだサルワの背後に扉が一つ現れる。一人が扉を開けると、フードを被った人たちが順場に扉の中へと入って行く。
「待て、サルワ!」
扉の中に消えて行くサルワの背中に俺は問いかける。
「あの一族って何だ!? ヴェルト・マギーアって何だ!」
扉が閉まる直前こちらを振り返ったサルワが言う。
「人間族に滅ぼされた一族さ」
「なっ!」
その言葉を最後に扉は閉まるとその場から消え去った。
「……」
サルワの言葉には心当たりがあった。人間族に滅ぼされた一族――そんなのたった一つしか浮かばない。
「魔人族……」
俺は寝息を立てながら眠っているソフィアを見下ろした。
♢ ♢ ♢
教団が学校を襲ったことにより、数十人もの生徒たちから雫が奪われてしまった。それは主に紫雫や藍雫のクラスに所属している先輩たちばかりで、赤雫や白雫のクラスに所属している生徒たちの中で雫を抜かれた者は一人もいなかった。
雫を抜かれた先輩たちは直ぐに病院へと運ばれた。もちろんソフィアも。
今回の事件を全て警察に報告し終えた俺は、警察と一緒に話を聞ける者から事情聴取に乗り出した。しかしどの先輩たちから話を聞いても、返ってくる言葉はみんな同じだった。
“フードを被った人たちに襲われた”
“霧が立ち込めてきた”
少し違うところがあるとしたら“学校が爆破され起きたら空に小竜やワイバーンが飛んでいた”くらいだろう。
「はあ……」
いくらか事情聴取を終え警察署に戻った俺は、報告書をまとめながら深く溜め息を吐いていた。
目の前には机いっぱいに置かれた報告書の山が積み上がっている。今からこれ全部に目を通さないといけないから今夜は徹夜だな。
「夜遅くにご苦労様だな」
そっと横から缶コーヒーを差し出され、それを受け取った俺は後ろを振り返る。そこには見知った顔の男が立っていた。
「カイトさんこそお疲れ様です」
「あんがとさん。それにしてもこの量は徹夜じゃすまないレベルだな」
凄く嫌そうな顔を浮かべながら、カイトさんは積み上がった報告書を見下ろした。
カイトさんは俺とよく一緒に行動をしている警察官で色々とお世話になっている人だ。
しかも警察官の中でも優れた能力を持った人しか選ばれない“魔道捜査一課”の人だ。その証拠にカイトさんのネクタイにはそれを現すバッチが付けられている。
どうやら昨日も徹夜だったようで目の下には隈が出来ている。
「このくらい平気ですよ。一日あれば直ぐ終わります」
「若いって良いね〜。俺も二十代の頃はアレスみたく頑張ったものだ」
「今だって現役じゃないですか」
俺の言葉に頭を振ったカイトさんが苦笑しながら言う。
「“現役”って言葉を三十前半の男に言うのかね?」
三十前半でも充分現役だと思うけどそれは言わないでおこう。
「話は変わるがアレス、今回は事件現場に居たそうだな」
真剣な顔つきへと変わったカイトさんを見て俺は胸ポケットから手帳を取り出す。
「最初からってわけではないです。しかし今回の黒幕はサルワ率いる、黒の魔法教団で間違いないかと思います」
「やっぱりあいつらだったか……」
教団の名前を聞いたカイトさんは考えるように目を細めた。
「事件の内容はさっき報告を終えた。奴らの狙いはヴェルト・マギーアと言っていたんだろ?」
「はい」
ヴェルト・マギ―ア――
その言葉が何を指しているのかはまだ分かっていない。しかし今回の事件で捜査は大幅に進めることが出来た。
あいつらの目的はヴェルト・マギーアを完成させることだ。雫を集めて回っているのは、きっと魔法か魔法に関係する何かなのだろう。
雫を使ってヴェルト・マギーアを完成させようとしているんだろうが、人間一人が持つ雫に魔力を収められるのには限界値がある。
ヴェルト・マギーアが超上級魔法よりも遥か上を行く魔法だとしたら、一つの雫でその魔力を補うのは無理がある。集めた雫を使ってヴェルト・マギーアを使うとしたら……。
「奴らの狙いも分かって来たことですし、そろそろ事件の詳細を新聞に載せるべきだと思います」
その言葉にカイトさんは頭を左右に振った。
「まだだ」
「何故ですか? 奴らの事を新聞に載せることで、対策だって練ることが出来るんですよ!」
カイトさんは近くにあった椅子に座ると俺を見て言う。
「新聞に大きく記事を掲載したとしたら、奴らの警戒心を強く高めてしまうことになる。なんせ奴らは闇魔法を使う連中だ。奴らの名前を語った偽物も出て来るかもしれないんだぞ?」
「それは……」
確かに奴らの警戒心を高めてしまったら逮捕するのに時間が掛かる。偽物なんて出てきたら何が偽物で何が正しいのかで、更に時間をかけて捜査することになってしまう。
「またそんな凶悪な連中を捕まえることが出来ない、警察への評判が下がるだけだ」
「上の人たちからしたら、それが一番嫌ですもんね」
俺の言葉にカイトさんは軽く頷く。
上の人たちからしたら事件解決なんて後回しだ。事件より警察の評判を下げないように、あの人たちは常に考えている。街の人たちがどうなろうと知ったことではないんだ。
「ま、そういうことだ。堂々と新聞に載る時はあいつらを逮捕した時だろうな」
「そうですか……」
こればっかりはカイトさんでも何も出来そうにないか。
「その前にお前は、山積みになった報告をとっとと片付けるんだな」
「そうします。カイトさんはこれから帰るんですか?」
「いや、今夜も泊まって行くつもりだ」
そう言ったカイトさんは大きく欠伸をした。
「時間になったら起こしましょうか?」
「そうしてくれると助かる」
カイトさんは椅子から立ち上がると、重い瞼をこすりながら奥の部屋へと消えて行った。
そんなカイトさんの後ろ姿を見届けた俺は、山積みになっている報告書に向き直った。
★ ★ ★
体が熱くてだるい。そのせいなのか喉が酷く乾く。こんな感覚、今まで感じたことがない。私の体はどうなってしまったのだろう?
「……っ」
目を開くと視界がはっきりとしてきた。最初に目に飛び込んで来たのは真っ白な天井だった。
「……ここは?」
私は見覚えのない部屋のベッドで寝ていた。ベッドの周りはカーテンで閉ざされているせいで、部屋の中の様子が見えない。
「……病院?」
どうやら私は病院のある一室に居るみたいだ。誰が私をここに運んだのだろう?
「確か……」
黒の魔法教団と名乗るサルワたちが、小竜やワイバーンたちを使って学校を襲って来たんだ。サルワに襲われてミッシェルを学校の外に逃がした後に私は――
「どうなったの?」
そこから先を思い出すことが難しかった。熱のせいで脳が上手く働かないせいだろ。ボーッとしながら体をゆっくりと起こす。
「あら、起きてたの?」
起き上がった時に黒い塊がベッドの上に乗ってきた。
「……えっ?」
その声を聞いた私は少し遅れて反応を返す。
「あらあら、完全に脳が働いていないわね」
黒い塊を見た私は小さく名前を呟いた。
「……テト?」
「そうよ」
テトは優しく微笑むと私の腕のすり寄った。
「心配したわよ。なかなか目を覚まさないんだから」
「私はどれくらい寝ていたの?」
「丸一日かしらね」
そんなに寝ていたのかと思いながら、私は気になったことをテトに聞く。
「学校の方はどうなったの?」
“学校”と聞いたテトはムッとした表情を浮かべた。
「あなたねぇ……学校のことよりまずは自分のことを心配しなさい」
「でも、今後の事とか気になるし……」
テトにそう言った私は肩を落とした。
「風邪を引いている時は素直で可愛いんだから……」
テトの声が小さくて何を言ったのか聞き取れなかった私は小さく首を傾げた。
「何でもないわよ。それより学校の方だけど、思ったより被害は大きかったみたいよ。小竜やワイバーンたちが容赦なく暴れてくれたおかげでね」
「そっか……」
結局サルワはどうやって、あれだけの数の小竜やワイバーンを召喚したんだろう? 召喚魔法を使うのには、魔法陣を描いて場と場を繋げる必要がある。
魔法陣を描いて繋げることはサルワ以外の人でも簡単に出来ることだ。一つ気になることがあるとすれば、いったい誰が学校の敷地内に魔法陣を描いたかだ。
「だから授業はしばらくお休みってことになったわよ」
じゃあ来月にあった期末テストも先送りになりそうだ。
そう思ったときベッドを囲んでいたカーテンが勢い良く横に引かれた。その拍子に今まで遮られていた朝日が差し込んで来て、私は思わず目を瞑ってしまった。
「会話が聞こえたからひょっとしてと思ったけど、やっぱり起きてたんだな」
閉じた目を開くとそこには安心した表情を浮かべたアレスが立っていた。
「アレス……」
アレスは私の側に来ると額に手を当てる。
「う〜ん。やっぱりまだ熱はあるな」
「熱?」
そう言えば何で私の体はこんなにも熱いのだろう?
「私は風邪でも引いたの?」
今まで風邪なんて引いたことがなかったのに。
「風邪に似ている症状だけどちょっと違う。昨日のことは覚えているか?」
「昨日?」
何で唐突に昨日のことを覚えているか、なんて聞いてくるのだろう? ……もしかして。
私は自分の胸の手を当てて言う。
「私は雫を抜かれたの?」
「覚えていないのか?」
アレスの言葉に小さく頷く。
思い出そうとしても熱があるせいで頭が働かなかった。
「そうか……でも安心しろ。お前の雫は抜かれていない。無理に思い出す必要もないからな」
アレスは近くにあった椅子に座ると言う。
「お前に一つ聞きたいことがあるんだ」
「なに?」