いつかのラブレターを、きみにもう一度






「央寺くんに聞いたよ、姫野さん。同じ中学校だったって」
「え……」
「いやぁ、転校したらしいのに奇遇だねぇ。教育係は央寺くんに任せることにしたから、気兼ねなく彼に聞けばいいよ。馴染みのある相手のほうが、いろいろと聞きやすいだろうし」

 店長は二重になっている顎をさすりながら、ハハハと笑う。

「そ……」
「昨日と同じように、ふたりでレジに入ってね。今ちょっと裏が忙しくて、僕は末浦さんと春日さんと一緒に倉庫のほうにいるから。こみはじめたら、カウンターの下にあるボタンでコールしてね」
「あ……」

 正社員のおばさんと一緒に、陽気に語らいながら倉庫のほうへと歩いていく店長。

 私は伸ばしかけた手を下ろして、深いため息をついた。央寺くんは十分ほど前に来ていたらしく、すでにレジに入っているようだ。私は覚悟を決めて、またレジカウンターの中に裏から入った。
「おは……こんにちは」

 十時半開店のお店だけれど、それよりも最低十五分前には入って準備をすることになっている。央寺くんは、レジ下の棚の整理をしているところだった。

「おはようでいいよ」
「……おはよう」

 あぁ、やっぱり気まずい。店がまだ開いていないから店内にはふたりだけだし、お客さんが来てくれたほうがいい。

「俺が教育係だって聞いた? 店長に」
「……うん」
「同じ中学だったって言わなければよかったね。昨日、俺に対して緊張するって言ってたのに」

 しゃがんで棚の中の袋をそろえながら話しかけてくる央寺くんに、
「いや……えっと……」
 と、また返答に困ってしまう。

 央寺くんの口調は怖くないのに、淡々としゃべるから感情が読み取れない。表情にも出ないから、その“ごめんね”はどういうニュアンスで言っているのかわからない。
「とりあえず」

 どもっている私をまたじっと見た央寺くんは、両膝に手を当てて「っしょ」と言って立ち上がった。今まで見下ろしていた体がニュッと伸びて立ちはだかり、私はドキリとした。

「今日からちょっとずつ、レジの練習とか返却作業とかしてもらうから。昨日見学してたし、なんとなくわかってると思うけど」
「……はい」

 レジ前に立たされ、背後から央寺くんがひとつひとつ説明していく。この場合は、この場合は、といくつものパターンを教えてくれるものの、私はその距離の近さが気になってどんどん赤面していき、俯きながら自分の横髪を耳にかけ、何度も眼鏡を整えた。

 変わらない央寺くんの声が、中学のあの頃の気持ちを思い出させる。苦い過去なのに、ドキドキしてしまう自分が嫌だ。

「あ……ま、待って」
「え?」
「メ、メモするから……」
「あぁー……」

 そこで初めて私の顔を見たらしい央寺くんは、
「顔、赤……」
 と、声に出した。
そのせいでまたはずかしくなった私は、ポケットから急いでメモ帳を取り出し、今聞いたことを書きだす。緊張しているからか、震えてミミズのような字になってしまった。

 やっぱりダメだ。開店前からこんなんじゃ、先が思いやられる。ここでバイトなんてできるわけない。

「あのさ」
「……はい」
「どうすれば治るの? そういうの」
「そ……」

 そんなの、こっちが聞きたい。私だって、好きでこんなふうになるわけじゃないんだし、そもそもこの原因のひとつは、央寺くんでもあって……。

「店長に聞いたら、店長にも明日美さんにもそんな感じだったって言ってたし、お客さん相手にもガチガチだし。怒ってるんじゃなくて、純粋に、大丈夫か?って思うんだけど」

 レジと央寺くんにはさまれている私は、やはり何も言うことができない。

「対人恐怖症? 転校してから、何かあった? いじめとか」
抑揚のない声が、興味も関心もないように聞こえる。まるで、中三の時のあの出来事なんてなかったかのように話すから、あぁ、この人にとって、あれは本当にどうでもいい出来事だったんだな、と再認識させられる。私はこんなに……。

「……っ」

 こんなに引きずっているのに……。

「ごめん。無神経だった?」

 黙ったままでいると、私が怖がっていると思ったのか、
「もう聞かないから、涙目はやめて。もうすぐ開店して、お客さん来るから」
 と、顔を背けられる。

 嫌だな。自分の気持ちを言うことができない自分も、デリカシーのない央寺くんも。

 私は、震える唇をきゅっと結び、メモの続きを書くことだけを考えた。
ようやくお昼休憩になったとき。先に食べてきていいよ、と央寺くんに言われ、裏のスタッフルームへと急ぐ。気疲れと空腹で、なんだかくらくらする。

「えーっと、姫野さんだっけ? お昼ご飯?」
「は……はい」
「私も」

 倉庫での作業がちょうど終わったのか、末浦さんに話しかけられてスタッフルームに一緒に入る。私はお弁当を持ってきたけれど、末浦さんはコンビニで買ってきたらしいサンドイッチを長机に取り出した。

 スタッフルームはわりと広く、長机がふたつと、四人分の椅子が置いてある。そして室内の端には簡素だけれど三人掛けソファーまであった。窓がひとつついており、白いブラインドが縞々の影を床に作っている。わずかに開けられた窓の隙間からは、秋の涼しい風が入ってきていた。

「高校どこだったっけ? 姫野さん」

 袋からサンドイッチを取り出した明日美さんから話しかけられ、
「椿坂です。えっと、末浦さんは……」
 と聞き返す。

「明日美でいいよ。私は柊ヶ丘。律と一緒」
「……そうなんですか」
“律”……央寺くんのことを昨日もそう呼んでいた。明日美さんのほうがひとつ歳が上だけど、仲がいいのだろうか。

 片眉を上げてちらりとこちらを見たから、私の表情で思っていることがわかったのだろう、明日美さんは、
「律はバスケ部でさ、私はマネージャーだったの。三年だし夏で引退したから、今は行ってないけど」
 と説明してくれた。

 それに対して私は「はあ……」と曖昧な相槌を打つことしかできない。

「バイト辞めたいって顔してるわね」

 会話は途切れ、昼食を食べることに専念していると、ひとつめのサンドイッチを食べ終えた明日美さんが、ふたつめに手を伸ばしながら言った。

 私は聞こえていたのに、
「え……」
 と聞こえないふりをして、明日美さんへと顔を上げる。急に図星をつかれたことで、肩に力が入ってしまった。
「店長、けっこう強引でしょ? あれね、先月、土日入ってたバイトスタッフがふたりも辞めたもんだから、必死になってるのよ」
「…………」
「辞めたいとか向いてないとか言ったって、引きとめてくるわよ、きっと」

 明日美さんはそう言って「ふふ」と笑い、華奢な見た目には似合わない大口を開けてサンドイッチを一気に半分も食べた。

 簡単には辞められなさそうな雰囲気にショックを受けると同時に、私ってそんなにわかりやすいんだ、と落ちこんでしまう。顔に思いきり出ているということだから、店長にも央寺くんにもバレバレなのだろう。自分のせいだけれど、本当に居心地が悪い。

「姫野さんてさ、ひとつ下……律と同い年には見えないわね」
「そ……うですか?」
「言っとくけど、褒め言葉じゃないからね」
「…………」
「頑張ってね」

 その皮肉っぽい笑顔に、私は苦笑いで小さな会釈を返した。
 
「お……お疲れ様でした」

 永遠のようにも思えたバイト時間が終わり、私は早々とスタッフ用の裏口から外へと出る。夕方四時半。四時からのバイトの人と交代して、着替えたり店長と話をしたりしていたら、この時間になった。

 話と言っても、初めて会うスタッフの紹介と、今後のシフトについて。また土日にお願いね、と言われ、私は苦いものを飲みこむように返事をして頷いた。

「はぁ……」

 バイト内容も、スタッフとも、これからうまくやっていける気がまったくしない。最寄りのバス停に向かいながら、空を見上げる。十一月のこの時間帯の空は、一ヶ月前と比べてだいぶ薄暗くなってきたようで、まるで私の心の中みたいだ。

 大通りのバス停に着いた私は、その軒下に入った。このバス停は横に長く屋根がついていて、ベンチもあって待合所のようになっている。けれども、そのわりには人は少なく、一番端におばさんがひとり座っているだけだった。

 私はその反対端に座り、もう一度大きくため息をつく。