「それで、何するの」

 ショッピングセンター内は外よりも比較的人が少なく、話してもいいと判断したのだろう、ようやく亮くんが口を開いてくれた。

「えっとね……」

 私は深く考え込む。
 しつこく誘ったのはいいものの、その実頭の中は空っぽだった。
 私は自分で思っている以上に後先考えずに突っ走ってしまうタイプらしい。
 こんな風に進路も決めちゃえればいいのに。それができないのだから人生は難しい。
 それはそうと、本当に何をするんだろう。提案した張本人でさえ困ってしまう。
 洋服屋さんを見てみたいけど、亮くんは興味ないだろうし、きっと退屈させてしまう。
 そもそも今の私じゃ試着すらできない。
 ゲームセンターや飲食店に行ったところで私は見るだけしかできないし。
 というか今の私は何をやっても見るだけしか――――って、あれ?
 そうか、見るだけだ! 閃いた!

「映画なんてどうかな!?」

 我ながら名案だ。
 これなら私も亮くんも問題なく楽しめる。
 デートみたいで少し気恥ずかしいけれど、見終わった後に映画の感想を語り合うというのは少し憧れでもある。
 話が弾めば仲良くなれるかもしれないし、まさに一石二鳥。
 お金は元の体に戻ったら必ず返そう。
 しかし、

「うん、却下」

 私の名案はいとも簡単にはじき返された。

「なんで!?」

「めんどくさいし、興味ない」

 ……ああ、すっかり忘れていた。この子はこういう子なんだった。
 そもそもショッピングセンターに来てくれたこと自体が私にとっては奇跡みたいなものだし、少し調子に乗りすぎていたのかもしれない。
 でもそれとこれとは別だ。
 面倒くさいからダメというのならどうしてここに来たの! 理不尽だ!

「じゃあ何ならいいの?」

「さぁ」

 ……このクソガキめ。
 根は真面目でいい子だと思った私が間抜けじゃないか。断固抗議だ。

「亮くんはさ、漫画家さんになるんだよね?」

「うん」

「漫画家に必要なものって何かわかる?」

「絵の上手さと物語の構成力」

「そうだね。それもあるけど、私は好奇心が大事だと思うなぁ。どんなことでも興味を持って経験して、それを自分の作品に活かすの」

「……う、うん」

 私の話を聞いているうちに、段々と亮くんの表情が真面目なものになってくる。
 思った通り、漫画のことになるとこの子はどこまでも真面目で、どこまでもストイックだ。
 これならいける。

「全然人生経験のない人が描いたお話と、経験豊富な人が描いたお話なら、どっちが面白いと思う?」

「……経験豊富な方」

「そうだね。だから好奇心は大事だよ。あれ? でも亮くんはどうなのかなぁ。面倒くさいからって映画を観たくないなんて言っているけど、それで漫画家になれるのかなぁ?」

 わざとらしく煽るように言ってみせて、ちらっと亮くんの顔を見やる。
 ……どうやら私が思っていた以上に効果があったらしい。いつも無表情で淡々としている亮くんの顔に焦りが見える。

「わかったよ……。映画観に行こう」

「やった!」

 この子の純粋さを利用するようで申し訳ない。でも私が言ったことも的外れではないと思うから許してほしい。
 実際、私が漫画家を目指していたころは周囲の人からよくそんなことを言われたし、何事も経験というのは今でも何となく信じている。

「亮くんはどんな映画が観たい?」

「お任せする」

「そっかー、じゃあ恋愛ものとかどう? 亮くん普段そういうの観ないでしょ?」

「うん。じゃあそれで」

 意外にも素直だ。よっぽど漫画家になりたいらしい。
 賢いし、妙に大人びているけれど、時折見せる子供な一面は本当に可愛らしい。なんだかんだ子供なんだなと思うと悪態も許してしまえる。
 でも、夢があるという点に関して言えば、私よりはるかに大人だとも思う。
 進路さえ決められず、ずっと行き当たりばったりの生活を続けている私からしてみれば、夢に向かって一直線に進んでいく亮くんの姿はとても眩しい。
 私も何かに夢中になれればいいのに。
 そんなことをもう何年も考え続けた。
 漫画家という夢を捨てずに今でも絵を描き続けていれば、そんなことも考えた。
 そしてそのたびに、現実の自分が惨めに思えてくる。
 だから、まっすぐ進む亮くんを見ると少しばかり胸が痛む。
 私もこんな風になれたらいいのに。

「ほら、早く」

「あ、うん! ごめんね。やっぱり映画も二人分買うの?」

「うん」

「ありがとう、ごめんね。体に戻ったら絶対返すから」

「だからお金のことはいいって。気にしないで」

 やっぱり、この子は優しい。
 クソガキかと思えば優しくて、大人かと思えば子供っぽい一面もあって、亮くんと話すのは新鮮なことだらけで飽きることがない。
 それはそれとして、お金は必ず返すけどね。嫌がっても絶対押し付ける。
 そんなことを考えながら、私は先導する亮くんの後を追う。
 さすがは都会のショッピングセンターというべきか、一階には大きな映画館があった。私の近所のショッピングセンターにはそんなものないというのに。
 都会は便利だ。人混みで疲れてしまうのが唯一の難点だけれど。
 しかし、いくら都会とはいえ今は平日の昼間、さすがに映画を観に来るお客さんは少なかった。
 タッチパネルでチケットを購入する際、空いている座席を確認する。
 やはりというか、予想通りというか、私たち以外のお客さんはいなかった。
 上映時間まであと十五分もない。
 周りを見てもお客さんらしき人は見当たらないから、貸し切り状態だ。
 チケットを購入し、係員さんに一番シアターへ案内される。
 私たちが買った座席は前から三列目のど真ん中。
 最前列だと必然的に画面を見上げることになり、首が痛くなる。だからといって最後列にしてしまえばせっかくの大画面が小さく感じてしまう。
 だから前列から三番目という位置取りが私の中では最高の位置だ。
 そんな席を取れた上、貸し切り状態。更に言えば亮くんと観る映画。
 必然的に私のテンションは最高潮に達する。
 しかしシアタールームに入って、私はすぐに困惑した。
 映画館の椅子は座の部分が背もたれの部分に密着していて、座るためには一度手で引き下げなければいけない。
 そのことをすっかり忘れていた。
 今の私は椅子どころか紙きれ一枚すら動かせない状態。これでは座ろうにも座れない。
 亮くんに一度下げてもらったとしても、亮くんが手を離した途端にすり抜けてしまう。
 制止している物体に触れることはできても、その物体が動いてしまえば強制的にすり抜けてしまうのだ。
 座が背もたれにくっついた状態で無理矢理座るのも手だけど、亮くんの前でそんな恥ずかしいことはしたくない。

「どうしよう……私座れない」

「本当に面倒な人だなぁ」

 席に座ってメロンソーダを飲みながら、亮くんは呆れたように言う。
 それから、私が座れるように座を引き下ろしてくれた。

「映画終わるまで抑えとくから、早く座って」

「でも……腕疲れない?」

「漫画家はずっと腕を使って描くから、持久力はある……と思う」

「……ありがと」

 本当になんなのこの子……優しすぎる。
 突然こんなことをされたのだから思わずどきっとしてしまった。
 普段冷たいくせにこういう時は優しいって、狙ってやっているんじゃないかと勘繰りたくなる。
 私は速まる鼓動を悟られないように、ゆっくり腰を降ろした。
 それを確認すると、珍しく亮くんの方から口を開く。

「恋愛映画かぁ、楽しめる気がしない……」

「あはは、亮くん少年漫画の方が好きそうだもんね。バトル系の方がよかった?」

「いや、こっちでいいよ。少年漫画にも恋愛要素はあるし」

 上映前の長いコマーシャルをぼんやりと眺めながら、雑談を交わす。
 昨日と今日で、とりあえずわかったことは一つ。
 漫画やアニメの話になると、亮くんは沢山話してくれるということ。
 それも凄く楽しそうに、活き活きとして話すものだから、何だかこっちまで愉快な気分になってくる。
 周りに人がいなくてよかった。
 もし人がいたら、きっと亮くんは周囲の目を気にして椅子を下げることも、こうして話をしてくれることもなかっただろうから。
 とはいえ、さすがに私も上映中に話をする気はない。映画館で映画を観る時は静かに没頭するのがマナーであり、私のモットーでもある。
 長いコマーシャルが終わると今度は上映前の注意事項が流れる。
 頭がカメラになっているスーツ姿の男と、同じく頭がパトライトになっている男が独特な動きで映画の盗撮・盗聴を警告する。映画館ではお馴染みの映像だ。
 それが終わるといよいよ本編が開始する。


 結論から言うと、映画の出来は素晴らしかった。
 絶対に結ばれないはずの二人が様々な困難を乗り越え、ついに結ばれるという結末には思わず涙してしまった。

「面白かったね」

「うん、面白かった」

 あまりのクオリティに、楽しめる気がしないと言っていた亮くんも圧倒されたらしく、素直に映画の出来を褒めている。
 てっきり意地を張って「普通だった」と言うと思っていたから、こんなに素直な反応をされると私が作者というわけでもないのに嬉しくなってくる。
 この二日でわかったことがもう一つある。
 この子は嘘をつかない。
 面倒なら面倒だと言うし、面白いなら面白いと言う。
 良くも悪くも素直なのだ。
 裏を返せば私のことは本気で面倒くさがっていることになるから、そこは悲しいけれど。
 それでも今は、よく喋ってくれる。
 どのシーンがよかったとか、役者さんの演技力が凄いとか、そんな話を自分から進んでしてくれている。
 普段は無口なだけに、それがとても特別なことのように感じられて、胸が温かくなる。
 ショッピングセンターを出て、電車を降りるまでの間は話をしてくれなくなったけれど、それでも私は満ち足りていた。
 亮くんと仲良くなりたいという想い。それが少しだけ叶えられたような気がした。
 些細なことではある。でも、私にとっては大きな進歩だった。

「今度お出かけする時、また連れて行ってね」

 改札を抜けた後、周りに人がいないのを確認してから私はそう言った。

「うん」

 相変わらず短い返答。
 けれど悪い気はしなかった。
 小さく頷く亮くんはどことなく嬉しそうで、私のことを認めてくれているような気がしたから。