「大丈夫。二人の方が、きっと怖くない」
ハルがそう言うので、私は首を静かに縦に動かした。
私たちの間には、一体どんな真実が待っているんだろう。
私の頭の中に、きつく閉ざされたドアがあるとでもいうのだろうか。

分からない。でも、知りたい。
ハルに近づきたいから、ちゃんと知って、受け止めたい。

ハルの運転で静かに車が発進すると、ちょうどぽつぽつと雨が降り始めた。
それは、これからの私たちに降りかかる未来を予兆しているかのような雨だった。


車が静かに発進し、私は助手席にじっと座っている。
今、私たちの共通の思い出がある中学校を目指して進んでいる。
今日は休日で、しかもまだ朝の五時半だから、部活動のある生徒もいないだろう。
実家に帰って母親を問い詰めることも考えたが、昨日の電話で何を聞いても話してくれなかったので、これ以上深掘りしても何もヒントを得られないと思った。
大嫌いだった中学校に車を止めて、私たちは雨で灰色がかかった校舎を眺めた。
「かなり久々に来たな……。もう二度と来ないと思ってた」
「そっか。……俺も」
ハルのサラサラとした黒髪が、秋の冷たい空気に晒されて、ふわりと靡いた。
私が何か記憶をなくしていることを、ハルはどう思っているのだろうか。
まだ私自身、その事実を受け入れたわけではないけれど、私の存在ごと記憶をなくしていたハルが、私の失った記憶について知るはずもない。

今ここに、何も知らないハルといる理由はあるのだろうか。
でもどうしてだろう。ひとりじゃないだけで、ハルがいるだけで、不思議と心が安定してくる。
「鍵、かかってるね。当たり前だけど……」
「俺、先に登るわ。傘持って、冬香のこと補佐するから」
正門は鍵がかかっていたので、先にハルが門を飛び越えて、その後に続いた私を受け止めてくれた。
どうしても抱きしめ合う形になってしまったので、ハルは私の顔を見て「不安でどきどきしてるね」と苦笑した。
久々に入った校舎はあの頃と全く変わりなく、いつも遅刻した時にこっそり入る給食室の裏側から中へ侵入した。
早朝の廊下はかなりひんやりとしていて、整然と並んだ机たちがより一層冷たさを強調していた。
人のいない教室は、どうしてこんなにも殺風景に見えるのだろう。
緑色の廊下をゆっくり歩きながら、私たちは中学三年生の時の教室へと足を運んだ。

「ここだ……」
嫌だな。入りたくない。いい思い出なんて、ひとつもない。足が震える。吐き気がする。
それでも、何か手掛かりがあるのなら、見つけたい。その思いで、私は鉛がついたように重たい足を一歩踏み出した。
久々に入った教室は、あの頃より、全て小さく見えた。
椅子の高さも机の大きさも本棚の容量も、全て小さく感じてしまった。
あの頃、この教室が世界の全てで、支配者は福崎さんだった。
でもそこにハルが現れて、あっという間にクラスの空気を変えてしまったんだ。

「私、本当に、何か忘れているのかな……。忘れていることも忘れているから、何も思い出せないや」
人のいないずぶ濡れの校庭を上から見下ろして、私はため息をついた。
でも、山梨に帰って来てから、引っかかることがいくつもあった。
ハルが思い出させたくないと言ったことや、母親がハルとの再会を望んでいないこと、福崎さんが二人揃って記憶喪失だと嘲笑したこと……。
そのどれもが見過ごすことのできない出来事で、私はただただ混乱している。
「……何も思い出させそうにない?」
「うん……ダメみたい。もう少し移動してみようかな」
「分かった。冬香がよく行ってた場所に行こう」
「そうだ。図書室に行って、卒業アルバムとか残ってたら、見てみたいな」
分からないけれど、何か過去の手掛かりがあるかもしれない。
私たちは教室を後にして、一階にある図書室へと向かった。卒業アルバムを見たいと言ったとき、ほんの少しだけハルが暗い顔をしたのを、私は疑問に思うだけで何も言えなかった。
ハルも、自分の記憶と向き合うことが怖いんだろうか。
そりゃそうだよね。怖いに決まってるよ。

図書室は少し埃っぽく、古紙独特の甘ったるいような、湿気ったような、そんな匂いが充満していた。
私の学校は代々アルバムを図書室に保管しているはずで、よく生徒が人気の先輩の卒業写真を見に行っていた。
一番右奥の棚にそのゾーンがあるはずだったが、今もなおその位置は変わっていなかった。
「あった! 卒業アルバム」
私たちの代のアルバムを見つけた私は、ハルにそのアルバムを見せた。
私はその重たいアルバムを持って、ゆっくり集合写真のページを開こうとした。

……しかし、その手を急にハルが制した。