「びっくりした……。帰ろうと思ったら、目の前で冬香が押し倒されてたから……」
「助けてくれて、ありがとう、詩織……」
これが夢だったらいいのにと、何度もそう思いながら、私は車の中でも震えていた。
誰かの怒りがこんな形で自分に降りかかることがあるなんて、思っていなかった。
福崎さんの怒りがここまで膨れ上がっていたなんて、知らなかった。
恐怖で震えが止まらない。震えた右手で震えた左手を押さえても、何も変わらない。
「ごめんね、お母さんが迎えに来てれば……っ」
ミラー越しに号泣している母の顔が見える。私は、どこか現実味のない世界を漂っているような、そんな感覚だった。
夢であってほしい。
さっき襲われかけたことも、詩織に恐怖を味わわせてしまったことも、今母親が自分を責めて泣いていることも、全部全部夢であって欲しい。
光のない暗い景色を眺めながら、私はぐちゃぐちゃになった英単語のテキストを抱き締めていた。
家に着くと、ドアの前でハルが体育座りをして待っていた。頬にはいくつもの涙の跡があり、私に何が起きたのか母親から聞いていることは明確だった。
「冬香! 冬香、おかえり……」
私の名前を勢いよく呼んだものの、ハルは涙目のまま、なんて言ったらいいのか分からないようだった。こんな風に言葉に詰まるハルを見るのは初めてだった。
私は、正直今、ハルと会いたくなかった。
「ハル君、心配してくれてありがとうね。今日は冬香も色々あったから……」
母親が何も喋らない私の代わりにそう言ってくれた。私は母の背中に隠れて、ハルと一切目を合わせなかった。それは、今の自分の気持ちを見透かされたくなかったからだ。
ハルは少し間を開けてから、家のドアの前から一歩離れた。
「はい、分かりました。今日は帰ります。……冬香、また」
ハルは何か言いたげな顔をしていたけれど、深々と頭を下げてその場から離れた。すれ違った時も、私はハルの顔を見ることができなかった。
でもきっと、怒りと悲しみに狂った顔をしていたんだと思う。
家の前に落ちていた彼の涙の跡を見て、そのことを知った。
◯
私は、あれから二週間学校を休んでいる。心が化石みたいに固まってしまって、外に出ることの恐怖心が振り払えないのだ。
このまま、ベッドの上でミイラになってしまうんじゃないかと本気で思うほど、私の心は止まっていた。
学校を休んだ理由は、担任が洗いざらい話してしまったと、美術部の小木さんからわざわざメッセージで知らされた。そしてそのことにキレたハルが教室で大暴れして大変だったということも聞いた。私はますます学校に居場所をなくしていた。
もし、福崎さんが仕掛けたことだと知ったら、ハルは今度こそ彼女のことを殴り倒してしまうんじゃないかと思う。
そのことも怖くて、私はハルに会いたくないと思っている。でも、一番の理由はそんなんじゃない。もっともっと汚い理由で、彼に会いたくないと思っている。
あの時私を襲おうとした男性二人は、現在警察が取り調べ中だ。詩織がライトを照らした時に写真もひっそり撮っていたお陰で、すぐに犯人は見つかった。
彼らが自白したら、福崎さんも何か問われることになるのだろうか。
正直もう、彼女に対しては、生涯関わりたくないという気持ちしかない。
「うっ……ふ……っ」
何をしていてもあの日のことがフラッシュバックして、震えが止まらなくなる。常に背後がぞくぞくして、何者かがいるような感覚にとらわれる。
再び震えだした手を押さえたその時、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。
「冬香、今日もハル君お見舞いに来てくれてるけど、どうする……?」
ハルはあれから毎日、私の家に来ては様子を伺ってくれている。だけど私はずっとそれを断り続けていた。
母も私の気持ちを尊重してハルを断ってくれていたけれど、二週間も断り続けていると、流石にバツが悪くなってきたようだ。
「メッセージだけでも、返せる時に返してあげられたら、ハル君安心できるかもね……」
「うん……そうだよね」
ハルから送られてくるメッセージすら返すこともできずに、人形のように時が経つのを待っている。
そんな私を毎日思って心配してくれているハルを想像すると、ほんの少しだけ胸が痛くなった。
「私、少しだけ、ハルと話そうかな……」
「……大丈夫? 分かった。呼んでくるね」
いつまでも逃げていてはいけない。分かっているけれど、体と心が追いつかないの。
母が階段を降りていく音を聞きながら、私は心臓の真上を何度もさすっていた。大丈夫。いつも通りに話せる。大丈夫。
「助けてくれて、ありがとう、詩織……」
これが夢だったらいいのにと、何度もそう思いながら、私は車の中でも震えていた。
誰かの怒りがこんな形で自分に降りかかることがあるなんて、思っていなかった。
福崎さんの怒りがここまで膨れ上がっていたなんて、知らなかった。
恐怖で震えが止まらない。震えた右手で震えた左手を押さえても、何も変わらない。
「ごめんね、お母さんが迎えに来てれば……っ」
ミラー越しに号泣している母の顔が見える。私は、どこか現実味のない世界を漂っているような、そんな感覚だった。
夢であってほしい。
さっき襲われかけたことも、詩織に恐怖を味わわせてしまったことも、今母親が自分を責めて泣いていることも、全部全部夢であって欲しい。
光のない暗い景色を眺めながら、私はぐちゃぐちゃになった英単語のテキストを抱き締めていた。
家に着くと、ドアの前でハルが体育座りをして待っていた。頬にはいくつもの涙の跡があり、私に何が起きたのか母親から聞いていることは明確だった。
「冬香! 冬香、おかえり……」
私の名前を勢いよく呼んだものの、ハルは涙目のまま、なんて言ったらいいのか分からないようだった。こんな風に言葉に詰まるハルを見るのは初めてだった。
私は、正直今、ハルと会いたくなかった。
「ハル君、心配してくれてありがとうね。今日は冬香も色々あったから……」
母親が何も喋らない私の代わりにそう言ってくれた。私は母の背中に隠れて、ハルと一切目を合わせなかった。それは、今の自分の気持ちを見透かされたくなかったからだ。
ハルは少し間を開けてから、家のドアの前から一歩離れた。
「はい、分かりました。今日は帰ります。……冬香、また」
ハルは何か言いたげな顔をしていたけれど、深々と頭を下げてその場から離れた。すれ違った時も、私はハルの顔を見ることができなかった。
でもきっと、怒りと悲しみに狂った顔をしていたんだと思う。
家の前に落ちていた彼の涙の跡を見て、そのことを知った。
◯
私は、あれから二週間学校を休んでいる。心が化石みたいに固まってしまって、外に出ることの恐怖心が振り払えないのだ。
このまま、ベッドの上でミイラになってしまうんじゃないかと本気で思うほど、私の心は止まっていた。
学校を休んだ理由は、担任が洗いざらい話してしまったと、美術部の小木さんからわざわざメッセージで知らされた。そしてそのことにキレたハルが教室で大暴れして大変だったということも聞いた。私はますます学校に居場所をなくしていた。
もし、福崎さんが仕掛けたことだと知ったら、ハルは今度こそ彼女のことを殴り倒してしまうんじゃないかと思う。
そのことも怖くて、私はハルに会いたくないと思っている。でも、一番の理由はそんなんじゃない。もっともっと汚い理由で、彼に会いたくないと思っている。
あの時私を襲おうとした男性二人は、現在警察が取り調べ中だ。詩織がライトを照らした時に写真もひっそり撮っていたお陰で、すぐに犯人は見つかった。
彼らが自白したら、福崎さんも何か問われることになるのだろうか。
正直もう、彼女に対しては、生涯関わりたくないという気持ちしかない。
「うっ……ふ……っ」
何をしていてもあの日のことがフラッシュバックして、震えが止まらなくなる。常に背後がぞくぞくして、何者かがいるような感覚にとらわれる。
再び震えだした手を押さえたその時、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。
「冬香、今日もハル君お見舞いに来てくれてるけど、どうする……?」
ハルはあれから毎日、私の家に来ては様子を伺ってくれている。だけど私はずっとそれを断り続けていた。
母も私の気持ちを尊重してハルを断ってくれていたけれど、二週間も断り続けていると、流石にバツが悪くなってきたようだ。
「メッセージだけでも、返せる時に返してあげられたら、ハル君安心できるかもね……」
「うん……そうだよね」
ハルから送られてくるメッセージすら返すこともできずに、人形のように時が経つのを待っている。
そんな私を毎日思って心配してくれているハルを想像すると、ほんの少しだけ胸が痛くなった。
「私、少しだけ、ハルと話そうかな……」
「……大丈夫? 分かった。呼んでくるね」
いつまでも逃げていてはいけない。分かっているけれど、体と心が追いつかないの。
母が階段を降りていく音を聞きながら、私は心臓の真上を何度もさすっていた。大丈夫。いつも通りに話せる。大丈夫。