ハルはそのまま廊下の外へ私を連れ出し、どこまで歩くかと思えば、視聴覚室まで私を連れてきた。
誰もいない視聴覚室は、文化祭のお化け屋敷みたいに、真っ黒のカーテンで覆われていた。
遮光性の高いそのカーテンを僅かに開けて、ハルは机の上に座った。一直線に教室に線を引く太陽が、廊下側にいる私の足元まで届いていた。
「ハル、どうしたの、こんなところに来て」
「別に。冬香が居辛そうな顔してたから」
その言葉に黙っていると、ハルがこっちこないの? と、私の名前を呼んだ。それでも、黙り込んで窓側の机に座っているハルには近づかないでいると、ハルは一瞬悲しそうに目を伏せた。
「俺が怖い?」
「何言ってんの。そんなわけない」
「じゃあ、なんで怖い顔してんの」
「ハルが、色々私に隠してることがありそうだからだよ」
「たとえばどんな」
「心臓、ほとんど治ったって言った。嘘じゃん。鞄の中、常備薬入ってんじゃん」
いつになく尖った言葉が口を突いて出てしまう。ハルが倒れた時、心配で心配で頭がどうにかなってしまいそうだった。
「他にも怒ってる理由あるでしょ」
「……いつ死んでもいいって、言った」
低い声でそう告げると、ハルは眉をピクリとも動かさずに私を見据えている。自分でもなんでこんなに怒っているのか分からない。 だけど、なんだか悲しくてやりきれなくて、言葉が止まらない。

「本気でそう思って、福崎さんにあんな暴言吐いたの?」
きっと私は、ショックだったんだ。ハルがあんな風に冷たい瞳をして、本気で死んでもいいと投げやりになって、人を傷つけたことが。
「たとえ相手が福崎さんだとしても、ハルが私のために怒ってくれたのだとしても、私はざまあみろなんて思えないよ……」
ハルは、私を守ろうとしてくれたのに。分かってるのに、ありがとうの言葉は言えそうにないよ。

私の意思とは関係のないところで、ハルが善悪を裁いたから?
もしかして、詩織もこんな想いをしていたの?

「冬香は、本当に真っ直ぐだな」
ハルが、いつの間にか私の元へ近づいて、家でするみたいに私のことをハグしてきた。
ハルと私の心臓が近づいて、また心臓ごと一体化するような感覚に陥った。
「なんでお前そんな、本気で俺なんかと向き合ってくれんの」
いつもより少し頼りない声が、私の耳元で囁かれた。ハルの柔らかい黒髪が首に当たって、彼の吐息が鼓膜を震わせる。

「俺、謝らないよ。俺は俺が信じたいものを信じてるから」
「信じたいもの……?」
「冬香みたいな人間は優しいから、相手のことを思ってこれは正しかったとか、正しくなかったとか、考えられるんだろうな……」
背中に回された腕の力が、より強くなっていく。制服にシワができるほど、強く強く抱きしめられていく。ハルは私を抱きしめるというより、まるで存在を確かめるみたいに、腕の中に閉じ込めていく。

「でも俺は、そんな風に思えない。たとえ悪いことだとしても、俺は大切な方を取るよ。何があっても冬香を取るよ」

ハルの考え方は、心は、私の全く知らない世界にあったりするのかもしれない。この時初めてそんな風に思った。
もしかして、私とハルの間には、とてつもない距離があるのかな。抱きしめられているのに、遠く感じる。
私は、自己犠牲をしてでも、自分にとって大切なものを選べるかな。そんな自信はないよ。私はハルみたいにはなれないよ。

ねぇ、ハル、そんなに遠くに行かないでよ。