東堂以外の皆の視線が、私に集まっているのをひしひしと感じ取っていた。こんなにも張り詰めた空気で私の反応を気にしているというのに、東堂は至って変わらぬ声音で、言葉を続けた。
「ハルが今ここにいたら、そう言われてるよ」
ハル、というたった二文字は、私達の胸を締め付けるのに充分な単語だった。
言葉なんて意味を考えなければただの音なのに、それでも、私は一生この名前に心臓ごと反応してしまうんだろう。
「そうだね……」
絞り出した私の声が、古びた喫茶店の壁に染み渡っていった。
そういえば、ヨージ以外の皆は、映像関係の仕事に就くことを夢見ていたけれど、それは誰も叶えることはできなかったんだと、冷めたコーヒーを飲み終えてから気づいた。
◯
文化祭には家族連れしかこないことがほとんどだけど、今年は他校の中学生が訪れていた。恐らく、一部の生徒の友達や、恋人達が遊びにきているんだろう。
学校の前には業者が運営する露店が三つほど出ていて、よくこの小規模な文化祭に毎年こんなに人が集まるものだと感心してしまう。
私は、お化け屋敷で小道具を動かす係として、暗がりに待機することになった。小木さんと同じ役割だったので、前回の気まずさを残したまま、私たちは馬鹿みたいに手作りの骨をゆらゆらと動かす予定だ。
「よろしく、小木さん」
小さな声で呟くと、小木さんは気まずそうに目を逸らして、私から離れていった。
そんなことをしているうちに、福崎さんと堀田さんの甲高い声が教室中に響いた。
「もう、ちょっとハルー、血のり顔につけすぎじゃない? グロ過ぎ」
「福崎と堀田はぬる過ぎじゃない? そんなんじゃ誰も怖がらねぇだろ」
「じゃあ私の腕にもつけてよ、血のり」
ハルがすっかり打ち解けて文化祭を楽しんでいる様子に、なぜか母親のような気持ちでほっとしてしまう。ハルは幼い頃私以外に友達がいなかったので、こうして友達に囲まれている様子を見れる日が来るなんて思わなかった。
ハルはあんなにキラキラと眩しい笑顔を振りまいているのに、どうして誰も信じてないなんて言ったんだろう。
「皆ー、じゃあ今日は張り切って盛り上げましょうね!」
放課後の準備には一切顔を出さなかった先生が、笑顔で生徒に呼びかけた。
いつもよりテンションの高い空気が流れたまま、文化祭はいよいよ始まった。割り箸に糸を吊るして作った骨を持ちながら、所在なさげに教室をうろうろしていると、ぐいっと腕を誰かに引かれた。
「冬香、何そんな青ざめた顔してんだよ」
「ハ、ハル、びっくりさせないで」
想像以上にリアルな血のりの付け方をしているハルに、私は思わずぎょっとしてしまった。ハルはそんな私を見てバカにするように笑った。
「はは、脅かす側が驚いてんなよ」
「きゅ、急に腕引っ張るから、驚いたの」
私はハルの手を振りほどいて、脅かす位置にひっそりと隠れた。机の間からなんとなくハルをもう一度見ると、ハルと再び目が合った。
その目が、あまりに優しい瞳をしていたので、今度は違った意味で驚いてしまった。ハルは時折、びっくりするほど優しい目で私を見ている時がある。
そんな私達の空気を遮るように、福崎さんがハルの腕に絡みついた。
「ねぇハル、私達一緒に受付しよう!」
「はあ? 堀田と二人でやるって言ってたろ」
「いいの、見せびらかしたいの」
「何をだよ。すぐくっつくのマジでやめろ」
福崎さんはハルを入り口付近に追いやって、一度だけこちらを振り返った笑った。
ハル、脅かすの楽しみにしてたのにな。そんなことを思ったけれど、止められるはずもなかった。
福崎さんは、いつも綺麗な髪の毛をポニーテールにして、くるくるとお姫様のように巻いていて、そんな彼女の揺れる髪の毛が入り口に遠ざかって行くのを、私は黙って見送った。
ハルの効果なのか、福崎さんの効果なのか、お化け屋敷は大盛況で、常にお客さんが入っている状態だった。エアコンが効いているとはいえ、布やビニールで覆った教室は蒸し暑く、脅かす側の私たちは汗だくだくだった。
ようやく前半組との交代の時間がきて、私はこの蒸し暑さからやっと解放されることになった。机の下からなんとか這い出ると、隣の小木さんもぐったりした表情をしていた。
バチっと目が合ってしまい、疲れたね、と話しかけると、また無視をされてしまった。
無視をされることには慣れているつもりだったけれど、やっぱり胸が痛む。私は少し暗い気持ちになりながら、飲み物を買いに行こうと教室の入り口に向かった。
「ハルが今ここにいたら、そう言われてるよ」
ハル、というたった二文字は、私達の胸を締め付けるのに充分な単語だった。
言葉なんて意味を考えなければただの音なのに、それでも、私は一生この名前に心臓ごと反応してしまうんだろう。
「そうだね……」
絞り出した私の声が、古びた喫茶店の壁に染み渡っていった。
そういえば、ヨージ以外の皆は、映像関係の仕事に就くことを夢見ていたけれど、それは誰も叶えることはできなかったんだと、冷めたコーヒーを飲み終えてから気づいた。
◯
文化祭には家族連れしかこないことがほとんどだけど、今年は他校の中学生が訪れていた。恐らく、一部の生徒の友達や、恋人達が遊びにきているんだろう。
学校の前には業者が運営する露店が三つほど出ていて、よくこの小規模な文化祭に毎年こんなに人が集まるものだと感心してしまう。
私は、お化け屋敷で小道具を動かす係として、暗がりに待機することになった。小木さんと同じ役割だったので、前回の気まずさを残したまま、私たちは馬鹿みたいに手作りの骨をゆらゆらと動かす予定だ。
「よろしく、小木さん」
小さな声で呟くと、小木さんは気まずそうに目を逸らして、私から離れていった。
そんなことをしているうちに、福崎さんと堀田さんの甲高い声が教室中に響いた。
「もう、ちょっとハルー、血のり顔につけすぎじゃない? グロ過ぎ」
「福崎と堀田はぬる過ぎじゃない? そんなんじゃ誰も怖がらねぇだろ」
「じゃあ私の腕にもつけてよ、血のり」
ハルがすっかり打ち解けて文化祭を楽しんでいる様子に、なぜか母親のような気持ちでほっとしてしまう。ハルは幼い頃私以外に友達がいなかったので、こうして友達に囲まれている様子を見れる日が来るなんて思わなかった。
ハルはあんなにキラキラと眩しい笑顔を振りまいているのに、どうして誰も信じてないなんて言ったんだろう。
「皆ー、じゃあ今日は張り切って盛り上げましょうね!」
放課後の準備には一切顔を出さなかった先生が、笑顔で生徒に呼びかけた。
いつもよりテンションの高い空気が流れたまま、文化祭はいよいよ始まった。割り箸に糸を吊るして作った骨を持ちながら、所在なさげに教室をうろうろしていると、ぐいっと腕を誰かに引かれた。
「冬香、何そんな青ざめた顔してんだよ」
「ハ、ハル、びっくりさせないで」
想像以上にリアルな血のりの付け方をしているハルに、私は思わずぎょっとしてしまった。ハルはそんな私を見てバカにするように笑った。
「はは、脅かす側が驚いてんなよ」
「きゅ、急に腕引っ張るから、驚いたの」
私はハルの手を振りほどいて、脅かす位置にひっそりと隠れた。机の間からなんとなくハルをもう一度見ると、ハルと再び目が合った。
その目が、あまりに優しい瞳をしていたので、今度は違った意味で驚いてしまった。ハルは時折、びっくりするほど優しい目で私を見ている時がある。
そんな私達の空気を遮るように、福崎さんがハルの腕に絡みついた。
「ねぇハル、私達一緒に受付しよう!」
「はあ? 堀田と二人でやるって言ってたろ」
「いいの、見せびらかしたいの」
「何をだよ。すぐくっつくのマジでやめろ」
福崎さんはハルを入り口付近に追いやって、一度だけこちらを振り返った笑った。
ハル、脅かすの楽しみにしてたのにな。そんなことを思ったけれど、止められるはずもなかった。
福崎さんは、いつも綺麗な髪の毛をポニーテールにして、くるくるとお姫様のように巻いていて、そんな彼女の揺れる髪の毛が入り口に遠ざかって行くのを、私は黙って見送った。
ハルの効果なのか、福崎さんの効果なのか、お化け屋敷は大盛況で、常にお客さんが入っている状態だった。エアコンが効いているとはいえ、布やビニールで覆った教室は蒸し暑く、脅かす側の私たちは汗だくだくだった。
ようやく前半組との交代の時間がきて、私はこの蒸し暑さからやっと解放されることになった。机の下からなんとか這い出ると、隣の小木さんもぐったりした表情をしていた。
バチっと目が合ってしまい、疲れたね、と話しかけると、また無視をされてしまった。
無視をされることには慣れているつもりだったけれど、やっぱり胸が痛む。私は少し暗い気持ちになりながら、飲み物を買いに行こうと教室の入り口に向かった。