思い立ったらすぐだった。市民プールは今日は休みだったが、いつもセキュリティのガードが緩い裏口から勝手に入った。ネクタイを緩め、重たいブレザーをロッカーの中に無造作に突っ込むと、一度家に取りに帰った競泳水着に着替えた。
管理人がいることも考えゆっくりとドアを開けたが、目の前に広がるプールは間違いなく私だけのものだった。
塩素のつんとした匂いが鼻を刺す。高い窓から差し込むオレンジ色の光だけが頼りだ。
冷たい床を裸足で歩いて、飛び込み台の上に立つ。息を深く吸い込んでから、どぼんと水の中に飛び込んだ。
室内プールと言えど、水はとてつもなく冷たい。でも、水に入った瞬間、外の世界との情報が途端に遮断されるこの心地よさは、何にも代えられない。
ずっと潜っていたい。このまま、ずっと。もう誰も私を探さないで。
「ぷはっ、はー、はー……」
気づくと、呼吸が限界になるくらい長いこと潜っていた。ゴーグルもなしで入ってしまったので、塩素水が目に染みる。痛さで涙が出てきたときは、泣いたうちにカウントされない。ポロポロと溢れる涙を、濡れた手で拭っても、拭けているのかどうかよくわからない。
「はは、こんな時も、痛さでしか泣けないんだ……」
ぱしゃん。思わず水面を殴ると、ぐわんと波紋が広がった。泣きたいのに泣けない。ずっと悲しい思いを胸のうちに溜めているみたい。私の涙腺はきっと心と繋がっていない。こんなに胸が痛いのに、目が熱くなるだけで涙が零れ落ちない。
この能力に、私の涙腺は蓋をされてしまった。
「もうやだ……、もうやだ、もうやだもうやだ」
バシャン、バシャン、と、何度も水面に拳を打ち付ける。力強く打てば打つほど、水はコンクリートのように固くなる。何が嫌なのか、言葉にならない。このままずっと、なんとなく嫌な毎日が続いていくのかと思うと、息が詰まった。私はその後も、がむしゃらに泳いだり水に浮かんだりした。