吉木は、今は世界的にも有名なクライマーになって、そのルックスも話題となり多くのスポンサーがついている。この間も雑誌で彼のことを見かけて、なんだか遠い存在に感じて不思議な気持ちになった。いつも隣と危険合わせの挑戦をしている彼は、各国を飛び回っている。
「あいつも、本当に丸くなってよかった。昔のあいつは不安定で誰も手をつけられなかったから。今の職業も性に合ってるんじゃないかな」
「そうですね……、今回も無事帰って来られて良かったですね」
「詩春んさ、あいつがなんで山が好きか知ってる?」
「え、そういえば知らないです」
「母親が……靖子姉さんが亡くなってから、一度烏ヶ山に連れて行ったことがあるんだ。あいつ中学時代半年くらい引きこもってて、見てられなくなって連れ出してさ。最初は乗り気じゃなかった風なのに、登り出したらどんどん真剣になってさ。頂上着いて雲を見下ろした時、あいつなんて言ったと思う?」
「き、綺麗とか……?」
「黄泉の国に来た様に、半分死んでるみたいで、気持ちいいって。生きるために帰ろうと思えるから、目が覚めたって言ったんだ」
 予想とは全く違う回答に、私は返す言葉を準備できなかった。驚いたまま固まっている私を見て、仙崎さんはクスッと笑った。
「だからあいつは、生きることを実感するために登ってるんだ。だからいつも真剣だし、絶対に無事に帰るという気持ちが強い」
「まさかそんな理由とは……」
「いちいち実感しなくても生きていける様になるといいなと、叔母は願ってるけどね。……まあ、そんな風になってしまったのは、度が過ぎた放任主義の父親のせいもあるかもな」
 仙崎さんは、そうしみじみ呟いてから、お冷を飲んだ。仙崎さん曰く、吉木は元々父親との仲が悪く、もうほとんど絶縁状態らしい。吉木はそのことについてあまり話してくれないけれど、いずれ彼が話したくなったら、聞いてあげたいと思う。
私はまだまだ、吉木のほんの一部しか知らないんだろう。でも今はそれでいいと思っている。こうして生きている限り、これからの吉木を知ることができるから。