「お前らなぁ、課外活動の授業は遊びじゃないんだから真面目に──って、山田! お前、こんなところにいたのか!」
「……っ!」
"山田"と先生が呼んだ名前に驚いて、咄嗟に隣の朝陽を見上げたけれど、すぐに山田違いだと思い至る。
先生が今呼んだのは、朝陽じゃなくて陸斗くんだ。
「マジかよ……めんどくせー」
「何が面倒くさいだ! 山田、お前、浜辺清掃を選択したくせに、毎回出席だけ取って、すぐに姿をくらませてたらしいな! さっき浜辺清掃の担当の先生が、やっぱりお前の姿が見当たらないと俺に言ってきたばかりだぞ! お前は今すぐ、俺と職員室に来い!」
捲し立てるように告げられた先生からの言葉に、陸斗くんが脱力したように息を吐いた。
今更だけど、やっぱり彼はサボっていたのだ。
もしかして体調が悪くてここで休んでいたのかな……なんて、ほんの少しだけ思ったけれど、やっぱり違った。
「ほら、さっさと来い!」
耳を塞ぎたくなるような声で怒鳴られて、仕方なく、といった様子で気怠げに歩き始めた彼は、扉の近くに立っていた私と朝陽の横を通り過ぎた。
けれど、その一瞬、不意に足を止めると綺麗な切れ長の目を、私へ目を向けて──。
「……アンタと隣の男。ガキと保護者みたいで、気持ち悪い」
「……っ!」
そんな、鋭く尖った針のような言葉を耳元で囁くと、冷たい視線だけを残して音楽室を出ていった。
「……菜乃花? 何、言われた?」
「う……ううん、別に、何も……」
──ゆらゆらと風に揺れる、アイボリーのカーテン。
耳の奥で木霊する、冷たい言葉。
大好きなはずのこの場所で、大好きな朝陽の隣で、私は今、幸せなはずなのに……。
『──気持ち悪い』
「菜乃花……?」
胸が、痛い。
私はぼんやりと宙を見つめたまま、ただ、その場に立っているのがやっとだった。
*
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゜
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You gods, will give us. Some faults to make us men.
神は我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。
/Shakespeare (シェイクスピア)
「《うん、わかった。じゃあ、今日は先に帰るね》──送信、っと」
期末テストも目前に控えた、ある日の放課後。
私は商業科の教室で一人、携帯電話とにらめっこをしていた。
放課後の学校は、昼間と違って賑やかだ。
堅苦しい授業から解放されて、心が少し軽くなる。
……今日は忘れ物、ひとつで済んだなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私は一人、宙を見上げた。
すると、しばらくもしないうちに手の中の携帯電話が震えて、朝陽の返事が返ってきたことを知らせてくれる。
「《気を付けて帰れよ。家に着いたら必ず連絡して》……って。私、一応、もう高校生なんだけど」
過保護な言葉にクスクス笑うと、《わかった》とだけ返事をした。
そうして、鞄を手に持ち自分の席から立ち上がる。
携帯電話をスカートのポケットの中へと入れて、通い慣れた教室から出れば、初夏の風が頬を撫でた。
……よくよく考えたら、一人で帰るのも久しぶりだ。
朝陽がいるであろう第一棟のある方向を眺めて考えると、なんだか少し可笑しくなった。
今日から朝陽は特進科の特別授業が始まって、課題で出たグループワークというものをやるために帰る時間がいつもより遅くなるらしい。
先程メールが来て、《何時になるかわからないから、今日は先に帰ってて》と、言われたのだ。
放課後、いつもなら特進科の授業を終えて商業科まで来てくれる朝陽を待って、私たちは二人一緒に学校を出る。
だけど今日は課題があるなら仕方がない……というか、そもそも私と朝陽は必ず一緒に帰るという約束をしているわけでもないし。
どちらか一方が一緒に帰りたいと言い出したわけでもないから、仕方がないと思うことすら間違っていた。
……ただ、なんとなく。
なんとなく、ほぼ毎日一緒に登下校することが暗黙の了解となっている。
小学校、中学校、高校……と続けば、もはや習慣と言っていいかもしれないけれど、改めて考えるとやっぱり少し変だと思った。
ただ、家が隣同士ってだけなのにね。
私と朝陽は、ただの幼馴染で……それ以上でも、それ以下でもないんだから。
「……音楽室、行こうかな」
昇降口に向かって歩き始めていた足を止めて、私はふと、振り返った。
いつも、放課後になると足を運ぶ【第三音楽室】。
今日は特に、第三音楽室に行く用事もないのだけれど……。
なんとなく。なんとなく、今、あの場所に行きたくなった。
そう思ったときには、足が自然と音楽室に向かって、歩きだしていた。
* * *
「……あ」
だけど、まさかここに来て後悔することになるだなんて、思ってもみなかった。
ぼんやりと長い廊下を歩いて、ぼんやりと音楽室の前で足を止めて……ぼんやりと扉を開けて中に入った私は、思わずその場で固まった。
「……また、アンタか」
視線の先。そこには今一番会いたくない人がいて、反射的にゴクリと息を呑む。
一番会いたくないと言いながら、毎日のように会ってるんだけど。
むしろ、つい数十分前まで隣にいたし、今日だって授業中はずっと、隣にいた相手だ。
「り、陸斗くん」
「ウザ……」
ぽつりと零すと、何故か床の上に寝そべっていた陸斗くんが身体を起こした。
まさか、そこで寝ようとしていたのだろうか。
頭を左右に振った彼に合わせて栗色の髪がふわりと揺れて、彼のすぐそばにあるカーテンが躍った。
直後、切れ長なのに大きな目が私を射抜き、再びゴクリと喉が鳴る。
「えと……なんで、そんなところに……」
「……温かいから」
「へ?」
「太陽の陽が入ってきて温かいんだよ、ここ」
言いながら彼は、右手で床を指差した。
確かに陽が差し込んできていて、床に光の水溜りを作っている。
陸斗くんはその上に片膝を立てて座っていて、確かにとても暖かそうだ。
「っていうか、いつまでそこに突っ立ってるわけ」
「あ……えと、」
「入ってくるなら、さっさと入れよ。また誰かに見つかると面倒くさいし……早く扉、閉めてくれない?」
「は、はい!」
言われて私は慌てて、後ろ手で扉を締めた。
すると空気が動いたのかアイボリーのカーテンが大きく揺れる。
相変わらず床に座る陸斗くんの目は真っ直ぐに、私へと向けられたままだ。
……本当に、綺麗な人。
朝陽のように洗練された容姿をしているのに、どこか野性的で……なんとなく、目が反らせない。