それで喉を潤すと、幾分気分が良くなった。ぬるい茶ではあったが、香ばしい味がティエンを慰めてくれる。
(よく考えろ。兄上達が兵を放った以上、紅州も安全ではないぞ)
かと言って西の白州リャンテ王子、東の青州セイウ王子、中央の黄州はクンル王のいる王都。他の土地に逃げるより、ずっと紅州の方が安全といえる。
さて、どうしたものか。ティエンはこめかみをさすり、小さく唸ってしまう。
「本当にユンジェが大切なんだね。君だって危ない立ち位置にいるのに。クンル王や兄達に見つかれば、殺されてしまうんだよ」
「私よりユンジェです。兄上達に奪われるわけにはいきません。私は己の身が八つ裂きにされるよりも、あの子が王族に利用される方が、とてもつらい」
いっそのこと、あの子どもから懐剣を取り上げ、お役を返上とはできないだろうか
麒麟の使いを下ろすことができれば、ユンジェは晴れて、ただの農民の子だ。ジセンに頼めば、なにかしら仕事を与えてくれるやもしれない。
ティエンが離れてしまえば、あの子は普通の子として生きていける。
しかし、記憶のユンジェが怒鳴ってきたので、それは無理だと思い改めた。
あの子は腹を決め、己の懐剣となった。拒絶することもできた麒麟の使命を、自ら進んで受け取ったのだ。最後までついて行く、という約束のために。
ティエンがそれを履き違えるわけにはいかない。自分とて、腹は決めているのだ。中途半端に巻き込むより、最後まで巻き込んで責任を取る、と。
「ジセン、私はどうしたら良いのでしょう」
ティエンは大人に意見を求める。
十八で成人となる麟ノ国だが、齢十九になったばかりのティエンには経験も知識も足りなかった。途方に暮れてしまう。どうしていいかも分からない。
「私はたった一人の家族を守りたい。そして、あの子と静かに平和に暮らしたい。ただそれだけが望みなのに、誰も私を放っておいてくれない。どうしたら、ユンジェを守り切ることができるのでしょう?」
弱々しい吐露に、ジセンは笑うこともなく、かといって哀れみを向けることもなく、静かに相づちを打った。
「とても難しい質問だね。僕もリオを嫁さんにもらって、いつも悩んでいるよ。あの子を守りたいのに、僕の家業は養蚕農家。この土地では蔑まれているのに、ここに置いていいのか、三十五の男の傍に置いていいのか。ここは人攫いも多いから、余計心配になる。膝の悪い僕に妻が守り切れるのかってさ」
夫として守りたい一方、十五の娘っ子には、つらい環境なのではないか。
区別されたり、敬遠されたり、と蔑まれることは、泣きたいほど悲しいことなのだから。
また、年齢の近い男の子がやっぱり良いのではないかと悩んでしまう。彼女が頑張り屋で良い子だからこそ、よく悩むのだとジセン。
しかし、それをあやふやに言うとリオに怒られてしまう。
そんなにも自分が信用できないのか、と一方的な夫婦喧嘩になってしまうそうだ。彼は苦笑いを浮かべ、ティエンの疑問に答える。
「僕が言うのも、なんだけど、ユンジェにぶつけたら良いんじゃないかな。君の不安や、抱えている思いを」
「ユンジェに?」
「一人であれこれ悩んでも、結局何も浮かばない。どうしたら良いか、なんて人から助言を貰っても、それを実行できるか分からない。だったら取りあえず、あの子に思いをぶつけて、気持ちを固めたらいいさ。こういうのって、宣言したもん勝ちだと僕は思うんだよ。一度約束を口にしてしまえば、それを守ろうと、がむしゃらになるだろう?」
要はその時の自分にお任せだとジセン。
それは期待していた答えではなかったが、どうしてだろう、いまのティエンには十分すぎる答えであった。
そうだ。あの子はいつも、ティエンと約束を取りつけ、それに従って守ろうとしてくれるではないか。
だったら、自分も一人で思い悩むより、いっその高らかに宣言してしまった方が良い。
「それとティエン。君は王族の身分を捨てない方が良いと思うよ」
ティエンは目を丸くした。その意味は。
「王族はなろうとしても、なれる身分じゃあない。それは天が決めるものだ。きっと、君が王族として生まれたことには、強い意味があると思うんだ」
しかし。ティエンはもう二度と、王族になど戻りたくない。父や兄達のような冷たい人間と接するより、ジセン達のような温かみある人間と接して生涯を終えたいのだ。
するとジセンはティエンの隣に移動して、頭を乱雑に撫でてくる。
「戻れと言っているんじゃない。その身分を捨てなくて良いと言っているんだ。捨てるなんて、いつでもできることだろう? もしもの時、王族の身分が君を救ってくれるやもしれないじゃないか」
痛いほど何度も、頭を撫でてくるので、ティエンはその手から逃げようと頭を振る。少しばかり気恥ずかしかった。
「それとね。ティエン」
逃げるティエンに笑い、彼は言葉を重ねる。
「君はまだ十九の若造なんだから、もっと大人を頼って良い。君はユンジェのお兄さんかもしれないけど、僕は君の十六上のお兄さんなんだ。遠くに行っても、頼れる場所があることを知っておいてよ」
困った時は声を掛けて良い。ジセンの惜しみない気持ちに、自然と口元が緩む。やっと笑える余裕ができた。
「貴方は変わっていますね。呪われた王子に、こんなに優しくしてくれるなんて」
「言ったろう? 災いも歓迎すれば幸いになるって。僕は君と知り合えたことで、楽しい食事ができた。周りは蚕を触る人間を気持ち悪がって、僕を避けてばっかりだからね」
考えただけで腹立ってきた。いっそのこと、生糸を全部税で納めてしまい、織ノ町の人間を困らせてやろうか。彼はいたく真面目に考え始める。
「そうすれば、どれだけ蚕を触る人間が尊敬されるべきか分かってもらえるんじゃないかな。わっ、本気でそうしようかな。僕は自棄になってきたよ」
そうおどけるジセンに、ティエンは笑う。彼はまぎれもなく心から頼れる、素敵な大人であった。
その時である。
外から絹を切り裂くような、高い悲鳴が上がった。それはリオのもの。ジセンは血相を変えて、立ち上がった。
「リオの声っ、彼女に何か遭ったのかっ!」