荷馬車は広い桑畑に入っていく。
奥に進んでいくと、小さな平屋がいくつも見受けられた。
ひとつは生活の場とし、残りは蚕を育成したり、糸を紡いだりする場として使用しているとトーリャは説明してくれた。
荷馬車が平屋の前で止まる。
吹き抜けとなっているその平屋は、外からでも中の様子が見えた。
そこは竹で組み立てられた棚が、ずらりと連なっており、藁で編んだ大きな籠がたくさん収められている。あそこに原料の繭を作ってくれる蚕が飼われているそうだ。
奥の棚で籠を収めている少女がいる、リオだ。
ユンジェの記憶の彼女は、もっと幼い横顔をしていたのだが、向こうに見える彼女の横顔は色っぽい。子どもの面影を残しながらも、どこか大人びている。
「リオ、リオや。今帰ったよ」
トーリャの声に顔を上げたリオが、荷馬車に向かって微笑む。
しかし、それはすぐに崩れた。その目が自分を見つめてくるので、ユンジェが遠慮がちに手を振る。今度は泣きそうな顔で駆け寄って来た。
「ほら、ユンジェ」
ティエンに背中を押されたので、ユンジェはおずおずと荷馬車から下りた。
瞬く間に自分の前に立ったリオは、自分の両手を力強く握ると、「無事だったのね」と、言って大粒の涙を流し始める。
かれこれ一年余りの再会なので、ユンジェはどうすればいいか分からなくなった。
「り、リオ。いきなり泣くなよ」
上手く言葉が出ない。もっと気の利いた言葉を掛けてやりたいのだが。
「ユンジェ、無事で本当に良かった。里帰りする前に故郷は焼けてしまうし、貴方は行方知れずになってしまうし。かと思ったら、尋ね人になっているから、だから」
痛いほどリオの心配が伝わってくる。
本当に心配してくれていたのだろう。ユンジェは軽く、彼女の手を握り返し、「ありがとうな」と、礼を告げた。
詫びられるように、感謝を口にした方がリオも受け取ってくれると思った。
彼女は手の甲で涙を拭くと、はにかみを見せる。
「ごめんね、感極まっちゃって。そちらはティエンさんよね。一度お会いしたっきり嫁いでしまったものだから、憶えていないかもしれないけれど」
「いいえ、ちゃんと憶えています。初めて訪ねた時、優しく迎え入れてくれましたよね」
ティエンの声を聞くや、リオは驚きの顔を作る。
「えっ。もしかして男」
「……よく間違われますので、お気になさらず」
思いっきり気にしているではないか。
ユンジェは、ティエンの苦虫を噛み潰したような顔に、ついつい噴き出しそうになった。
リオは血相を変えてしまう。
「おっ、お母さん。どうして、はやく教えてくれなかったの。私、ずっと失礼な勘違いをしていたよ」
「あらあら。それって、あんたが寄越した竹簡に『奥さん』と書いていたことかい?」
たっぷり間をおき、ユンジェは間の抜けた声を出す。
「奥さん? ……おいリオ。お前まさか、ティエンのこと」
彼女は耳まで真っ赤に染めた。
「ユンジェが綺麗な人を連れて訪ねて来た時……その、年上の女性が好きなんだなって思っていたの。えっと、ごめんね。ユンジェ」
ユンジェもティエンを拾った時、思いきり勘違いをしてしまったので、強くは言えないが、それにしても、である。
誰よりも心寄せている少女から、あろうことか、とんでもない勘違いをされ続けていたのだと知ったユンジェの顔は青ざめてしまう。
かなしい。ユンジェはいま、とても悲しい気持ちになっている。
八つ当たりをするように、ティエンを睨んだ。
「ティエン。その女顔、どうにかした方がいいぜっ。もう、最悪だ!」
「遺憾なことに、この顔は生まれつきだ。それに、これは些細な勘違いだろう。以前、私を姉で通したのは誰だったかな?」
笑いをこらえるティエンの性格が悪いこと、悪いこと。
ユンジェは己の心情を見抜いている男に強く唸った。言い返せないことが悔しくてたまらない。
「おや? 賑やかだと思ったら、トーリャさん帰っていたのか。おやおや、見慣れない顔ぶれはお客様かな。嬉しいね、養蚕農家へ遊びに来てくれる人間は少ないから」
奥の部屋から丸眼鏡を掛けた男が出てくる。
その容姿は若い男とも、老いた男とも言い難い。足が不自由なのか、杖をつき、遅い足取りで歩んで来る。彼はここの家主、つまりリオの旦那に当たる男であった。
「ジセンです。どうぞ、よろしく」
ユンジェとティエンが頭を下げると、丁寧に頭を下げ返した。トーリャが故郷の友人だと軽く紹介すると、彼は二人の顔を交互に見やり、うんっと一つ頷いた。
突然の訪問に不快感を示す様子はない。
それどころか、あっさりと家に招こうとする。まだ詳しい素性も事情も聴いていないのに、ジセンは当たり前のように歓迎した。
事情を説明しようとすると、「だめだめ」と彼は手を振って、それを制してくる。
「そういった話はお茶を飲んでからだよ。僕は誰であろうと、初対面の人間にはお茶を出すと決めているんだ。温かいお茶を飲み交わすと、自然と相手の人柄が見えてくるからね。これは僕なりの挨拶なんだ」
それは挨拶といえるのだろうか。
お茶を飲む習慣がないユンジェには、これっぽっちも分からない。分かるのは、ジセンは贅沢品を飲んでいるんだな、ということくらいだ。
そこでティエンに視線を投げる。
普段からお茶を飲んでいた彼なら、意味が分かるのではないだろうか。が、彼も力なく眉を下げていた。困惑しているらしい。
「そうだ。大切なことを聞いとかないと。君達は甘いものと、しょっぱいもの。どちらが好きかな? お供でお茶の味が変わるからね」
いたく真面目に聞いてくるジセンに戸惑い、二人は思わずトーリャへ視線を投げた。彼女は肩を竦めると、苦笑いを浮かべる。
「言ったろう? 優しいけれど、変わっているって」