ただの棒きれとなった矢を足で小突き、上唇を軽く舐める。ひとまず、ティエンに向かう火矢は弾き落とせたようだ。
前から乾いた笑いが聞こえる。犯人はカグムであった。
「あの速度の矢を叩き落とすなんて、さすが麒麟から使命を授かった者。短剣を折られた時から覚悟はしていたが、これは想像以上だ。ホウレイさまが喜びそうだな」
背後ではハオが冷や汗を流している。
「おい、おい……本当に麒麟の使いだったのかよ。俺はてっきり、猪口才なことばっかりするクソガキとばかり。しかし、あの動きは化け物だろ」
どうやら、常人離れの動きをしているらしい。自覚は無い。頭の中は守ることで一杯だ。
連弩から放たれる火矢は雨あられのように降ってくる。
矢にまじって、石が飛んできた。列をなす兵の中に、弩を持つ者がいるのだろう。
さすがに、大きな石は細い懐剣では弾けず、持ち手の腕に食い込んだ。
痛みすら念頭にない。
ユンジェは考えた。どうすれば、この状況を打破できるかを。よく考えろ。敵はネズミが袋小路になったと油断しているはずだ。
(何かないのか? 何かっ、あ)
ふと、燃え盛る炎のうねりに乗った、風の動きの微かな変化に気付く。煙のおかげで、空気の流れが目に見えて分かる。
熱気を帯びたそれは、狭い洞窟の隅々にまで手が伸びている。
その中で、一つだけ煙を吸い込む穴を見つけた。
(あそこ洞窟……まさか)
連弩の列の先、森側にある奥の狭い洞窟に目を眇めると、ユンジェは踵を返して、ティエンの下へ向かった。
「ティエン。あそこまで走りたい」
火矢を懐剣で弾き、顎でしゃくる。
聡いティエンはそれだけで、すべてを理解したのだろう。短弓を持つと、矢を弓弦に引っ掛けた。
「頼む。届いてくれ」
その一声と共に、ティエンの手から矢が離れる。
闇夜を切り裂き、一直線に進む、それはタオシュンの乗る馬の首に刺さった。痛みにわななく馬が、二足立ちになった。兵達の気がそちらに流れる。
鳴き声を合図にユンジェはティエンの腕を引いて走る。
後からカグムとハオが追って来た。各々連弩の火矢の餌食にはなっていないようだ。それが飛んで来ても、紙一重に避けている。優秀な腕前と言われるだけあるものだ。
自由の利く弩の兵が、崖の真下を走るユンジェ達に狙いを定める。
拳ほどある石からティエンを守るため、ユンジェは己の着ている布を取ると、それを広げて敵の視界を覆った。
また、それを大きく振って石の軌道を少しでも逸らす。子ども騙しだろうが、やらないよりかはマシだ。
目的の洞窟に飛び込む。
真っ暗な穴の奥に、橙の光が見えた。ユンジェは天井を見上げ、毒蛇が潜んでいないか確認すると、ティエンと共に奥を目指した。
おうとつの激しい石と砂利の道は濡れていた。水の音が聞こえるので、どこかで湧水が発生しているのだろう。
「見えた。出口」
ユンジェは天を見上げた。
急傾斜になっている先に、微かに見える橙の明かり。あれは炎だ。
この洞窟は燃え盛る東の森と繋がっている。
タオシュンらは安全な西の小山側に陣形を取っているのだ。進むべき道は、もうここしかない。
しかし。急傾斜の岩道が行く手を阻んでいる。
(あそこに木が見える。使えるな)
ユンジェは目を細め、まだ火が回っていないことを確認すると、懐剣を口に銜え、頭陀袋から布縄を取り出す。
それの先端を刃で切り、重みのある石を拾って、何重にも巻いていく。
その横でティエンが己の頭陀袋から布縄を出し、両端をしっかりと結んだ。何をやろうとしているのか、ユンジェの動きで察したのだろう。
「ハオ。そこらへんに水たまりか、水場はない?」
最後尾で敵の動きを見張るハオが周囲を見渡し、手探りで地面を触る。
「俺の真後ろに水たまりがある」
「ティエン。縄を濡らしてくれ。水に濡らすと、結び目が解きにくくなる」