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その夜、ユンジェは夢を見る。
四方八方、真っ赤な炎に包まれる夢であった。
ユンジェが炎から逃れようと走っていると、逃げまどう麒麟を見掛ける。
天の生き物はうねりを上げる炎に包まれ、焼け爛れていた。美しい毛並みも鱗も角も焼けこげ、爛れていく麒麟は悲痛な悲鳴を上げている。
救いを求めるそれは、やがて断末魔を残して消えた。この世の終わりのような、不協和音を奏でた声であった。
恐ろしい光景に、ユンジェも頭を抱え、喉から血が出るほど悲鳴を上げた。
「ユンジェ!」
ハッと目を開けると、ティエンが満目一杯に映った。
ユンジェは飛び起きる。体中、寝汗をびっしょりと掻いていた。暗い天幕が真夜中であることを教えてくれる。
「ずいぶんと魘されていたぞ。大丈夫か?」
呆然とティエンを見つめる。
彼はユンジェの魘された声に目覚めたようだ。肩で息をする自分に、悪夢でも見たのかと尋ね、何度も背中を擦った。
「あく、む?」
ようやく夢を見ていたことに気付く。
しかし、あれは縁起でもない夢であった。そして、とても生々しい夢だった。まだ麒麟の悲鳴が耳にこびりついている。体が震えて仕方がない。
「よほど、ひどい悪夢を見たんだな。お茶を持ってくるから、それを飲んで落ち着きなさい」
立ち上がるティエンの姿に、夢の炎が重なった。強い衝動に駆られる。まさか。
「ティエン! お前はそこにいろ!」
ユンジェは頭陀袋の上に置いていた懐剣を掴むと、天幕を飛び出した。遠ざかる呼び声を背中に受けながら、洞窟の入り口に立った。
「出たな、クソガキ……中に戻れ。仕事の邪魔だ」
見張りをしていたハオが、眉間に皺を寄せて近寄ってくる。
その手に持っている槍の先端で軽く小突かれたが、夜の外を見つめるユンジェには余裕がない。嫌なほど鼓動が高鳴っている。
「ねえ! この洞窟は渓谷のどの辺り?」
「あ? それを知ってどうするんだ」
「いいから!」
剣幕に押されたのだろう。ハオは頭部を掻き、面倒くさそうに答えた。
「どの辺りって……あーっ、大体真ん中?」
この渓谷は森と小山の間にある。
西を見れば小山、東を見ればユンジェ達が逃げ回った森があり、北から南にかけて急流が流れている、狭い狭い渓谷だそうだ。
しかし、切り立った岩場が多いため、身を隠せる洞窟も多いのだとか。
仮に追っ手が来ても、探し出すことは難しいだろう。
「こんなところだ。満足したか。ガキ」
洞窟が多い渓谷。
ユンジェは顎に指を当てた。
「森の出入り口は吊り橋だけど、小山の方はどうなっているの?」
「まだあんのかよ。出入り口? 確か、緩やかな一本坂じゃなかったか?」
「……この渓谷も一本道だよね」
そうだと気だるく返事するハオが、もういいだろうと突き返す。
早く戻って寝ろ、と命じてくる彼は、明日には出発するのだから、と口を滑らせた。それを濁すように寝ろを連呼する彼は、内心焦っているようだ。
なるほど、王子に心積もりをさせず出発させようという魂胆か。
「森の吊り橋はこっちだよね。松明借りるよ」
ユンジェは岩に挟んであった松明を取ると、急流の流れに沿うように走り始める。ハオが悲鳴を上げ、自分の前に回った。
「てめ! ふざけるんじゃねーぞ。お前のことは、特に目を放すなってカグムに言われているのに」
「俺は逃げねーよ? ティエンを天幕に残しているのに、逃げるわけねーじゃん」
「お前が妙なことをしねーか、それを心配してんだよ。俺は」
「妙なことって、例えば?」
「俺が知るか!」
どうもハオとは気が合いそうにない。会話がずれていく。
「わかった。じゃあ、一緒に来てよ。それならいいだろう?」
素っ頓狂な声を出すハオに、「早くしろよ」と言って、彼の脇をすり抜ける。
ふざけるなと怒鳴り声を上げてくるハオは、ユンジェの律儀に後を追って来た。意外と仕事熱心な奴なのかもしれない。
ユンジェは真っ暗な急流に目を向ける。
ごうごうと音を立てて流れる水の勢いは速い。うっかり足を滑らせて、落ちてしまえば、呑み込まれてしまいそうだ。
ふと、岸に引っ掛かっている流木が視界に入った。足を止めて松明で照らす。
(この木、焦げてる)
触れてみると、生温かった。鳥肌が立ってしまう。
「はあっ。やっと追いついたっ……クソガキ、足が速いんだよ」
「俺はユンジェ。ガキじゃな……ねえ、見てよ。あれ」
ユンジェは松明を持たない手で、東の方を指さす。
怪訝な顔を作っていたハオが、眼を見開いた。向こうの空がうっすらと赤い。まるで暁のようだ。
もう少し、森の方角に近づいてみると、急流の途中から大量の板と縄が流れてきた。それらはきな臭いを放っている。もう疑う余地もなかった。
「森が燃えている。燃やされている――タオシュン達が来る」