なのに。セイウは耳障りだと言って、兵士らに侍女を連れ出すよう命じた。これではろくに話もできない、と言って。
「な。なにが起きて」
「ふふっ、リーミン。硝石は火薬の原料なのですよ。じつに、うつくしい火花でしたね。少しの火や衝撃で、あんなにも爆ぜるなんて」
ユンジェの髪を弄りながら、セイウがご機嫌に笑う。
(冷たい男だとは知っていたけれど。まさか、ここまでだなんて……)
当たり前のように、仕えている人間を危険な目に遭わせて、硝石の正体を教えるセイウが恐ろしくてたまらない。セイウは王族以下の人間をみな、畜生だと思っているのではないだろうか。自分は今、こんな男の懐剣になっているのか。火薬を平然と使わせる男の懐剣に、平然……ふと。ユンジェは顎に指を当て思考を回す。
「将軍グンヘイ。あの侍女の身分を聞いても?」
「小僧、何を唐突に」
セイウが視線を送ると、グンヘイがしぶしぶ里の人間だと返事した。その身分は、貧しい鍛冶屋の娘だそうだ。なるほど、ユンジェはうんっと頷く。
「だったら、貯蔵庫に硝石を運んだのは侍女か、従僕なんじゃないかな」
「なに?」
グンヘイが室内にいる侍女や従僕らを睨む。みながみな背筋を伸ばし、深くこうべを垂らして、身の潔白を訴えた。
すかさず、ユンジェは話を続ける。
「ただし。侍女達は貯蔵庫に運んだだけに過ぎない」
おおよそ、侍女や従僕は硝石を岩塩だと思って運んでいた。
舐めればしょっぱいのだ。ユンジェのように無知であれば、硝石が岩塩だと言われても、何一つ疑わない。またセイウは硝石を火薬の原料だと言った。
となれば、戦に赴いたことがない者であれば、やはり岩塩だと信じてしまうことだろう。
そう、みな硝石を知らない。
今しがた、火薬の犠牲となってしまった侍女もそう。火薬の存在すら知らなかったのだろう。だから平然と燭台を飾壷に入れることができた。
反面、兵の身分に置いている者はみな、侍女から距離を取った。それは火薬の脅威を知っているからだ。
「硝石を運ばせた人間こそ、俺は犯人だと思うよ」
それも火薬の知識を持つ人間ではないか、とユンジェは意見した。
「セイウさまが襲われた、あの事件の時には、もう既に準備が整っていたのかもしれない」
火薬の威力なんぞユンジェには露ひとつ想像ができないが、下手をすれば、この屋敷が燃え上がっていたのでは? 火薬は少しの衝撃や火の気で爆ぜるそうだし、なんせ王族を狙った輩だ。王子の首を討ち、なおかつ王族の配下にいる将軍の屋敷を吹き飛ばせれば、一石二鳥だろう。
「なるほど。岩塩と混ぜれば、確かに屋敷の中に運びやすくなる。人目はあるでしょうが、何せ食い物の貯蔵庫です。入るのは侍女や従僕ばかりでしょう」
セイウが興味津々に耳を傾けてくる。その目は実に楽しそうだ。
グンヘイは未だに、顔を真っ赤にしている。彼こそ怒りで爆ぜるのでは? ユンジェは皮肉を思った。
「セイウさま。明日にでも、ここを発ちましょう。リーミンも手に入ったことです。この里に滞在する必要は、どこにもございません」
遠回し、ここは危険だと、チャオヤンは進言する。グンヘイの睨みがチャオヤンへ行ったが、彼はセイウの身の安全を第一に考えた。
近くには第一王子と第三王子もいる。いつ、セイウが狙われるか分からない。麒麟の使いを連れて帰るべきだ、と訴えた。
その瞬間、ユンジェは強い使命感に駆られた。自然と言葉が口から零れる。
「セイウさまは天降ノ泉へ行かねばならない、大切なご使命がございます」
第二王子だけではない。第一王子、第二王子もそう。選ばれた三人の王子は、天降ノ泉へ行かねばならない。そこで麒麟が次の王を待っているのだから。
だから、ああ、だからどうか。ユンジェはセイウの前で平伏し、天降ノ泉へ行くよう願い申し出た。
いま宮殿に帰るということは、王座を拒否するのも同じ。麒麟の使いである自分は、黎明皇となる者の懐剣となり、所有者を守る使命がある。セイウが麒麟を無視して宮殿に帰るのであれば、ユンジェはこの懐剣を彼に返さなければならない。
たとえ、主君がセイウであっても、こればかりは譲れない。
「ならば。迷わず私を導きなさい。リーミン」
そっと顔を上げる。そこには底知れぬ欲と、優越感に浸っている男の顔があった。
「私は国に一つしかない懐剣を、誰にも渡さない。父にも義兄弟にも」
麒麟が自分を待っているのであれば、瑞獣の意思に従い、天降ノ泉へ行こう。そこで麒麟が手に入るやしれない。おっと、うっかり口が滑った。
セイウは口端を緩めた。足を組み直すと、ユンジェの顎を右足の甲で掬う。
「お前はよく考え、答えを導き出す子ども。それを人は賢い、と呼ぶのでしょう。だったら、その賢さを私に捧げなさい。その心は常にセイウを想い、その身はセイウのために尽くしなさい。リーミン、他の誰かと迷うことは許されない。お前の体にはセイウの血が流れていることを忘れてはいけませんよ」
セイウが笑みを深める。やはり、この男には敵わない。どんどん己が奪われていく。
(俺の名前、もう一生思い出せないかもしれない)
いや、そんなことはない。きっと大丈夫。ティエンがきっと、名前を思い出させてくれる。そう彼は自分に約束してくれた。だからそれまでの辛抱、ティエンがくるまでの辛抱なのだ。
「セイウさま、どうかリーミンめと共に天降ノ泉へ」
ユンジェはそっと彼の右足を両手で包み、足の甲に額を当てた。