「て、てめえっ! よくもティエンを! くそ、放せよ!」
咄嗟に掴んだ懐剣を振り回し、輩の手から逃れようと躍起になる。びくともしない。胸倉を掴む力が強まると、呼吸が苦しくなった。力の差は歴然だ。
タオシュンが懐剣を見て鼻で笑う。
「黄玉に加護が宿っていない。やはり、貴方様に王族の資格はあらず」
首が絞まっていく。ユンジェは呻いた。
「だめっ、だ……ティエンっ……来るなっ」
まだユンジェを救おうと、地面を這うティエンにタオシュンが一瞥し、不敵に笑う。本能が警鐘を鳴らした。嫌な予感がする。
「麟ノ国を亡ぼす、忌まわしき王子よ。とくと見ておけ、これが貴様を匿った謀反人の愚かな末路よ」
タオシュンの口調が荒くなり、ティエンを侮蔑するように唾を吐いた。
ユンジェは吊り橋の前で待機している、輩達の下へ連れて行かれる。
そこには大勢の人間がいた。地面に落とされると、逃げる間もなく囲まれ、容赦なく蹴られ、殴られる。
それは殺すのではなく、甚振られると呼ぶに相応しい。
何度も腹部を蹴られ、放った手を踏みつぶされた。
至近距離から矢を撃たれ、腕に刺さった。槍の柄で殴られることもあれば、それ自体を足に刺されることもあった。
たくさんの痛みが与えられ、悲鳴が口から迸った。生理的な涙も出た。血も出た。酸いのある胃液も吐いた。訳が分からなくなった。
「あれが末路よ。小僧はお前のせいで、楽に死ぬことができず、地獄を味わっているのだ!」
遠いところでタオシュンの嘲笑う声が聞こえる。
ユンジェの目が正常なのであれば、ティエンは青白い顔で、こちらの様子を見ている。
彼を押さえつけているタオシュンが無理やり、その光景を見せているのだろう。ユンジェを助けようとする彼を、見下している。外道め。
気付くとユンジェは、うつ伏せになっていた。
ぼやけた頭で分かるのは、手足を押さえつける男達と、髪を引っ張られる痛みと、首を狙うよう指示する声と――ああ、そうか。輩達はティエンの目の前で、ユンジェの首を刎ねてしまうつもりなのだ。
どこまでも非道な奴等だ。
そんなにピンイン王子とやらを苦しめたいのだろうか。
(ティエン……ごめん。もう、俺、無理みたい)
手足が動きそうにない。体が石のように重い。痛みが麻痺し始めている。なによりも眠たい。冷たい雨粒が心地良い。
(この後、ティエンはどうなるんだろう)
ユンジェはここで終わる。簡単に首を刎ねられて、お仕舞いとなろう。
では、残されたティエンはどうなる?
彼もユンジェと同じ道を辿るのだろうか。
それとも、ユンジェよりも酷いことをされてしまうのだろうか。
彼はまた、ひとりになってしまうのだろうか。
ティエン。
美しき顔を持った、天人のような男。
生きる術を何も知らなかった彼は、本当に手の掛かる男であった。食事に我儘な男であった。
しかし根は優しく、義理堅く、努力家で、いつもユンジェの精神を支えてくれる兄のような存在であった。
(おれ、ティエンを知らないまま……死ぬのか)
走馬灯のように、二人で過ごした日々が蘇る。
「小僧の首を落とせ!」
ティエンにまだ何も聞けていない。本名がピンインだということしか、彼が王子ということしか知らない。
(このまま死ねるかよ。俺が先に言ったんだ。最後までティエンに付き合うって)
虚ろになっていたユンジェの目に光が戻った。あれほど甚振られても、握り締めていた懐剣を見据える。
握り締めているそれから、確かな鼓動を感じる。
脈打つ懐剣は声なき声で、ユンジェに使命を託そうとした。厳かな声は麒麟であった。夢で向かい合った麒麟が、ユンジェの前にふたたび現れようとしている。
――迷う必要など、もうどこにもない。
ユンジェは最後の力を振り絞って、頭を持ち上げると、右の手を押さえつけている輩の手に噛みついた。
拘束の手が緩まった瞬間、身をよじって鞘を銜える。