「なにも変わりはないか?」
見張り兵らに尋ねる。首を横に振ったことを確認した後、チャオヤンは扉を押して中へ入った。
すると。寝台で体を休めているはずの懐剣の子どもが、寝衣姿のまま大きな飾壷の中を覗き込んでいる。
よほど中が気になっているのか、身を乗り出し、半身を壷に入れていた。深い傷を負っているはずなのに、子どもは強靭なのだろうか。
「リーミン」
「うわっ!」
やや強めに名前を呼べば、子どもが間の抜けた驚きの声を上げた。
しかし、身を起こす様子はない。いや、身を起こせないようだ。足をばたばたさせている子どもに、チャオヤンは無言で歩み寄り、脇の下に手を入れた。
「壷を覗き込んで何をしている」
体を持ち上げると、子どもは「落っこちなくて良かった」と言って、ホッと胸を撫で下ろした。念のために飾壷の中を確認する。底の深い壷には一見、何も入っていないように思える。
ユンジェを下ろす。
再三再四、何をしていたのか、と詰問すると、子どもはきょとんとした顔で壷を覗き込んでいたと答えた。それは分かっている。問題はその後だ。
「リーミン、お前はセイウさまの命で、部屋で身体を休めるよう言われていたはずだ。なのに、命に背いて部屋をうろついていた。それは、とてもいけないことだ。セイウさまがいつ、うろついて良いと言った?」
チャオヤンは片膝をついて、子どもと目線を合わせる。
しかし、叱りつけてもなんのその。ユンジェは口笛を吹き、「べつに部屋からは出ていないよ」と、小生意気に反論した。
「確かに部屋で休め、とは命じられたけど、部屋の中をうろついちゃあいけない、なんて命令は受けていないよ。俺はちゃんと部屋から出ずに、ここで身体を休めていた。うん、命に背いたも何もないじゃん」
叱られる理由なんぞ、これっぽっちもない。ユンジェは悪びれた様子もなく舌を出した。
チャオヤンは子どもの小生意気さに心中で吐息をつく。
どうも、この子どもは主君の傍から離れると、己の心を取り戻すようだ。セイウの傍にいる時のユンジェは王族の下僕として、まるで犬畜生のようにおとなしく従順になるというのに。
きっとそれは主君のセイウが、その姿を望んでいるからだろう。
(この姿こそ、本来のリーミンの姿)
こうして顔を合わせて、はじめて分かる。
ユンジェは麒麟の使いなんぞと、大それた肩書きを持っているが、大人のチャオヤンから見れば「ただの子ども」だ。それ以上も以下もない。
(なのに。一たび懐剣を抜けば、主を守る麒麟の使いとなる。持ち主によっては心を失い、大人も恐れる戦狂いになる……物は持ち主によって物の寿命が変わる。同じようにリーミンは性格が変わってしまう。本当に物のようだな)
哀れみを抱いていると、ユンジェが飾壷を指さす。
「なあ。どうして部屋に空っぽの壷を置くの? 普通、壷って物を入れるよな? 俺、いつも壷を使って塩漬けを作っていたよ。油や水を入れていたこともあった。なのに、この部屋の壷は空っぽだ。それって何か意味があるの?」
なるほど。子どもは元々農民の子。壷の中に何か入っているのでは、と好奇心をくすぐられ、壷の底を覗いていたようだ。
「あれは飾壷といってな。部屋の見栄えを良くするために置くんだ。普通の壷より、鮮やかな細工がされているだろう? あれは目で見て楽しむものなんだ」
「物はいれないの?」
「あれは飾るためのもの。普段から何も入れないよ」
「ふうん。じゃあ、そっと物を入れてもばれないね」
だって、みんな、飾壷には何も入れないものとして見ているのだから。
ユンジェは意味深長に肩を竦める。
続け様、子どもは飾壷を見つめて、あの大きさなら、手に持つ大きさの物なら容易に隠せるだろう、と推測を立てた。小さい刃物や書物、小道具は勿論、それこそ油を薄く張っていても簡単に見抜くことは難しいのでは。
あれこれ物を言うユンジェは、チャオヤンにこんなことを尋ねた。
「賊が椿油を仕掛けた、あの騒動の後、飾壷の中身は調べた?」
「ああ、もちろんだ。壷の中身はすべてひっくり返して調べているよ」
「その時は何か出てきた?」
「いくつかの部屋に椿油の入った壷が出てきたよ」
賊は用意周到であった。
王族が何処へ行っても狙えるよう、椿油を飾壷や水瓶に忍ばせていたのだから。きっと第二王子がこの部屋を使用すると確信を得た後で、床に椿油を張るつもりだったのだろう。
チャオヤンはあの騒動の首謀者は、将軍グンヘイなのでは、と怪しんでいる。
やたら麒麟の使いを怪しみ、我が手で預かると進言する、あの態度が妙に鼻につく。表向きはセイウに忠誠を誓っているが、あの忠誠心の薄さは一目で見抜けるもの。
「それは毎日、ちゃんと調べているの?」
子どもの問いによって、思案に耽っていたチャオヤンは我を取り戻す。
「もしも一回っきりだとしたら、警戒心が足りないよ。この屋敷にいる間は毎日調べなきゃ。ここはセイウさまの屋敷じゃあない、将軍グンヘイの屋敷なんだから。俺が狡い賊なら、調べ切った頃合いを見計らって、飾壷に物を隠したり、油を仕込むよ。屋敷の構造をよく知っている賊なら、王族の目を盗んで仕込むことも簡単だろうしさ」
なにより、こう思うのではないだろうか。
あのような大騒動を起こした後なのだから、みんな二度も同じことは起こせないと信じているに違いない。
王族や見張り兵の目もあるし、一度は屋敷中を隈なく調べたのだから、もう大丈夫だろうと安心していることだろう。隙を突くなら、そこしかない、と。
意気揚々と語るユンジェは、さっそく確かめに行こうと言って、チャオヤンの脇をすり抜けた。急いで子どもの手首を掴み、どこへ行くのかと語気を強めれば、ユンジェがきょとんとした顔で首をかしげた。
「もちろん、飾壷が置いてある部屋だよ。よく見ておきたいのは、王族が過ごす部屋だけど、念のため飾壷が置いてある部屋は全部確かめておこうと思って」
「リーミン。それは兵士の仕事だ。お前がすることじゃあない。後で頼んでおくから」
「チャオヤンが確かめるわけでもないんだろう? だめだよ。ちゃんと自分の目で確かめないと。それに、飾壷を確かめるってことは屋敷を歩き回るってこと。つまり、構造が知れるってことじゃん」
それこそ屋敷の回廊から、屋敷内の部屋の数から、個々の部屋の構造まで知ることができる。王族を襲った賊と同じ知識を得られる。こんなにも好条件が揃っているのだから、自分で調べない手はない。
きっぱりと言い切るユンジェは、呆気に取られるチャオヤンの衣を引いた。
「チャオヤン、さっそく行こう。どうせ、俺ひとりじゃ部屋から出してもらえないんだろう? 一緒に来てよ」