曰く、その方が兵士に見つかる危険も少なく、何か遭っても逃げる時間が稼げるだろう、とのこと。

 その結果、広場から少し離れた、高さのある家屋の平たい石屋根にのぼることが決まった。

 ここならば、そう簡単に兵士にも見つからないだろうし、見つかりそうになっても、身を伏せて過ごすことの可能だ。

 なにより広場の隅々まで見通すことができる。サンチェは鼻高々と言ってのけた。

 名案だ。ユンジェもきっと、同じような案を出すだろう。

「……クソガキも大概で野人だったが、このクソガキも野人だったか。揃いも揃って、高い所にのぼろうとしやがる」

 屋根の上にのぼることに、ハオは少々不満を持っているようだったが、時間は惜しい。
 ティエンは頭陀袋から草縄を取り出し、小石を先端に結びつけて、近くの木に放った。軟な力ゆえ、カグムの手を煩わせることになったのは余談としておく。


「よくもまあ、そんな非力でのぼろうと思いましたね。ティエンさま」


 嫌味を頂戴し、絶対に力をつける、と悔しい気持ちを抱いたのも蛇足としておく。

 こうして屋根にのぼり終えたティエンは、みなと共に広場の様子を窺った。
 不思議な光景が目の前に広がっていた。
 王族がいるにも関わらず、里の人間は平伏せずに広場を囲っている。それどころか広場の中央を指さし、興味津々に隣の人間と話を交わしている。

「あれ、ユンジェじゃね?」

 サンチェも指をさす。

 そこには色鮮やかな敷物と、数人の侍女と従者。そして、重量感のある木の椅子。

 その椅子には美しい簪や絹衣をまとった第二王子セイウと、同じく美しく着飾ったユンジェの姿があった。見慣れた顔なのに、見惚れるほど美しい容姿をしているように思えるのは、やはり贅沢の力が原因なのだろう。

 ティエンの両隣では、「クソガキがクソガキじゃねえ……」だとか、「あれで農民の子どもなんだから驚きだよな」だとか、「うへえ。ユンジェの奴、似合わねぇ」だとか、好き勝手な感想が飛んでいる。

 ユンジェが聞けば、さぞ苦笑いすることだろう。


 そんなユンジェは、セイウの足元で片膝を立てるように座っていた。

 寛いでいるようにも見えるが、思案しているようにも見える。正直、距離があるのでユンジェの細かな表情は読み取れない。

 目を引くと近くには、ああ、忘れもしない。おぞましい将軍グンヘイの姿。王族兵を連れて、第二王子の傍に立っている。

 またセイウの前には、両膝をつかされている、三人の男の姿が見受けられていた。首に縄が括られている様子から、おおよそ罪人だろう。

 セイウが口を開く。声はティエンの耳まで届く、よく通った声であった。


「王族に刃向かい、このセイウの首を狙った、愚かな賊の残党よ。いま一度、お前達に機会を与えましょう。お前達が自由になれる、その機会を」


 それだけではない。
 昨夕の襲撃に対する罪は不問とし、それぞれ願いを聞いてやる、とセイウは告げた。

 罪人らは大層訝しげな顔をしていたものの、とうの本人は生涯遊んでくらせる財をくれてやっても良いし、王族の兵士として雇っても良いし、土地をくれてやっても良い、と太っ腹なことを口にしていた。


「なんなら、私の首をくれてやっても良いですよ」

「せ、セイウさま」


 なんてことを言うのだ。

 口を挟んできたのは、近衛兵のチャオヤンであったが、セイウは右の手をあげて、彼の言葉を制する。

「此処に集まる里の人間らが、私から言質を取っています。ゆえに約束は(たが)えません」

 一度不問にしたからには、決して王族兵に手出しなんぞさせない。

 食えない笑みを浮かべ、肘掛けで頬杖つくセイウは語りを続ける。


「なあに。そう身構える必要はありません。少しばかり、私と勝負をしてもらいたいのです。聞くにお前達は元兵士だと聞いているので、どれほどの腕前なのか、少々見てみたい。リーミン、おいで」


 セイウが椅子から腰を上げると、ユンジェも立ち上がって、第二王子の背中を追い駆ける。その後を兵士達が追おうとするが、セイウは誰も来るな、と強く命じた。

(勝負? ……まさか兄上)

 嫌な予感を過ぎらせるティエンは天に祈った。この予想は外れてくれ、と。

 しかし、天は無情だった。

 セイウはユンジェの肩に手を置くと、兵士らに罪人の縄を解くよう命令し、高らかに言うのだ。

「この子どもは麒麟の使い。天から使命を受けた懐剣。これを折ることができれば、お前達の勝ちです。誰か、罪人らに剣を与えなさい。飛び切り良い切れ味の良い剣を」

 途端に里の人間らは口々に言った。

 やせぎすの子どもが麒麟の使い? なんて勝負だ。決まり切った勝負ではないか。勝てるわけがない。

 同じようにティエンも勝てるわけがない、と心中で嘆いていた。
 吐き気と眩暈がしてくる。なんて勝負だ。向こうに慈悲深いことを言っているようで、最初から決まり切った勝負を仕掛けるなんて。仕掛けるなんて。

「ど、どうしよう。ユンジェの奴、大人と勝負をさせられそうになっているぜ。死んじまうよ」

 青い顔をしたサンチェが急いで助けに行こう、とティエンの外衣を引っ張る。
 反応ができなかった。急かされても、返事すらまともにできずにいる。

「ティエンっ」

 サンチェが声を強めると、カグムがそっと子どもの肩に手を置いた。

「……大丈夫だ。ユンジェなら、大丈夫」

「えっ。でも」

「寧ろ、可哀想なのは、偽りの希望を持たされた罪人たちの方だ」

 哀れむカグムの言葉は、吹きすさぶ風に呑まれてしまう。ユンジェが懐剣を抜いた合図だ。

 その場にいる人間を圧倒させるほどの風を纏い、麒麟の使いと呼ばれた子どもは帯にたばさんでいる懐剣を抜くや、剣を向かって来る三人の男を見据え、冷たく微笑んだ。

 ティエンの背筋が凍ってしまうほど、それは冷たい笑みだった。

「あんた達はうつくしくないね」

 美醜を口にする子どもは、ユンジェらしくなかった。

 一振りの剣を避けると、目にも留まらぬ速さで懐に入り、容赦なく喉元に懐剣を差した。

 返り血で真っ赤になったところで、次の一振りを懐剣で受け止める。しかし、すぐに相手を斬り捨てることはせず、三人目の男を受け止めるために走った。

 それはセイウに向けられた一振りで、迷わず第二王子の胴を狙っていた。