「分かりましたか? グンヘイ。見ての通り、リーミンは私には逆らえない」


 セイウは兵士にティエンの懐剣を紐で縛らせると、立てた膝に麒麟の使いを凭れさせる。抵抗もないまま、膝に凭れる子どもの髪を指で弄り、彼は満足気に笑声をもらす。


「麒麟の使いは麒麟に使命を与えられ、その身に懐剣と同じ加護を宿しています。暗殺など到底、無謀な話。殺意を抱く前に、自刃して果てることでしょう」


 万が一にも暗殺は不可能だ。

 言い切ったセイウは、鼻の穴を膨らませている将軍グンヘイに、早いところ真犯人をひっ捕らえてくるよう命じた。天の次に位の高い王族を狙ったのだ。これは許されない物騒沙汰。捕まえられなければ、後釜を考えなければならない、と静かに脅した。

 さすがのグンヘイも、追及の口を止め、必ず捕らえてくる、と頭を深く下げた。左遷させる危険を感じたのだろう。でっぷりした腹を揺らしながら、客間を後にした。

「宜しかったのですか?」

 頃合いを見計らい、近衛兵のチャオヤンがセイウに耳打ちする。

「貴殿からリーミンを奪おうとしていたみたいですが」

「麒麟の使いを欲したのでしょう。じつに頭の悪いやり方でしたね。醜いものです」

「切り捨てても良いのでは?」

 でなければ、セイウにどのような不幸が降りかかってくるか。
 惜しみない憂慮を向けるチャオヤンに返事をしたのは、膝に凭れるユンジェであった。子どもはうつろな目で、けれど強い意志を宿しながら、大丈夫だと言う。

「主君に寄ってくる醜いものは、ぜんぶ、ぜんぶ、俺が切り捨てるから。そのために、俺はここにいるんだから。なにより、俺はグンヘイが嫌いだ。汚い」

 第二王子セイウ一行の早馬がグンヘイの下に来ても、彼はすぐには動かなかった。懐剣の子どもを見つけ出すことに躍起になっていた。ユンジェは一部始終を見ていたという。
 あれは罪深い行いだ。下僕のすることではない、と子どもは肩を竦めた。

「どうしても、あれを斬ってはいけないの? 貴方が望むなら俺は迷わず斬るよ」

 主君には常に美しいものだけを。それがセイウの願いなら、自分はそのための道を切り開く。ユンジェはうわ言のように呟いた。
 先ほどまでセイウに見せていた、強気な姿勢はどこへやら。

(これも主従の儀によるものか。美醜を口にするのは、持ち主(わたし)の影響かもしれない)

 それが愉快でならない。
 ぜひ、この姿を愚弟に見せつけてやりたいものだ。国に一つしかない懐剣を、心ごと奪ってやったのだから。

「リーミン。お前の昔の名前を憶えていますか?」

 問うと、子どもはひとつ唸り、正直に返事した。

「ごめんなさい。まったく憶えていません。それは、いまの俺に必要な名前ですか?」

「いいえ。忘れたのなら、それで良いのです。むしろ、すべて忘れてしまいなさい。リーミン、お前は私の収集物(コレクション)。私の懐剣。セイウだけの懐剣」

 リーミン以前の記憶など一切不要だ。

「お前はお前のお役を果たしなさい。このセイウのために」

「はい」

 素直に返事する子どもの腹の虫が鳴る。美しくない音ではあるが、これは懐剣でも人間。十分に食事をさせ、睡眠を取らせなければ折れてしまいかねない。

 チャオヤンの一報では、先ほど賊を追い駆ける際、動けなくなったそうだから、使いどころは見極める必要性がある。

 あくまで、この子どもは懐剣。所有者を守るための剣であって、敵を滅する剣ではない。


(それでも、つい滅する美しい姿が見たくなる。私の悪い癖だな)


 セイウはユンジェの髪を口元に運び、冷たく頬を緩めた。

 その傍では麒麟の使いが主君の膝に凭れ、しきりにセイウの懐剣を撫でていた。鞘に触れる指先は、麒麟の加護が宿った黄玉(トパーズ)を何度もなぞっている。
 
 第三王子の手によってヒビが入った黄玉(トパーズ)をなぞる、ユンジェの目はすでにうつろなものではなかった。生気と意志を強く感じさせる、みなぎった瞳をしていた。