ああ、せっかく幼子らや年長のために盗んだ食い物が。ユンジェがくれたセリや血止草が。なにより、ユンジェに託された麒麟の首飾りが、男らの手に渡っているではないか。

(何してるんだ、俺は。こんなところで道草食ってる場合じゃねえだろう)

 サンチェは荒呼吸を繰り返しながら、肘で体を前へ前へ進める。その先には、男の一人がサンチェに投げた太い棍棒が転がっていた。

「麒麟の首飾りだ。細かな彫刻は、指折りの者が彫ったに違いない」

「こりゃあ高値で売れるな」

「しかし。麒麟の装飾品をする輩は、たいてい貴族か、王族と決まっている。なら、あのガキは貴族か何かの末裔か?」

「将軍グンヘイなら、貴族の子どもでも攫いそうだな」

 能天気に笑う男達を睨みつけ、サンチェは死に物狂いで棍棒を掴み取ると、痛み体を無視して駆け出した。一目散に首飾りを持つ男の後頭部を殴りつけ、心の底から叫んだ。


「汚い手で触んなっ! それには大事な願いごとが託されているんだよ!」


 頭を押さえる男の手から麒麟の首飾りが滑った。地面に落ちる前に、それを受け止めると、サンチェは頭陀袋も、食い物も置いて、男達から逃げた。
 頭陀袋はまた、どこかで盗めば良い。食い物だって、盗むなり、森で調達するなり、なんとかすれば良い。

 けれど、麒麟の首飾りだけは、これだけは誰の手にも渡せない。


 サンチェは約束したのだ。
    

 これをユンジェの兄に渡すと、重い物を抱えたユンジェの助けになると、願いごとを叶えると約束したのだ。これを彼の兄に渡すことで、ユンジェを救える。それを信じてサンチェはこれを受け取ったし、ユンジェは自分を信じてくれた。

 だから、だから。サンチェは走りながら麒麟の首飾りを通すと、それを右手で握り締めた。


(もう守れないのは嫌だ。父さんも、母さんも、姉さんも守れなかったけど。死んだチビ達だって守れなかったけど。だけどっ、今度こそ、今度こそ守るんだ。約束だって、チビ達だってっ!)


 思い余った感情が目から零れ落ちて頬を伝う。
 それを手の甲で拭うと、サンチェは背後から聞こえる怒声で距離を測り、必死に足を動かした。

 がくん。前に出した右足が地面に取られる。

 どうやら、急傾斜に足を取られたようだ。
 森は平らな地面ばかりではない。木の根だらけの、でこぼこした地面や、急な傾斜がたくさんある。
 だから夜の森は本当に危険で、松明なしで走るのは命知らずの行為なのだが、サンチェは物の見事に急傾斜に足を取られ、滑り落ちてしまった。

 しかし。
 そこまで距離のある傾斜ではなかったようで、サンチェの身は転がる程度で済んだ。開かれた場所は、(かすみ)ノ里まで続く道途のようで、周りに草や木の根は見当たらない。

 とはいえ、先ほど男らから散々殴られたサンチェなので、一度倒れてしまえば最後、体が思うように動かない。
    

 もう、頭はぐらぐらで、足はがくがく、息は切れ切れであった。


(耳鳴りがしてきた……気分がっ、悪い)


 吐きそうだ。サンチェは霞む目をこじあけ、地面に爪を立てる。


「このガキが。舐めたことをしやがって」


 頭を強く踏まれる。連中のひとりに追いつかれたようだ。足音がもう一つ聞こえてきたので、殴り飛ばした男も追いついたのだろう。
 腹部を容赦なく蹴り飛ばされたことで、それは確信へと繋がった。ああ、痛い。蹴られたせいで、軽く胃液を吐いてしまった。息が思うようにできない。

 見下ろしてくる男らの顔は、暗くてよく見えないが、きっと世にも恐ろしい顔をしているのだろう。

 おおよそであるが、男らはサンチェの態度に憤り、売り飛ばすことをやめて、嬲り殺すことを選ぶに違いない。醸し出す空気がそれを教えてくれる。

 だったら。サンチェは死に物狂いで抵抗し、連中から逃げなければ。

 一瞬のことだった。
 まるで意思を宿したかのように、首飾りが真上に飛び上がる。
 その隙を好機としたサンチェは、胸倉を掴んでくる男の手に噛みつき、肉を断つ勢いで喰らいついた。

「手がぁあっ! 放せ、ガキ、放せ!」

 拳で叩かれる。棍棒で殴られる。太い足で蹴られる。

 それでもサンチェは抵抗をやめない。

 ここで死ぬわけにはいかないのだ。
 迎えに行くと言ったチビ達との約束も、ユンジェに託された願いも、まだ叶えていない。守れない男で終わるなど、格好悪いではないか。

 例え、手足が折られようと、激しい痛みを男らに与えられようと、サンチェに諦める文字はない。どうせ終わるなら、守れる男で終わりたい。終わりたいのだから。


「おいおい。大のおとなが情けない声を出してるんじゃねーよ。うるせぇな」


 悲鳴を上げていた男の体が横倒しになる。噛みついていたサンチェの体も、つられて倒れた。
 のろのろと顔を上げると、「いつから俺の仕事は人助けになったんだよ」と、悪態をつく男がひとり。髪を一つに結い、それを三つ編みにして縛っている。両の手には双剣が握られていた。

「これじゃあ、いつまで経っても里に着けないんじゃねえの? カグム、なんで俺達は金にもならねーような人助けをしているんだ?」

「仕方がないだろうハオ。俺達が出ないと、あの方が飛び出しかねなかったんだから」

 いとも容易く巨体を斬り倒す男、カグムが疲れたように吐息をついた。
 賊を斬った、その太極刀を肩に置いて、サンチェを見下ろしてくる。

 その目は連中と違い、人を見る目であった。物を見る目ではなかった。