サンチェは(かすみ)ノ里の市場で、こっそりと叉焼包(チャーシューバオ)を盗んでいた。

 出店には店主がおらず、客足もなく、それどころか市場はもぬけの殻となっていた。
 それを良いことに、蒸籠(せいろ)から叉焼包(チャーシューバオ)を五つ、六つ、失敬すると急いで細道へ逃げ込む。

 曲がりくねった道を進み、一軒のおんぼろ納屋に入ったサンチェは、蝋燭がともった一帯を見渡し、干し草の山に隠れる幼子達に声を掛けた。

「今日の夕飯だ。みんな、出て来い」

 すると。幼子がひとり、ふたり、と出てくる。

 その中に、リョンの姿もあった。サンチェが持っている叉焼包(チャーシューバオ)を目にするや、幼子達は嬉しそうにそれを受け取って、干し草の上で食べ始める。

 幼子達はサンチェが養っている子どもであった。
 懐剣の子どもが現れた騒動の最中、出来る限り、多くの子どもを救おうとしたのだが、救えているのは目の前の子ども達のみ。

 兵士は甘くなかった。懐剣の子どもが現れても、数人は広場に残り、子どもらを屋敷へ運び始めたのである。
 事に気づいた年長のトンファは、サンチェに幼子達を優先しろ、自分の麻縄は後回しで良い、と言った。

 結果。トンファまで間に合わず、彼は他の子ども達と連れて行かれてしまった。ほんとうは彼も、救いたかったのに。心優しいトンファは己を後回しにし、幼子達を優先した。今頃、彼はどうしていることだろう。


(せっかくユンジェが自分を犠牲にして、作ってくれた機会を最後まで活かせなかった。ユンジェの奴、大丈夫かな)


 しかし。落ち込んでもいられない。自分は頼みごとをされているのだ。

 サンチェは頭陀袋から麒麟の首飾りを取り出し、それをしかと見つめる。
 これをユンジェの兄に渡し、ユンジェとトンファを救う道を考えなければ。くよくよする暇などない。

 サンチェは叉焼包(チャーシューバオ)をかじると、トンファから託された幼子達に、「しっかり食えよ」と言葉を掛けた。
 まずは、幼子らを大人達の目の届かない、安全な洞窟に連れて行かなければ。

「サンチェお兄ちゃん。向こうのお外が明るいよ」

 リョンが突き上げ戸を指さす。叉焼包(チャーシューバオ)を銜え、戸の向こうを見渡した。納屋からは大通りがよく見える。リョンも外が見たいと言ってきたので、腕に抱いて二人で外を確認した。

 リョンの言う通り、外は明るかった。
 もう日は暮れているというのに、大通りにはたくさんの松明が焚かれている。それだけではない、里の人間が通りの両端に膝をついていた。老若男女問わず、膝をついている。

 間もなく、そこを煌びやかな装飾で着飾っている馬や、重装ある鎧を纏った兵らが通る。それに伴い、里の人間が地面に額を合わせて平伏した。

 サンチェはあの一行の正体を知っている。
 あれは王族の一行だ。市場に人がいなかったのは、みなで王族を出迎えるためであろう。天の次に地位のある王族を無視する行為は謀反にあたる。

「あっ」

 リョンが小さく声を上げ、指さした。
 幼子の指さした先にはひと際、美しい男。それは丁寧に織り込まれた衣と、色鮮やかな簪を挿しており、穢れの知らない白馬に乗って通りを進んでいる。

 守護する兵の多さに、あれが王族の人間だということが分かった。

 けれども注目したいのは、男ではなく、それと共に馬に跨っている子どもだ。

「ユンジェお兄ちゃん。怪我してるの?」

 リョンが心配を寄せるのも無理はない。
 王族と共に乗っているユンジェの衣は、血まみれであった。頬も四肢も血で汚れているばかりか、ぐったりと男の腕の中で目を閉じている。ここからでは眠っているのか、気を失っているのか判断がつかない。

 ただ、ユンジェがひどく疲労しているのは見て取れた。


(ユンジェっ!)


 耳をすませると、馬の足踏みにまじって会話が聞こえてくる。


「セイウさま。こちらでリーミンをお預かりしましょうか? このままでは、リーミンの血でお召し物が汚れます」

「大丈夫ですよ、チャオヤン。こんな衣、汚れたところで新しいものに着替えれば良いだけの話。それよりも、私はリーミンを手元に置いておきたいのです。やっと、ようやっと私の懐剣が戻って来たのですから。今度は決して逃がさないよう、しかと己の手で持っておかなければ」


 距離はあるが王族は、ユンジェの頬を撫でているようだった。
 その手つきは慈悲にあふれているものではなく、なんと表現すれば良いか……大切にしている物を嬉しそうに触る手つきだった。


「リーミンは眠っているようですね」

「お役を果たし、少々疲れたのでしょう。麒麟から与えられる力は、我々の想像をはるかに超えるものと聞きますから。ふふっ、もっとお役を果たす姿を見たいのですが、あまり無理をさせるとリーミンが折れてしまいかねない。今は休ませてやりましょう」


 王族がうっとりとユンジェを見つめる。一刻もはやく宮殿に飾りたい、と声が聞こえてきた。


「第三王子ピンインが近くにいる可能性があるやもしれませんね」

「あれのことです。この子と主従の儀を交わしていないことでしょう。それが仇になるとは知らずにね。すでにリーミンの心は、私に逆らえないところまできている。近くにいたところで、取り戻すことなどできませんよ」


 ユンジェを、さも物のように扱う男らの会話に、サンチェは顔を顰めた。

 自分にはユンジェがどのような理由で兵に追われ、逃げ回り、王族から身を隠していたのか知る由もないが、あの会話を聞けば逃げたくなる気持ちもよく分かる。
    
 連中はユンジェを物として見ている。人として扱っていない。ああくそ、何もできない自分にも、あいつらにも反吐が出そうだ。