縋るように言えば、サンチェもユンジェと同じように顔を歪め、頭がこんがらがりそうだと吐き捨てた。

 まったく話の前後が分からないので、理解もできず、ユンジェの身の上に何が起きているかも分からない。ただただ、それが気持ち悪くて仕方がないと彼。

 そんな自分にも、ひとつだけ理解できそうなことがある。
 サンチェはユンジェの手と麒麟の首飾りを強く握り返すと、「だったら約束しろ」と、凄みのある声で押し迫る。

「俺がこれを兄貴に渡すことで、お前は救われる。俺の行動はお前を助けるための、意味のある行動だって約束しろ。ユンジェ、お前は俺が走ることで、ほんとうに助かるんだな。うそを言ったら承知しねえぞ」
 真偽を確かめてくるサンチェの強い瞳をまっすぐ受け止め、ユンジェはゆるりと頬を緩ませた。彼にティエンの特徴と想いを託し、麒麟の首飾りから手を放す。


「サンチェ。ありがとうな」


 干し草束から飛び出したユンジェに、サンチェの返事は届かない。

 彼は何と言ったのだろう。悪態をついたかもしれないし、調子の良い言葉を投げてくれたやもしれない。残念に思う。せめて、彼の言葉だけは受け止めておきたかったのに。

 しかし。ユンジェの足はすでに、使命のために走り出していた。ユンジェは懐剣として、(あるじ)を守らなければならない。
 自分の持つ懐剣は、主のものではないけれど、ユンジェは確かにセイウから血を賜った。主従の儀を交わした以上、ユンジェはセイウの下僕だ。

 主が危機に晒されているのならば、下僕の己は行かねばなるまい。

「将軍。小汚い子どもがやって来ます」

「何?」

 広場に飛び出したユンジェを、将軍を含む兵士達は訝しげな顔で見やってくる。
 おおよそ、捕らえられた子どもの仲間とでも思っているのだろう。さっさと捕らえろ、と投げやりな命令が聞こえてきた。

 ユンジェは不快感を抱く。
 なぜ、これらは主の危機に動かないのだろうか。襲撃を受けていると聞けば古今東西、命を擦り切らしても走るのが仕える者の使命だろうに。

 ああ、誰ひとり走らないのであれば邪魔なだけだ。使命を果たそうとする、懐剣リーミンの邪魔になるだけだ。

 群がる兵士らに目を細め、ユンジェはたばさんでいる懐剣を引き抜いた。


「退け、そこを退けっ!」


 暮れる夕陽の向こうから瑞獣の一声が轟き、天がふたつに割れた。

 赤い空の割れ目から巨体を持つ麒麟が降りてくる。
 それは誰の目にも映っていないようで、ユンジェの隣に並んでも、誰ひとり麒麟に目を向けることはない。

 されど、鳴き声は耳に届いているようだ。その場にいる者達は、瑞獣の一声ひとこえに反応している。

 麒麟がかぶりを回すように振ると、広場につむじ風が起こった。
 子どもらの戸惑う声、泣き声はそれらに呑まれ、兵士達はその風の強さに視界を奪われる。ユンジェと麒麟がそこを通り過ぎだけで、風は自らの意思で渦を巻き始める。使命を果たそうとする子どもと麒麟に道を開けようとする。

 足軽に将軍グンヘイの頭を飛び越えれば、「あれがそうだっ!」と、興奮し切った野太い声が耳にまとわりつく。

「懐剣のガキだ! 麒麟の力を授かった、あれが懐剣のガキだ!」

 目の色を変える大人は馬を鞭で叩き、麒麟や渦巻く風と共に走るユンジェを追う。何人もの兵がユンジェを追った。捕らえられた子ども達なんぞ、そっちのけとなっていた。

 使命に駆られているユンジェは、その状況に片隅で、それで良いと心から安堵した。
 後のことはサンチェがどうにか動くことだろう。願わくは、子どもら全員が将軍グンヘイの魔の手から逃れられますように。


――リーミン。


 呼び声が脳裏を過ぎる度に、走る速度が上がった。馬に乗る大人達よりも、ユンジェの方が速く、あっという間に里の出入り口まで辿り着いた。

 里を飛び出すと、ユンジェは呼ばれるがまま森の中を進んだ。草深い木々も花も獣も虫も、ユンジェと麒麟に道を作ってくれる。いち早く主の下へ行けるように。

 逆巻く小川を飛び越えて藪を飛び出す。微かに血の臭いが漂ってきた。先に麒麟が走り出したので、ユンジェはその後を追う。

 美しいたてがみを靡かせる麒麟は、ユンジェを戦となっている地まで導いた。

 そこは丘のふもと。
 草木が少なく見晴らしの良いそこに、青旗を掲げる王族一行と賊らしき者達が剣を交えている。やや数は王族一行の方が不利に思えた。賊の方が人の層が厚い。

 怒号が聞こえてくる。
 セイウさまを守れ、王族の首を討ち取れ、お下がりください王子、あれを討てば青州は制圧できるやもしれない――様々な声を耳にしながら、ユンジェはその戦に身を投げた。