「将軍。青旗の兵士らが丘を越えたそうです。そろそろ、セイウさまが御着きになるかと」


 聞き耳を立てると、こんな会話が聞こえてきた。
 間もなくセイウが里に着く、ユンジェは心の臓を凍らせた。まずい、セイウが里に到着すれば、自分は。

「その前にさっさと懐剣のガキを見つけ出せと、私は命じているのだっ! あれをセイウなんぞに渡してたまるものか!」

 少々様子がおかしい。
 てっきり、将軍グンヘイは麒麟の使いを捕らえ、第二王子セイウに差し出すと思っていたのだが。

 うんぬん考えながら様子を窺っていると、急に頭の内側から、がんがん、がんがん、がんがん、と音が鳴り響いた。頭が割れるほどの音に、悲鳴を上げそうになる。呼ばれている、自分は――主君に呼ばれている。

 一方で、つよい使命に駆られるのだ。次なる黎明皇のひとりを守れ、守れ、まもれ、と。
 抗えない衝撃に体が震えてきた。このままでは、自分は。

「ユンジェ? お前、さっきから様子がおかしいぞ。どうしたんだ」

 心配するサンチェの声もリョンの声も、ユンジェには遠い。ようやく耳に入って来たのは、大慌てで将軍グンヘイに報告する兵士の声。

「たった今、早馬がやって参りました。第二王子御一行が賊に襲撃されたそうです。至急、援軍を寄越すようにとのことです」

 それを聞くや将軍グンヘイは嬉しそうに、そうか、そうか、と手を叩く。
 援軍を出す動きは見られない。それどころか、「今のうちに懐剣のガキを見つけ出せ」と周りの兵に命じる始末。

 まさか、あの第二王子セイウを、一端の王族を見捨てるつもりなのだろうか。将軍グンヘイは。

「ユンジェ」

 サンチェの呼び声に、やっと我に返ることができたユンジェは、力なく笑って額に手を当てる。

「俺も見捨てることができたら良かったのに。主従の儀からは逃れられないってことか」

「お前……一体何言ってるんだ? 本当におかしいぞ」

 心配するサンチェに苦笑いを零し、ユンジェは首から提げている装飾品をそっと取り外す。それは王族の証を示す麒麟の首飾りであった。

「サンチェ。俺のお願いごと、聞いてもらって良いか」

 彼に麒麟の首飾りを差し出す。呆然とそれを見つめるサンチェは、ゆるりとユンジェを見つめ返した。


「この麒麟の首飾りを俺の兄さん、ティエンに渡してもらいたいんだ。そして、あいつに伝えてほしい。俺は第二王子セイウの下にいる。懐剣のリーミンになった。ごめんなって」


 麒麟の首飾りを握り締めると、サンチェの右手を掴み、それをつよく押し付けた。
    
 未だに意味が分からず目を白黒している彼は、「懐剣の……って」と、小さく呟き、やがてユンジェを凝視する。

 ひとつ頷き、ユンジェは訴える目に答えた。


「将軍グンヘイが探している懐剣のガキは俺のことだ。サンチェ、俺は今から将軍グンヘイの前に出て行く。俺が懐剣のガキだって知れば、あいつは狂ったように俺を追い回すはずだ。その隙に、トンファ達を救え。きっと騒動になるはずだから、大人の目を盗めるはずだ」

「ふっ、ふざけるなよお前。俺が簡単に行かせると思ってるのか? あいつの前に出たら、ユンジェが危なくなる。懐剣のガキが何なのか、俺にはいまいち分からないけど、俺は嫌だ。トンファ達を救う代償がお前だなんて」


 サンチェが首飾りを押し返す。


 彼は言う。

 ユンジェの胸に抱えている重たいものを分けられないのか、と言ったのは確かに自分だが、それはユンジェの重荷を一緒に抱えるための発言。ユンジェ自身を助けたいがための発言であって、こんな願いごとなんぞ聞き入れる気にもならない。

 強気に返すサンチェが、鋭い眼光で睨んでくる。
 心配してくれているからこそ、怒りを見せてくれているのだろう。彼と出逢って、とても日は浅いが、彼は確かにユンジェの友となりつつあった。

 痛いほど伝わってくる想いが、ユンジェの顔を歪める。
    
 両手で彼の右手を、麒麟の首飾りごと握り締め、「お前にしか頼めないんだ」と、こうべを垂らした。


「俺にはもう、自分を抑える力が残っていない。どう抗おうと、第二王子セイウの懐剣に成り下がる。俺はリーミンになる。俺を俺に戻せるのは、兄さんのティエンだけなんだ。サンチェ、ティエンに伝えてくれ。俺はセイウの懐剣に成り下がっても、ずっと、ずっとお前のことを待っている。必ず助けてくれると信じている――だから、どうか、懐剣のユンジェを取り戻してくれ」