見たところ、トンファは投てきに足を取られ、ジェチは目つぶしを食らい、悶絶している。ユンジェを相手しているサンチェ以外、まだまともに動けそうにない。

 ならば、二人からこいつを引き離し、一対一に持っていくべきだ。ユンジェは間合いを取り、サンチェに背を向けて走った。

 追い駆けてきたら、適当な場所で相手をする。諦めたら、このまま撒く。それが最善の策だろう。

 ユンジェとしては、ぜひとも後者の展開を望むところなのだが、悲しきかな。相手は血の気の多い少年のようだ。


 己の背を追い駆け、追いつき、仕舞いには肩を並べてくる。

 ユンジェは舌打ちを鳴らしたくなった。身軽な分、足の速さには自信があるつもりなのだが、難なく追いついてくるなんて。


「ガキ。観念しな」


 横から振ってくる松明棒を避けるため、足を止めて身を屈める。


「だから、お前もガキだろう!」


 懐剣を持って反撃の横一線を描いた、直後のことだった。
 辿って来た道から、涙声と混乱した声が聞こえてきた。思わず振り向くと、投てきを取っ払ったトンファが、目をこすっているジェチの腕を引き、喚きながら猪突猛進にこちらへ向かっていた。

「サンチェっ。まずいよっ、撒いたはずの青州兵が来たっ!」

 我が耳を疑いたくなった。いまなんと。間もなく、二人の背後に複数の青州兵が現れる。彼らは口々に怒声を上げて、前方を指さした。


「いたぞ。例のガキ達だ! あのコソ泥ガキ四人を捕まえろ!」


 コソ泥ガキ四人。ガキ四人。ガキが四人。

 よにん。

 ユンジェは悲鳴を上げ、急いで地面を蹴った。
 青州兵が追い駆けて来ることもさながら、なぜコソ泥呼ばわりされなければならないのだ。自分こそ、今まさに追い剥ぎをされそうになっていたというのに! 被害者なのに!

 ついつい、隣を走るサンチェを睨み、文句をぶつけた。

「お前らのせいだぞっ。どうしてくれるんだよ」

「うるせぇな。今はガキの相手をしている場合じゃっ、ジェチっ!」

 視界の戻っていないジェチが石に躓き、派手にすっ転んだ。
 腕を引くトンファの足の速さについていけなかったのだろう。

 その隙に青州兵が迫ったので、サンチェが踵返して、松明棒を握りなおして、勢いよく振り下ろす。兵が後ろに下がったところに、トンファの松明棒が追撃した。

 よしよし、では自分はこの間に。


「チビ。お前は俺達に構わず、銭袋を持って逃げろ! 走れー!」


 ユンジェは口元を引き攣らせ、握りこぶしを作る。

 あのサンチェという男、自分を巻き込み、兵の力を分散させるつもりか。後ろを振り返れば、口角を持ち上げ、舌を出しているサンチェの姿。

(ふっ、ふざけるなよ。あの野郎っ!)

 普段、あまり怒りを面に出すことのないユンジェだが、今回ばかりは頭にきた。許されるなら。今すぐあれの顔面を殴り飛ばしたい。

 ただでさえ、ユンジェは青州のお尋ね人だというのに。


「くそっ。覚えてろよ、お前」


 ユンジェは銭袋を取り戻そうとする青州兵を睨むと、帯から予備の目つぶしを抜き取り、怒り任せに輩の顔面に投げつける。

 葉で何重にも包んだそれは、好ましい形で飛散しなかったものの、怯ませることはできた。

 もう一個、残っていたため、腹いせにサンチェへ向かって投げておく。
 見事に彼の後ろにいた兵の頭に当たり、輩の視界を奪うことに成功した。勢いよく振り返ってくるサンチェが、ユンジェを凝視してくるが、それには鼻を鳴らしておく。べつに助けたくて、助けたわけではない。

 大股に開いている輩の股に滑り込み、背後を取って逃げる。しかし、兵が素早く振り向いたことで、羽交い絞めにされそうになった。

 すると、サンチェが持っていた松明棒に回転を掛け、伸びた手を弾いてくれた。驚いてしまう。巻き込まれた手前、絶対に見捨てられると思ったのに、まさか助けられるとは。

「走れっ、お前ら。森の中へ走れ!」

 サンチェの合図に、ユンジェ達は青州兵に背を向けて、脱兎の如く走る。
 振り返れば、怒号を飛ばし、短剣を抜いていたが、衣より重そうな鎧は身軽な子ども達の足には追いつけない様子。

 それでも、まだ油断できない。

(考えろ。確実に逃げられる方法を)

 そうだ。追っ手が重みのある鎧を着ているのであれば、それを利用して逃げれば良い。

 ユンジェは走りながら、布袋からお手製の草縄を取り出すと、三人の中で誰よりも足の速いサンチェに声を掛けて、縄の端を投げた。


「お前、向こうの茂みに隠れろ。合図で引っ張れ」

「なるほどな。トンファ、ジェチ。お前らはまっすぐに走れ。振り返るなよ」


 サンチェは頭を使う型のようで、一から十まで説明せずとも、ユンジェのやりたいことを把握した。

 速度を上げて走るユンジェに合わせ、彼は右の茂みに飛び込む。

 一方、ユンジェは左の木の陰に隠れ、太い根っこにそれを縛りつけると、トンファとジェチが通り過ぎるのを見送り、布から小石を取り出した。
 そして、兵士達の前に飛び出すと、小石を投げつける。

「今だっ!」

 ユンジェの合図によって、地面に這っていた草縄がぴんと張る。
 小石に気を取られていた兵士達はその縄に引っ掛かり、体勢を崩した。
 ただの衣を纏っているならまだしも、鎧を着ているのだ。少しでも体勢が傾けば、重みで倒れる。

 案の定、追っ手は派手に転倒した。巻き込む形で、他の追っ手も倒れていく。今のうちだ。

 ユンジェはサンチェと肩を並べ、森の中をひた走った。兵士達の手が伸びないところまで、無我夢中で走った。