(俺が懐剣から聞いた使命、あれは幻聴だったのかな)
道すがら、懐剣の出来事を思い出す。
ティエンが懐剣を落とした、冬のあの日。
懐剣を見つけたユンジェは高熱を出し、倒れてしまった。
更にそれは五日も続く大変な熱で、ろくに水も粥も喉を通らず、何を口にしてもおう吐した。
極端に人を避けるティエンが、顔なじみのトーリャに助けを求めるほど、それはそれは酷いものだった。
ユンジェ自身も、高熱で死ぬかもしれない、と覚悟を決めたほどだ。いま思い返しても、あれはつらい熱だった。
そんな中、ユンジェは夢を見た。
熱に魘されている間、ずっと夢を見ていた。おぼろげな夢だった。しかし、はっきりとした夢だった。矛盾していると言われそうだが、そうとしか言えないのだ。
ユンジェは憶えている。
おぼろげな夢の中で、はっきりと姿を現した麒麟の姿を。あれは神々しい光に包まれた、大きな獣であった。
見上げるほどの巨体を持ち、目がくらむような、美しい体毛を持っていた。黄金色の毛であった。体には鱗もあった。三つの立派な角もあった。蹄の下には水の波紋のような、輪っかができていた。
夢の中、ユンジェは麒麟と向かい合い、視線を交わしていた。
言葉は無かったが、見つめる眼が、大きな使命を託そうとしていた。それを受けるべきかどうか迷ったところで、ユンジェは目を覚ます。夢はその繰り返しであった。
熱が引くと、麒麟は姿を消した。
あれ以来、一度も夢に出てこなくなってしまったのだ。
(あれは一体、なんだったのだろう……)
誰かに聞きたいところであったが、尋ねたところで首を傾げるだけだろう。
ティエンに聞けば、何か分かるかもしれないが、少し気が引ける。
彼は高熱に魘されるユンジェを、本当に心配していた。
容態が落ち着き始めると、ホッと胸を撫で下ろし、陰でこっそりと泣いていた。その姿を知っているので、当時の話が出せずにいる。
(ティエン……自分のせいで熱が出たんだって、責任を感じていたしな)
そんなわけがないのに。
体調を崩したのはユンジェ自身の問題だ。懐剣を拾い、鞘から刃を抜いただけで、あれほど苦しい高熱が出るとは思えない。
あの時のユンジェは、自分でも気づかないほど、体調不良だったのだ。きっと、そうだ。
(でも倒れる寸前、ティエンの傍に麒麟がいた。あいつ、吉凶禍福の運命を背負う天の子だって麒麟に言われていた。あれは幻だったのかなぁ。もっぺん懐剣を抜いてみれば、なんか分かるのかな)
けれどティエンが、それを許すとは思えない。
考えれば考えるほど、頭がこんがらがる。
(やめだやめだ。考えたって答えは出ないんだ。それより早く油を買って、あいつの下に帰ろう。そうだ。せっかく町に行くんだ。お土産でも買っていこうかな)
ティエンと出逢って、もうすぐ一年。
お祝いするというのもおかしいが、ちょっとくらい贅沢をしても良いだろう。金は多めに持ってきた。桃饅頭を買う金くらい残るはずだ。
(いつもは一個を半分にするけれど、今日は二個買っていこう)
それを二人で一緒に食べるのだ。想像するだけで心が弾む。ユンジェは駆け足で、見えてきた町へと向かった。