チャオヤンが強く感情を込めると、馬の腹を蹴ってカグムの脇をすり抜けた。猪突猛進に突っ込むので、固まっていたユンジェ達は散り散りとなった。
「しまった。ユンジェっ!」
突然のことだったので、頭を押さえていたユンジェは横に逃げるティエンについていけず、身を伏せて回避するしかない。
チャオヤンの狙いはそれだったようで、集まりをばらけさせると、馬を走らせたまま、身を起こしたユンジェに手を伸ばす。
「させるか。俺を舐めるなよ、チャオヤン!」
地を蹴ったカグムが瞬く間に、ユンジェの前に滑り込むと太極刀を振るう。ふたたび直刀がぶつかるが、彼はそれを弾き、ユンジェの身を抱えて転がった。
「か、カグム。ごめん。俺がぼさっとしていたから」
起き上がると、彼が片目を瞑ってくる。
「たまには、おとなしく守られてろ」
「えっ?」
「懐剣のお役ばっかり押し付けられちゃあ、お前も疲れるだろう。たまには、ただの十四のガキに戻ってろよ。人間、休息ってのも必要だぜ」
人間であることを忘れてくれるな。
優しい目で笑ってくるカグムが、ユンジェの背中を強く突き飛ばした。
ティエンの下へ行けと大声を出す彼は、チャオヤンの足止めを買い、振り下ろされる直刀を太極刀で受け止める。
「お前の相手は俺だ。久々に一対一の手合わせを頼むぜ、チャオヤン。馬から降りろ」
「生憎、貴様の相手をしているほど暇ではない。リーミンはセイウさまの懐剣、返してもらうぞ」
弾き合う刃の甲高い音に、ユンジェは戸惑い、カグムに加勢するべきかと思い悩む。
しかし、答えを導き出す前に「走れ!」と、怒鳴られ、ユンジェは無我夢中で足を動かし、彼らから離れた。
たくさんの蹄の音が近づいてくる。
振り返れば、チャオヤンを素通りした騎馬兵らが、獲物であるユンジェを囲み始めているではないか。
これでは向こうにいるティエンやハオ達の下に近付けない。
寧ろ、騎馬兵から逃げれば逃げるほど、彼らから遠ざかってしまう。ティエンがこっちだと誘導してくれるが、どうしても距離が開いてしまう。馬の足は本当に速い。
「リーミンを疵つけるな。美しいまま捕らえろ。ひとつの疵も許されないぞ。あれは平民ではない。王族の私物であり、平民より高い身分の者だ」
人を物のように言ってくれる。
(なにが平民より高い身分の者だよ。俺は農民だっつーの)
捕まれば、今度こそ宮殿に飾られるに違いない。そんなの絶対にごめんだ。
(みんな、俺を追って来る。ティエン達なんて見向きもしない)
いつもティエンを守ることに徹底していたユンジェなので、こんな事態は初めてであった。
誰も彼もが自分を狙い、脅し程度に武器を向けてくる。見据えてくる無数の目は恐怖でしかない。
ああ、常日頃から命を狙われているティエンは、このような恐ろしさを噛み締めていたのか。
(頭がっ、まだがんがんする。馬鹿みたいに、がんがんする)
三頭の馬が前方の道を塞いだので、急いで踵返す。背後にも三頭の馬が構えていた。
身を守るために懐剣を抜くが、麒麟の心魂は感じられない。
当たり前だ。これはティエンを守るための懐剣であって、己の護身用ではない。
懐剣の力が発揮されないユンジェなど、ただの十四の子どもである。王族の兵士相手に勝ち目などあるわけがない。
前後に目を配り身構えるものの、距離を詰めて槍を投げる兵にすら気付けず、ユンジェの衣はその槍に貫かれた。
袖が槍頭と共に地面に食い込み、その場に倒れる。
慌てて袖を引くが、しかと食い込んで抜くことが叶わない。破ろうと躍起になる間にも、騎馬兵に囲まれた。
「ユンジェっ! 立てっ、走れ!」
ティエンが己を救おうと短弓を放つ。ハオ達が走って来る。それも他の騎馬兵に阻止されて終わる。
ユンジェが囲まれたことで、ピンイン王子を討てとの声が聞こえた。ユンジェの中で強い使命に駆られる。所有者を守らなければ。
「リーミン。主君の声を聞きなさい」
冷たく美しい男が馬に乗り、騎馬兵に守られながらやって来る。彼は手綱を引き、馬の足を止めるとユンジェに命じた。
「お役を惑わせる心なんぞ捨てなさい。貴方に必要なのは、麒麟に授かった使命のみ。所有者と懐剣の関係を成立させたのは、誰なのか、思い出しなさい」
強い服従がユンジェを支配していく。そうだ。セイウはユンジェの主君、決して逆らってはいけない存在。従わなければ。
(ま、守らないと。し、従わないと。ティエンを、セイウを。俺はどっちの懐剣なんだ)
使命と服従。
二つが強く衝突し合った時、ユンジェは頭を抱え、天に向かって咆哮した。
喉から血が出る勢いで迸った声は夜空を裂き、割れ目を作って、天の上にいる瑞獣を呼ぶ。
ユンジェを軸に風が吹きすさぶので、囲んでいる馬が怯えを見せ、兵を乗せたまま走った。
騒ぎ立てる風と、巻き起こる砂埃のせいで、岩場の石が転がった。高い所では岩が崩れる。その地は荒れていく。
暴れる馬から降りたセイウは、頬を上気させ興奮する。
「おおっ。これはっ、もしや」
少しでもユンジェに近付きたいティエンは、その光景に言葉を失う。
「くるっ。麒麟が、くるっ」
天を見上げるユンジェは、袖を突き刺している槍を払い、降りてくる瑞獣の隣に立って懐剣を握り締める。