「謀反兵の小さな暴動が、まさかこんな事態を招くとは。興ざめですよ。なぜ、リーミンを逃しているのです。チャオヤン」


 客亭の回廊を、冷たい笑みを浮かべて崩さない麟ノ国第二王子セイウが、近衛兵を率いて早足で通り過ぎていく。

 セイウが通る度に、深々と従僕や侍女が平伏していくが、それには目もくれない。先を急ぐ足は懐剣のいた部屋へと向く。

 セイウの後を歩くチャオヤンは、慇懃丁寧に失態を詫び、現状を知らせた。

「リーミンの部屋付近で、見張り兵と従僕が斬られておりました。暴動は我々の目を欺くためのものかと。また兵の目撃情報によると、暴動の主犯は王族近衛兵だったカグム。あれなら、このような真似もやりかねません」

「ああ。愚弟の近衛兵だった男ですね」

 ちらりと一瞥するセイウの視線を、チャオヤンは真摯に受け止める。

「はい、私めと同期でもありました。風の噂で天士ホウレイの部下になったと聞いております。いずれにせよ、王族に逆らった愚者です」

「それがリーミンを狙った。ピンインの放った刺客なのか、それとも天士ホウレイの刺客なのか。或いはそれらが手を結んでいたか。ふふっ、どれを取っても腹立たしいことには違いありません」

 こんなことならば、今夜にでも紅州を発っておくべきだった。セイウは笑みを張りつけたまま、不機嫌に鼻を鳴らす。

「お怒りはご尤もです。しかしながら、リーミンはセイウさまの懐剣であり、貴方様の下僕。離れられるとは思いませんが」

「ピンインが主従の儀を行えば、話も変わってくることでしょう。今のところ、リーミンは私と主従関係でありながら、愚弟の懐剣に宿っている。力関係は五分といったところ」

 けれども、もしも愚弟が主従の儀を行えば、力関係は向こうの優勢となる。そうなる前に、リーミンを連れ戻さねば。

 セイウは懐剣の部屋に入ると、中の荒れ具合を確かめる。
 割れた窓、そこに放られた衣装の縄を目にし、衣装箪笥を開く。次に鏡台や寝台に目を配り、チャオヤンに無くなった物はないかと尋ねた。

「従僕らによると、櫛や紅といった物が無くなっているそうで。あと花瓶やハチミツも」

 相づちを打つセイウは、「これは私の失態でもありますね」と言って、軽く口端を舐める。

「リーミンを一人部屋にするべきではなかった。私の部屋に繋いでおくべきでした。あれは、意外と物を考える懐剣のようです」

 部屋の荒れ模様を確認したセイウは、次は必ず己の部屋に繋ぐと、肌身離さず持っておくと宣言し、細く笑った。

「主君である私に、どこまで逃げられますかね。リーミン。貴方は今、私の懐剣。私の下僕。私の隷属。どこにいようと、天が授けた儀式で成立した関係と運命からは逃れられない」

 無論、愚弟に主従の儀など成立させるものか。

「リーミン。遠くにいても、私の声は届いているのでしょう――受け入れ、平伏し、服従なさい。人間の心を捨て、まこと懐剣になりなさい」

 さあ、この声を聞け。自分の足で主君の下に戻って来るが良い。主君のセイウはいつでも、下僕の帰りを待っている。決して、逃がしはしない。