衣装の切れ端を裂いて、手早く傷を巻く。その手際の良さにハオが、ふうんと鼻を鳴らした。
「早いし上手いな。どこかで習ったのか?」
「爺に習った。俺達、農民は滅多なことじゃ医者に掛からないんだ。傷より病より、明日の食い物だったからさ」
これでいい。
ユンジェは両手の甲を見つめ、壷の蓋を閉めた。余計なお節介だと悪態をつく彼は、礼なんて言わないからな、と突き返した。べつに要らなかった。ユンジェはしたいことをしたまでだ。
道具の中にかりんとうを包んだ布が目に入ったので、ユンジェはカグム達を待つ間、これでも食べようと誘う。能天気だと心底呆れられたが、食べることは体力を回復させる基本だろうと言って、包みを開いた。
(本当はティエンと一緒に食べるつもりだったけど、あいつにはお茶っ葉を渡そう)
全部で十三本入っている。ユンジェはこれを半分にするため、指を折って計算した。
(十三の半分は……あれ、三って半分にできたっけなぁ)
十より上の計算は、まだまだ苦手だ。
うんぬん悩んでいると、包みを取り上げられる。
ユンジェの意図を読んだらしく、己の分を抜き取って、包みを投げ返された。確認すると八本残っている。
「それで半分だ。さっさと食え」
向こうを睨んでかりんとうを口に入れているハオを、きょとんと見つめるユンジェだったが、受け取ってくれたことに、つい噴き出してしまう。
「お前って案外付き合い良いよな。馬鹿なところも多いけど」
「だあれが馬鹿だ。俺に扱かれたいなら、素直にそう言え。喜んで脳天に拳を入れてやる」
ぎろっと睨んでくる彼に、ユンジェはへらへらっと笑う。
「なんだよ。俺は褒めてるんだぜ? 後先考えない馬鹿だけど、ちゃんと優しいところもあるし、強いところもあるし、付き合いも良いんだなって。これで、もう少しよく考える奴だったら、文句の付けどころもないぜ? 可愛いお嫁さんだって貰え、あだだだっ」
「クソガキ。それ以上、舐めた口を叩くと押し潰す」
褒めているのに。
頭を押さえつけられたユンジェは、ハオに短気な男は嫌われると指摘してやる。もっと体重を掛けられた。そういうところが、短気なのだ。絶対に損していると思う。
「はあ。さっさとホウレイさまの下に連れて行って、お役から解放されたい。なんで、ガキの相手なんざ」
ぶつくさ文句垂れているハオは、どうやら子どもの相手が大の苦手らしい。ユンジェは言うほど子どもではないのだが、敢えて反論はするまい。
「ハオはどうして、謀反兵になってるんだ?」
「あ?」
「だって、謀反は悪いことなんだろう? 俺、国ってよく分からないけど、ハオやカグムが国に逆らっていることは分かるよ。それはどうして? 危ないじゃん」
国なんかに逆らわず、看護兵とやらを続けていれば良かったのに。そうすれば、クソガキの世話もせずに済んだのに。彼の腕なら医者だって夢ではなかったのでは?
ユンジェは素朴な疑問を彼にぶつける。
どうして間諜に、謀反兵に成り下がっているのだと。なぜ、命を張ってまで、国に逆らい続けようしているのだと。
彼は何も答えない。答えたくないのなら、無理に聞き出すつもりもないので、ユンジェは深く追究をしなかった。
「俺は看護兵に向いてなかったんだよ」
しばらくして、返事が来た。
ハオは不機嫌な面のまま言う。
縁あって看護兵になった自分だが、傷を癒す兵には向いてなかった、と。
手当てをすると、どうしても情が移ってしまい、患者を戦に送り出したくなくなる。せっかく救ったのだから、生きて欲しいと切に願ってしまう。
戦に放られた看護兵は、それではいけないというのに。
この気持ちは常に諫められる。恥ずかしいと思わなければならない。死を前にしても冷静にならなければいけない。
けれど、ハオは捨てきれなかった。
「あんまりにも向いてねーから玄州の歩兵になったんだが……どうしても、国に思うことがあってな。ホウレイさまについたんだよ。クンル王より、賛同できる点も多いからな」
それはハオにとって安全な医者の道より、行きたい道だったのだろう。
命を張って国に逆らう彼の気持ちなど、農民のユンジェには一匙も分からないが、謀反兵として奔走している目的の中に、国を変えたい気持ちがあることは察することができた。
彼は良き王と国を欲し、それを得るために命を懸けているのだ。国に逆らうことが悪だと知っていても、ハオはカグム達と走るのだろう。
ユンジェの脳裏に『黎明皇』の三文字が過ぎる。ああ、セイウの言葉が本当ならば、自分はいつか次なる王を――。
「生きて欲しいと願うことは、べつに恥ずかしいことじゃないと思う」
ハオの語りを静聴していたユンジェは両膝を抱え、彼に向かって微笑む。
「俺もティエンを助けたから、誰よりも生きて欲しいと願ってるよ。それを恥ずかしいと思ったことはない。その気持ちは捨てなくていいと思う」
ユンジェには看護兵がどういうものか、まったく分からない。
けれど生きて欲しいと願ってしまうほど、彼が優しい人間であることは分かった。情が移ってしまうということは、それだけ感情移入しているということなのだろう。
「傷を癒して、誰かを救える腕を持つハオは、もっと誇って良いと思うよ。懐剣は人を傷付けることしかできないから」
そう、傷付けることしかできないのだ。
所有者を守るために、懐剣は刃を向け続ける。それだけのことしかできない。ユンジェは折れるまで、人を殺すことしかできない。
しかし。それが役目ならば仕方がないと考えている。今のユンジェは、そういう存在だ。
「懐剣のリーミンは、人を傷付けることしかできない。けど守るお役を受け持っているんだから、変な話だよな」
冷たい夜風が吹き、ぶるりと背筋を震わせる。やけに肌寒い。慣れない絹衣を着ているせいだろう。これは薄くて軽いから、夜風をよく通す。
軽く二の腕を擦って暖を取っていると、隣にいるハオと距離が近くなった。向こうを睨んでいる彼は、ユンジェの衣に悪口をつく。
「目立つんだよそれ。隠せ」
なんぞと言って外衣に入れてくるので、にやにやっと意地の悪い笑みを浮かべてしまう。
「ハオ、すごく優しいんだな。口は乱暴なのに、態度はすごく、すごく、やさしい」
「川底に沈めるぞ。クソガキのユンジェ」
調子に乗ってからかうと、こめかみに青筋を立てるハオが拳骨を落としてきた。痛いと悲鳴を噛み殺す隣で、彼はぽつりと呟き、自嘲する。
「ほんと向いてねぇな。ばかみてぇに情が移っちまう。こんなクソガキでもさ」