しかし、セイウは見向きもしない。それは嫌だと態度で示している。
他の侍女がこれまた急ぎ足で玄米茶を持ってくると、「お茶の気分ではありませんねぇ」と返事していた。
だったら、最初から言えと思う。
(我儘にも程があるだろ。本当にティエンの兄さんかよ)
ティエンが兄達を毛嫌いする理由も、よく分かる。
懐剣の儀が始まった。儀と立派な名がついているが、実際は簡単な行いである。一人ひとり、王子セイウの前で懐剣を抜けるかどうか試す。それだけであった。
どうやらセイウは平民を汚らしいと思っているようで、己の懐剣を触らせる前に、水を張った桶で手を洗わせていた。しかも水は一人が使ったら、必ず換えさせていたので、兵達は常に走っている。
(どうしよう。逃げたいけど)
周りは兵に囲まれていて、到底逃げられそうにない。
腹が痛いと騒ぎ立てれば見逃してもらえるだろうか。いや、セイウの目を見る限り、腹痛が起こっても懐剣を試すだろう。
考えている内に、ユンジェの番が回ってきた。
その頃にはセイウも飽きた様子を見せており、もう宿に戻ろうか、と独り言を呟いていた。ぜひぜひ、そうして欲しい。ユンジェは見てもらわなくて一向に構わない。
第一自分はティエンの懐剣なのだから抜けるはずがない。抜けるはずが。
なのに。
(呼ばれている。俺はっ、この懐剣に)
手を洗ったユンジェは織金の敷物の上に置かれた、台座の前で両膝をつく。
そこには一本の懐剣、大きな黄玉が飾られたそれは、ティエンの懐剣と瓜二つだ。やや飾りの形が違うものの、ほぼ同じと言っていい。
兵が持てと命じてきたので、ユンジェは震える手を握り締め、恐る恐るセイウの懐剣に手を伸ばす。
その瞬間、天から轟くほどの雷鳴が響いた。広場に驚きと悲鳴が上がる。空を仰げば、晴れ渡る青空が広がっているというのに。
「今のは……貴方。もしや」
せっかくセイウが飽きた様子を見せていたというのに、目覚めた顔でユンジェを見つめてくる。
本当に勘弁して欲しい。なんで、ここで雷鳴が轟くのだ。
ユンジェが懐剣に触れると、黄玉が眩い光を放った。それを見たセイウが腰掛を倒し、立ち上がる。
「子どもよ、私の前で懐剣を抜いてみなさい。今すぐに」
ああもう、どうにでもなれ。
ユンジェは半ば自棄になりながら頭を下げると、懐剣を両手で持った。
快晴なのに小雨が降ってきた。風が吹きすさぶ。天はふたたび雷鳴を轟かせた。腰辺りがとても熱い。ティエンの懐剣が熱を持っているようだ。
鞘を掴み、柄を握る。抜けない振りをしよう。そうしよう。そうすれば、この事態は万事丸く収まる。振りをすれば。
「あっ……」
鞘から刃が見えた。振りをする間もなかった。
力を入れずとも、柄を動かせば刃が抜けていく。うそだ。こんなことがあるわけがない。ユンジェはティエンの懐剣なのに。懐剣なのに。鞘から刃が抜けていく。
(でも、ティエンの時と違う……普通、だな)
半分ほど抜けた時、興奮し切ったセイウは我慢ができなかったのだろう。もういいと言い放ち、兵達に命じる。
「その子どもを捕らえなさい。青州へ連れて帰り、私の宮殿に“飾”ります」
飾る? ユンジェは我が耳を疑った。いま、なんと言われた。
セイウが目の前まで移動し、懐に入れていた扇子で、ユンジェの顎を掬う。目を逸らすことは、許されなかった。
「ああ、貴方はとてもみすぼらしい子ども。汚らしい人間。惨めな人間。しかしながら私の懐剣となる者。ならば、磨いて差し上げますよ。なにせ、貴方は原石なのですから」
宝石の原石に譬えれば、抱く嫌悪感すら消えてしまう。原石とはそういうものだ。汚く、光らないものなのだ。そう、宝石は誰かが磨かなければ輝かない。
ユンジェを見つめる、セイウの目は凶悪であった。人を見る目ではなかった。物を見る目であった。
「小汚い貴方も磨けば、立派な懐剣になるはず。早く美しくして、宮殿に飾ってやらねばなりませんね」
麒麟から使命を授かった懐剣など、国のどこを探しても見つからない。腕利きの鍛冶師が作った懐剣より、ずっと価値がある。素晴らしい収集物になることだろう。
「麒麟の使いを飾っておけば、ゆくゆく王座も手に入りますし、運が良ければ瑞獣をおびき出すこともできるでしょう。麒麟を宮殿の庭で飼える日も近いやもしれませんね」
自分は金で買える物を買い尽くしている。そういった物には飽きがきていたので、新たな刺激が欲しかったのだと、セイウはご機嫌になった。
「ふふっ、懐剣が手に入ったことで、憎きリャンテに一泡吹かせることもできる。今日はなんて喜ばしい日なのでしょうか!」
正直に言おう。飾られるなんて冗談ではない。
ユンジェは少し前の自分を呪う。あの時、強く拒絶しておけば。みなを説得し返していたら、こんなことにならなかった!
(ティエンの兄さん、頭がおかしいよ。麒麟を飼うとか、使いを飾るとかっ! ……どうしよう。俺、このままじゃ飾られる)
セイウの欲望を目の当たりにしたユンジェは、彼の懐剣を握り締め、ひどく怯えた。聞いていた以上に、セイウは歪んでいた。