ユンジェの体温が微熱になると、カグムは出発の指揮を取った。
とても過ごしやすい小屋だったので、もっとそこにいたかったのだが、先を急ぐ謀反兵らはそれを許してはくれなかった。
残念に思う。あわよくば、あの小屋をもらって暮らしてみることも考えていたのだが。
もしかするとカグムは、それを見抜いていたのかもしれない。出発直前、何も言っていないのに、根付かれたら困るからと笑っていた。
将軍カンエイの一件を聞いていたユンジェは、今後の目的地は東の青州と南の紅州を繋ぐ関所であることを知っている。
とはいえ、知識が乏しいので関所がなんであるか分からない。
ユンジェは同乗しているカグムに関所とは何かと尋ねた。彼は決して、ティエンとユンジェを同じ馬に乗せようとはしない。警戒しているのだろう。
「簡単に言うと、検問するための門だな。そこで怪しい奴や荷物がないかを調べるんだ。許可が下りれば通してもらえるよ」
「なんで、そんなことをするんだ? 青州と紅州は同じ国なんだろ? 許可がいるっておかしくないか?」
まるで国の知識がないユンジェは、しかめっ面で首を傾げる。
ずいぶんと体調が良くなったおかげか、馬から見える景色はとても新鮮で、通り抜ける風は気持ち良く思えた。
「麟ノ国は広い。全部を見張ろうとするのは大変だ。だから五の州に分けて、それぞれ見張るんだよ。たとえば紅州で、危ない火薬を作ったとするぞ。それを青州に持ち込んだら、どうなると思う?」
ユンジェは想像する。紅州で作った火薬が青州に持ち込まれてしまえば、それは勿論。
「青州にも火薬が行き渡るな」
「そうだ。紅州で食い止めておけば、被害はそこで終わるのに、青州にまで被ってしまう。最悪、五州全域に被害が及ぶかもしれない。だから各々関所を作って検問するんだ」
なるほど。ユンジェは相づちを打った。
「ティエンやカグム達は通れるの? 俺は顔を知られていないから大丈夫だけど」
「そこなんだよ。青州の関所はやたら検問に厳しいからな。穴を見つけられるかどうか」
「穴?」
「検問を受けずに通れる道を探すってことだ。門番が傭兵なら金で解決できるんだがな。都にも間諜がいるから、手を借りるのも有りなんだが……それで通れるかどうか」
なにやら難しい問題に直面しているようだ。ユンジェはたいへんだな、と他人事のように思う。
「関所か。国ってのは、俺が思っていたよりもずっと広いんだな。俺、自分の町と森しか知らなかったから、一々驚いちまうよ。俺、王族ってのも知らなかったんだぜ」
振り返ってカグムを見上げると、彼は仕方がないさ、と微苦笑した。
「お前は明日食べることで精一杯だったんだろう? 学ぶ機会が与えられなかったんだから、知らなくて当然だ。恥じることじゃあない」
しかし。おかげでユンジェは町の商人達から、散々な扱いを受けていた。
特に『カエルの塩屋』は思い出しただけでも腹が立つ。ユンジェはカグムに物々交換や、砂糖を取られた話をして愚痴を吐いた。
あの時は本当に悔しかった。
まさか、トーリャから貰った贅沢品の砂糖を偽物呼ばわりされた挙句、巻き上げられてしまうとは。
その後、ティエンが落ち込んだ己を慰めるために髪を切って、桃饅頭を買ってくれたのだけれど。
「カグム。文字の読み書きも、数の足し引きもできない俺って馬鹿なのかな」
正直に答えて欲しい。真剣に聞くと、カグムはおかしそうに噴き出した。
「だったらお前に惑わされていた俺達は、大馬鹿じゃないか。悲しい気持ちにさせるなよ」
「でも、カグムは指を使わずに足し引きができるんだろう? 本とか地図も読めるんだろう? 俺はできないよ。ティエンから教えてもらっているのに」
どうも要領よく覚えられない。特に計算は苦手だ。唸り声を漏らすと、カグムが頭を乱雑に撫でてきた。
「だったら、できるようになるまで、足し引きをやってみたらいい。お前が覚えられないのは、やり方を掴んでいないだけだよ。毎日やってみろ。絶対にできるようになる」
そうなのだろうか。ユンジェは学問の分野に、あまり自信を持てない。
「ティエンさまは言っていたぞ。ユンジェのおかげで、やればできる人間になったって。なら、生きる術を教えたお前もできるさ。なにより、お前は俺達を二度も出し抜いた悪ガキなんだから、馬鹿でいてもらっちゃ困るぜ。俺達の立場がねーだろ」
褒められているのか、貶されているのか、ちっとも分からないのだが。カグムに噛みつくと、彼は大笑いした。その顔は年相応の青年であった。