「麟ノ国第三王子ピンインさま。ずいぶんと、手間を掛けさせましたね。楽しい放浪の旅はもう仕舞いですよ」
馬を引いて待つ、謀反兵カグムの開口一番の言葉はこれであった。ある程度、分かっていたが、やはりと言うべきか、なんというべきか、自分達はすっかり謀反兵に警戒されている。
(ま、二回もカグム達を出し抜いたんだ。仕方がないよな)
ユンジェは背後にいる兵二人を見やり、柳葉刀を突きつけられる現実に軽いため息をついてしまう。農民のユンジェはともかく、王族のティエンにその振る舞いは無礼に当たるのではないだろうか。
(数はカグムやハオを合わせて四人。馬も四頭。織ノ町で撒いた時と同じか)
もう少し、数がいても良さそうなのだが、なにか理由でもあるのだろうか。ティエンの居所が分かった時点で、分散させていた仲間を集めると思っていたのに。
さて。ティエンは不機嫌そうに眉を顰め、腕を組んだまま、一向に口を開こうとしない。
声を掛けてくるカグムを疎ましそうに一瞥して、顔を背けるばかり。まるで拗ねた子どものように、あさっての方角を睨んでいる。
この不機嫌に平然としているのはカグムと、ユンジェくらいなものだ。
他の者は王族の扱いに不慣れなのか、やや気まずそうな顔を作っている。どうも王族の怒りを買うことは平民にとって、しごく恐ろしいらしい。
こんなことで一々彼を恐れていたら、身が持たないと思うのだが。
ティエンの様子に、カグムがしかと釘を刺す。
「王子、三度目はございません。どのようなことをお考えなのか存じませんが、もしまた我々を出し抜こうものなら」
強い衝撃が胸の内から突き上げた。
ユンジェは素早く左の手で懐剣を抜くと、ティエンの体を突き飛ばし、太極刀をそれで受け止める。甲高い音が天に舞い上がった。
「ユンジェ!」
「やっぱり来たな。懐剣」
意味深長に笑うカグムは、ティエンを一瞥する。
次の行動を読んだユンジェは、彼を蹴り押すと、彼に向けられた柳葉刀達を受け流し、それらを真上に弾いた。瞬きする間もなかった。
けれど。カグムの太極刀が標的を変え、敵意そのものがユンジェに向けられる。
その瞬間、ユンジェは我に返り、あっけなく前乗りとなった。その身を受け止められ、左の腕を捻られるや、刃を首に当てられる。ああ、負けたのか、と冷静な自分がいた。
「カグムっ……貴様」
短剣を抜くティエンに、カグムは「これも申し上げましたよね」と、強調する。
「我々の申し出に応じなければ、手荒い真似をすると。ユンジェは私が預かります。これは貴方の護身剣、懐剣はあくまで災いから所有者を護る物。『持ち主』に≪敵意≫や≪殺意≫を向けなければ、なんの力も持たない子どもです」
いとも容易く人質にできる旨を、懇切丁寧に説明するカグムは知っていたのだろうか。ユンジェと懐剣の関係性を。
だったら、お節介な男である。わざわざユンジェの弱点をティエンに教えるのだから。言わなければ、いざという時に利用できただろうに。
(お前、わざとティエンを怒らせてばっかだな。嫌われるようなことばっかり)
ユンジェは脱力し、両の膝を崩す。
刃が首の薄皮を切ったが、それの恐怖よりも眩暈が強い。息が苦しい。吐き気も少々。肩も痛い。背後にいるカグムの、前にいるティエンの、焦った声が遠い。
「ふざけんなカグム、お前はクソガキを死なせたいのかっ!」
横からカグムの体を蹴り飛ばす男がひとり。ハオである。
彼はユンジェの体を受け止めるや、「重傷って意味を知っているか!」と怒鳴り散らし、怪我人をその場に寝かせ、首で脈をはかると、手早く衣の帯を緩め始める。
「少し脅す程度って言っていただろうが。なに、クソガキを激しく動かしてやがる! せっかく助けたガキを、てめぇは殺す気か!」
「あー……悪い。手加減はしたつもりなんだが」
カグムが決まり悪そうに太極刀を鞘に収める。
「手加減だぁ? あれのどこが手加減だ! いいか、こいつは出血で死に掛けていたんだぞ! 弱り切っているんだぞ!」
本当ならひと月は体を休ませて、療養に当てなければいけないところを、七日余りで移動させている。圧倒的に血が足りていないのに、こんな無茶をさせれば、だいの大人だって倒れる。ハオは阿呆だとカグムを罵り、二度とするな、といきり立っていた。
彼はどうも感情的になりやすい男のようだ。ユンジェが初めて会った時も、ハオはとても怒っていた。
頭に血がのぼると、ユンジェに駆け寄って来たティエンにすら、「動かすな」と大声を出す。完全に王族という肩書を忘れているようだ。
「お前ら、揃いも揃って怪我人をなんだと思ってやがる。くそっ、癪だがこいつを診たのは俺だ。完治するまでは俺の指示に従ってもらうぞ。クソガキ、お前もお前だ。なに激しく動いてやがる。今のお前は走る行為も危ないっつーのに」
「……そうさせたのは、カグムなんだけど」
「喧しいっ! お前はもう動くな。今日は立つことも禁止だ」
なんで自分まで怒られているのだろうか。ユンジェは吐き気と堪えながら、理不尽だと嘆きたくなった。