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「やっぱり行ってしまうのかい? ユンジェ、ティエン」
出発の朝、ユンジェとティエンはジセン達に見送られる。
不安げに尋ねてくるジセンを筆頭に、幼子を抱くトーリャや、涙ぐむリオがもっと休んで行けば良いと言ってくれた。
嬉しい申し出だが、これ以上、彼等に迷惑は掛けられない。
向こうには見張りとも言える、天士ホウレイの兵が待ち構えている。二人がここにいる限り、カグム達は動かないだろう。仕事の邪魔になってしまう。
また二人はお尋ね者だ。そして謀反兵のカグム達も追われる身だ。王族の兵に見つかれば、この土地共々ジセン達の大切な桑畑が荒らされてしまう。一刻も早く出発した方が良い。
「すごくお世話になっちまったなぁ。リオ、トーリャ、ジセン、本当にありがとう。この恩は忘れないよ」
「何を言うんだい。僕達こそ君達に救われたよ。二人がいなかったら、僕は嫁も家も失っていた。ユンジェ、あの時は本当にありがとう。僕は君のおかげで命拾いをしたよ」
ジセンは手を差し出し、ユンジェと握手を交わすと、ティエンにもそれを求めた。
「ティエン、君は災いを運ぶと言ったけれど、僕はそうは思わなかったよ。寧ろ、あの夜の君を通じて僕は、麒麟を見た気がする。もしかして君は麒麟なのかもね」
目を丸く彼に、「なんてね」とジセンは肩を竦めた。
「どうか、また遊びに来ておくれ。君もユンジェも大切な友人だ」
「呪われた王子に、そんなことを言ってくれる奇特な方は、国を探してもジセンくらいなものですよ」
彼と入れ替わり、トーリャが交互に額を重ねてくる。
「どこに行っても仲良くするんだよ。ユンジェ、しっかり者のあんたなら大丈夫さ。ティエン、ちゃんと食べて太くなるんだよ」
そしてリオは天士ホウレイの下へ連れて行かれる二人を、きつく抱擁した。
「死んじゃ駄目だからね。ユンジェも、ティエンさんも、私のご飯をまた食べに来て。温かいご飯をみんなで囲んで、楽しいお話をしましょう。お酒だって飲みましょう。待っているからね、ここを訪ねてくる二人を、ずっと、ずっと!」
追われる二人にも、生きて再会を待つ者がいる。リオはそれを何度も教えてくれた。泣きながら教えてくれた。
ユンジェは困ってしまう。最後くらい笑顔で見送ってほしい、と思うのは、些か贅沢だろうか。
「リオ、頑張れよ。ジセンさんとしっかりな。一人にしてやんなよ」
「ユンジェもね。ティエンさん、私より弱そうだから、ちゃんと守ってあげてね」
大笑いするユンジェの隣で、ティエンが複雑な顔を作った。十五の娘にまで、自分より弱いと言われるとは思わなかったようだ。
しかし、比較してみると、確かにリオの方が強そうである。ティエンが、まこと強い男になる道のりは険しそうだ。
「あとね。これ、生桑の実。保存が利かないから、今日明日中に食べて」
布袋に入った桑の実を受け取り、二人はみなに深々と頭を下げた。
別れの言葉を交わす、その中に三人の多大な心配が伝わってくる。これはただの出発ではない。天士ホウレイの兵達に連行される出発だ。
これからの旅路を三人は、いつまでも心配してくれる。
ユンジェとティエンとて、不安がないわけではない。カグム達の目を盗んで、また逃げ出すことができるのか、頭を抱える日々が続くだろう。
だが、見送ってくれる三人には笑顔で大丈夫だと言いたかった。彼らに大きく手を振り、自分達を待つ謀反兵の下へ向かう。
「ティエン。俺達、しばらくはカグム達の言いなりだな。どうするよ」
「言いなりになんてなるものか。お前とよく考えて、逆らう道を探すさ」
「偉そうに、よく言うぜ。俺を置いて行こうかなぁ、なんて考えたくせにさ」
「そんなクダラナイ話はもう忘れた。まあ、話はユンジェの傷が癒えてからだな。それまでは、向こうの様子見だ。必ず隙を見つけてやる」
ティエンは逃げ出す気満々のようだ。
さっそくリオから貰った桑の実を、ひとつ抓み、あくどい顔を作っている。体はともかく、心は確実に強くなっている気がした。良い意味でも悪い意味でも。
「ユンジェっ!」
足を止めて振り返ると、長い髪を靡かせたリオがユンジェに駆け寄り、勢いよく飛びついてくる。反射的に受け止めたことで肩が悲鳴を上げた、面には出さなかった。
一体全体どうしたのだ。
彼女の行動に戸惑っていると、リオが泣きながら、笑いながら、告げてくる。
「ユンジェ。私は幸せになったわ。仕事だって挫けずに続けているわ。ジセンさんの傍で、いつも笑っているわ。貴方の言葉通りになったの。私は今、とても幸せよ」
それはリオが嫁ぐと知った時に贈った、激励の返事であった。気付くのに少々遅れてしまったユンジェだが、幸せを繰り返されることで、返事だと察する。
「だからっ!」
感情をこらえ、リオはしゃくり上げる。
「今度はユンジェの番。必ず幸せになって。何が遭っても挫けないで。貴方は笑っている顔が一番素敵よ」
リオのくしゃくしゃな笑顔が、頬を伝った涙が、胸に突き刺さる。
でも、あの時のようにつらい気持ちにはならない。少々しょっぱかったが、喉の奥もひりついたが、とても温かな気持ちになった。この気持ちにつける名前を、ユンジェは知らない。
ユンジェは必死に言葉を探す。
王族が使う立派な言葉も、気の利いた言葉も、知らない自分だけど、素直な気持ちなら伝えられる。
「いつかまたリオに会いに来たら、その時、今の言葉に返事をするよ。お前が俺に返事をくれたように、俺もお前に返事をする。それまで待っててくれな」
「絶対よ。私、おばあちゃんになっても待っているから」
これで最後になる抱擁を交わし、ユンジェはリオに笑顔と想いを残して、ティエンと去って行く。
彼女は最後まで二人を見送り、大きく手を振ってくれた。いつまでも手を振ってくれた。
ああ、彼女は確かに、ユンジェの想い人であった。甘さも酸っぱさも苦さも、そして――いとしい気持ちも、余すところなく教えてくれた、初恋の人であった。