「私だったら、いきなり消えることなんてないよ。……長い付き合いに、なりそうだね」
 爆弾のような発言を残し、雪さんは怪しげに微笑んで去っていったが、最後の最後まで返す言葉なんてひとつもなかった。全く足が動かなかった。……真っ白で、真っ闇で、何もない。何もないんだ。俺には何も、残せるものなんかない。
 そのとき、まるでフラッシュバックしたかのように昔のことがよみがえってきた。そこは大人たちに囲まれた和室。物心ついたときから、自分の親を見たことがなかった。なんでいなくなったのかも知らない。生きているのかどうかさえも分からない。毎日毎日俺の引き取り先の話は行われた。本当の親は一体誰……? 一体どこ……? 大人たちは金の話ばかりで、誰一人信じられなかった。あいつらの言葉は全部疑っていた。
 そうだ、あのときからだ。人の心が読めるようになったのは。その途端、すっと体の芯が抜け切ったような感覚に陥った。俺は、そのまま崩れたようにその場にうずくまった。なんで、今頃こんなことが分かったんだろう。今更、分かったって、もう意味はないのに。誰か、誰かそばにいて。もうなんでもいいから。一分でもいいから。一瞬でもいいから。この手を取って握って。
「日向君っ、どうしたの」
 そのとき、今一番聞きたい声が木霊(こだま)した。心臓が、止まったかと思ったんだ。本当に。
 なんども目を凝らしてみたが、でも、そこにいたのは間違いなく中野だった。
「顔色悪いよ、すごく」
 夢かもしれない。夢でもいい。心臓が、体が、やっと呼吸の仕方を思い出し始めたとき、涙が、溢れそうになった。
 中野は、慌てたように俺に近づいてしゃがみ、しきりに熱を確かめている。
「……やっぱり、さっきの日向君の様子がおかしかったから、会いに来たんだけど、来てよかったっ……」
 本当によかった、と、そう心の底から安心したように言う中野を見たら、声にならない気持ちが込み上げてきた。体中が、ぎゅっと、苦しくなった。声にならないよ、こんな気持ちは。
「ねぇ、日向君……」
 中野の弱々しい声が、冷たい路地裏に響く。俺は無言でそれを聞いていた。
「私、なんか日向君に嫌われるようなこと、しちゃったかな……?」