「サエ、部活行こっ」
 新しい筆を持ったまま梓が私を呼んだ。今日はいつにも増して寒くて、こんな薄っぺらいセーターなんかじゃ、防寒性が足りない。寒さに耐え切れずに思わず自分の両腕をさすると、梓が心配したように私の顔を覗き込んだ。
「サエ、大丈夫? 元気ないよ」
「大丈夫、ちょっと寒くて」
 引きつってたの分かっちゃったかな。梓は「相談ならいつでものるよ」と頭を撫でてくれたが、私は、「大丈夫」としか言えなかった。昨日の事件が起こった後から、やっぱり日向君とは話しづらい。今朝は、あからさまに避けてしまった。それから、日向君もとくに話しかけようとすることはなくて、今の放課後まで結局、目も合わせずに終わってしまった。普通にしよう、そう強く思うほど意識してしまう。……近づくのが怖い、とそう思ってしまうんだ。そして、昨日のあの女性は一体なんだったのか――……。
「おい、そこのバカ二人、とっくに部活始まってんぞっ」
「あ、朝倉先生……」
 後ろには、灰色のスーツに身を包んだ朝倉先生がいた。先生は今日も教育者らしくない香水の匂いを漂わせていて、腕には派手な時計をしている。夜にネオン街を歩いていたら、ホストと見間違われてしまうんじゃないかと思えるような風貌だ。本気でそんな疑惑さえ浮かんでくる容姿だそんな教師を目の前に私たちは身を寄せ合った。今日は明らかに機嫌が悪い日だ。梓もそれを察知したのか、慌てたように口を開いた。
「すみません……日直で遅れてしまったもんで……」
「言い訳してる暇があったらさっさと部室行け」
 とっさのフォローも無駄に終わり、梓は早く行こうと私の腕を引っ張った。けれど、それは先生によってさえぎられた。
「中野、お前には話がある」
 先生に腕をつかまれたまま、私はあんぐりと口を開けたまま固まった。梓もかなり動揺していたが、個別に怒られるようなことをした覚えは全くない。
「渡辺(わたなべ)はとっとと部活行け」
「え、あ、はい…」
 梓は首を傾げながらパタパタと足早に部室へ向かい、消えていった。残ったのは私と先生、二人だけで、誰もいない静かな廊下には、気まずい空気だけ流れていた。私だけ説教って、一体どういうことだろう。
「県展の話ですか」