階段には二つのグラスを持ち、驚いている中野がいた。二人して大口を開けたまま見つめ合っている光景は、とても間抜けだっただろう。
「二人とも、知り合いだったの?」
 店長の問いかけに、中野はクラスメイトなの、と目を丸くしたまま答えた。本当に奇遇だ。俺はまだこの状況が理解できずにぼうっとしていたけれど、なんとか頭の回転を速くして状況を懸命にのみ込んだ。中野はゆっくりと階段を下りてきて、俺の方に近づいてきた。でも、これでようやく店長に似ている人が誰だか分かった。中野だったんだ。そうだと分かってからは、ますます中野が店長にそっくりに見えてきて、なんだか変な感じがした。
「ひ、日向君、どうしてこんなところに……?」
「グラス、買いに来たんだ。実はいつもここで買ってて……」
「え、そうなんだ! ありがとう」
 それより中野の私服なんて初めて見たから、いつもと何かが違って目を合わせづらい。そもそもクラスメイトと休日に出会ったことがないから、むず痒(がゆ)くて堪らなくて、俺はとっさに口元まで巻いていたマフラーに顔を埋めてなんとか平静を装い聞いた。
「ここって、中野の家なの?」
「ううん、私の家はもう少し遠くに別にあるんだ。ここは休日とかたまに顔出すくらいで」
 中野もいつもよりやはり話しづらいのか、それともおばあちゃんの前で話すことが照れ臭いのか、目を合わさずに早口でそう答えた。隣では、そんな俺たちを楽しそうに見つめている店長がいる。
「サエ、よかったね。こんな男前の友達ができて。サエにはもったいないわ。サエより色気あるんじゃない、日向君」
「じ、実の孫に向かって辛口過ぎない?」
 その光景を微笑ましく思っていたとき、さっきの店長の言葉をふと思い出した。一番下の子がとくにおじいちゃん子だったから、と店長は言っていた。
「……中野、下にきょうだいとかいる?」
 突然の質問に中野は一瞬戸惑った様子だったけれど、上にお姉ちゃんがいるだけだよ、と答えた。じゃあ中野が一番泣いた下の子、だったのか。頭の中に、中野が泣いている映像がじわりと浮かんできた。中野は、おじいちゃんの形見そのもののこの店にいるとき、どんな気持ちなんだろう。懐かしいのか、切ないのか、でもきっと、このお店が大切なことには変わりない。
「恵(え)美(み)さん、ちょっといいかしらー?」
 そのとき、向こうの方から声が聞こえてきた。どうやらお客さんがやってきたらしい。
「あ、どうもどうもいらっしゃいませー」
 店長はそう言いながら、その声のする方へと向かう。途中で振り返って、俺たちに軽く会釈をしている店長に、俺も頭を下げた。
 そのときだった、感情が俺の中に入ってきたのは。悲しい、悲しい、悲しい、寂しい。心臓の裏を逆撫でされるような奇妙な感覚に、思わず眩(め)暈(まい)がした。おかしい。オフにしているときは、よっぽどのことがない限り感情は聞こえてこないのに。……その感情の持ち主は、言うまでもなく俺の一番近くにいる中野だった。
「中野……? 大丈夫? ちょっと顔色悪いけど……」
 俺は感情を読んでいることを悟られないように話しかけた。