「そういやさ、今日、部活の後輩の女子が、お前んこと“カッコイイ!”って言ってたよ」
「ふーん」
「ふーんって、何も思わないわけ?」
 滝本君は「腹立つなあ」と言って日向君の背中をバシッと叩いた。すると、日向君もすぐさま滝本君の背中を同じくらいの強さで叩き返していた。その光景を微笑ましく思って見守っていたら、日向君はそれに気づいたのか、仲よくないから、と強めに否定してきた。それがおかしくて、私はぷっと噴き出してしまった。普段慌てたりしない人だからこういう日向君はかなり貴重だ。
 すると、滝本君は日向君の制服のすそを引っ張って目を潤ませ始めた。
「ひ、日向君ひどい……好きだったのに……っ」
「なんの真似?」
「過去に日向に告(こく)った女子の真似」
「やめろ、そういうのネタにすんな」
 日向君は滝本君の腕をひねり上げて黒いオーラを飛ばしていた。それを見て私が苦笑していたところで、日向君は滝本君の腕をようやく離した。滝本君はしきりに腕を押さえながら日向君を恨めしそうに睨んでいる。
「なんだよー、人がせっかく甘ずっぱい青春の話を再現してあげたのに」
 口を尖せて分かりやすく拗ねていた滝本君だけれど、しゃべりながら途中で何かを思い出したのか、急に上を向いた。
「あ、でも結局日向が“軽い気持ちにしか思えない”って言ってふったから、甘くもなんともないか」
「なんでそんなことまで知ってるの」
「えー。ふられた女子から聞いた」
 日向君は怒るというよりびっくりした表情をしている。同じく私もかなりびっくりした。それと同時にその告白した女の子に同情してしまった。軽い気持ちにしか思えない、なんて、そんなこをと言われたらどんな気持ちになるんだろう。もしかしたらそのとき、彼女の気持ちを読み取って、それを知ったうえで発言したのかもしれないけれど、どれほど好きと思えば、軽い気持ちではないと判断してくれるんだろう。そういう気持ちは、簡単に測れるものじゃないから、難しい。
「なあ。なんでふっちゃったの? かわいかったのにあの子」
「……別に。好きって言われてもなんとも思わなかったから」
 その瞬間、ひとつの疑問が頭の中に浮上した。日向君は他人のことをどう思っているんだろう。好きって言われ慣れているわけじゃないみたいだけれど、そういうことに関してはどこか冷めている気がする。そりゃ、ああいう所でバイトしているからってのもあるかもしれないけれど。
 あ、そういえば、今朝のあの男女はやっぱり日向君だったのかな。なんだか怖くて聞けないや。もしそうだとしたら、それは私の知らない日向君の一面だ。学校で会うとき以外の日向君はなんだか別の人みたいで、ちょっと近寄りがたいんだ。透視能力があるから、迂(う)闊(かつ)に人に近づけないと思っているんだろうか。もしかしたら、言葉だけでは信じられなくなっているのかな。だったら、悲しい。それはすごく寂しいことだ。私が今まで日向君にかけた言葉は、ちゃんとなんの疑いもなしに受け止められているのだろうか。
「……中野? どうしたの?」
「あ……なんでもないっ」
 日向君の心配したような問いかけに、慌てて首を横に振ったその瞬間、教室に朝倉先生が入ってきた。よく通る低い声に反応して、ざわざわと騒がしかった教室が少しずつ静かになっていく。
「おーいみんな、静かにしろよー。話聞いてくれないと泣いちゃうからー」
「やだー。聞くから泣かないでー。時雨先生ー」
 朝倉先生の軽い冗談も、女子の笑い声も耳に入ってこなかった。私は委員会中ずっと上の空だった。
 もやもやとした、はっきりしない感情が私の中の何かを不安にさせていく。日向君は本当につかめない人だから、手に入れようとすればするほど、遠くに行ってしまう気がする。この人を手に入れたくて仕方ないっていう人が、きっと何人もいるんだろう。
 そこにある感情は、恋愛でも友情でも多分同じで、心までこっちに向けられないような気がして不安になってしまう。彼は、他人をそういう気持ちにさせる人なんだ。その気持ちに共感できる私は、その“手に入れたがっている人”のうちに入るのだろうか。私は日向君を手に入れたいと思っている、ということなのだろうか。分からない、でも、日向君のもっと深いところまで知ってみたい、近づきたいって、思うんだ。そしてそれが、クラスの中で私一人だけだったらいいのにって、欲深くも願ってしまうんだ。