「んーなんかね、サエが今朝抱き合っている男女を見たとか言ってて……」
「いやいやいや、見てないよ! 勘違いだった!」
 慌ててりさの口を両手でふさいだけれど、もう既に時遅しであった。よく考えれば、今朝見たのは日向君だったのかもしれない。だってあの道は日向君が働いている店と近いし、何よりあの無造作な髪は日向君そっくりだ。そして極めつけは、パリッとした黒いシャツだ。思い返してみると、今朝見た男の人と一致する部分が何点も見つかった。気まずい気持ちで日向君を見上げると、彼は私の心を読んだのか、何か納得したように苦笑していた。
「中野。そろそろ手、離してあげないと、長(なが)井(い)、死にそうだよ」
「はっ、ごめんね、りさ」
 私はすっかり、りさの口をふさいだままだったことを忘れていた。りさは顔を青くしてせき込んでいる。日向君が教えてくれなきゃ大変なことになっていた。なんども私が謝っている間にチャイムが鳴り、梓が早く教室を移動するよう急かす。相変わらずこういうところだけは真面目な人だ。視線を斜め前に移動させたら、もうそこに日向君はいなかった。

「委員会とかだるいー。サエは緑化でいいな。楽じゃん」
「うらやましかろう」
「私なんか放送委員だよ。笑えるー」
 りさは口を尖らせながら、これでもかというくらいアクセサリーのついた筆箱をブンブン振り回している。長い授業も終わり、やっと部活かと思えばその前に委員会って。梓はしょうがないなぁと言いながら、とっとと委員会に行ってしまった。
 廊下では、相も変わらずバカみたいに、男子たちがふざけあっている。りさは感慨深げに廊下でじゃれている男子たちを見てからため息をついた。
「なんかさー、こいつらが日向と同い年かと思うと悲しくなるよねー」
「まあ、日向が大人過ぎているのかもしれないけど。っていうか日向ってカケルと仲いいよね。意外ー」
 日向君はほとんど単独行動をしているが、たまに彼の元に無駄話をしに来る生徒がいる。それがカケル君だ。いっつもギャーギャー騒いでるムードメーカー的存在のカケルこと滝(たき)本(もと)君は、違うクラスのくせしてなぜか日向君を構いに来るのだ。
「委員会終ったら、私たち置いて直(チョク)で部活行っちゃっていいから」
 私は了解、と言って頷いた後、りさと別れ、委員会の場所に向かった。
「あ、中野ちゃん一緒なんだ」