▼ノイズ──日向佳澄

学校の帰り道の近くにこんなに治安の悪そうな路地があっていいのかと思うと疑問だ。俺はいつも通り、周りに同じ高校の奴がいないか注意を払いながらバイト先に向かう。
 こういうときだけ、集中して耳を傾けていればいい。便利なのか不便なのかよく分からない能力だ。人込みを掻き分けて聞こえてくるのは、耳をふさぎたくなるほど汚い感情だ。貼りつけた笑顔の裏に潜むのは、決して口には出せない汚い本音ばかり。俺は奥歯を噛み締めて、その汚い心の声に耐えた。
 そのとき、突然聞き覚えのある声がダイレクトに胸の中に届いた。その声に振り返った瞬間、シャツのすそを引っ張られる。
「や、やっと追いついた……」
 目の前には少し息を切らした様子の中野がいて、俺は、思わず目を見開き驚いた。
「イヤホン、忘れてったよ」
「あ、ほんとだ」
 さっき内ポケットの飴を探すときに取り出して、机に置きっぱなしにしてしまったんだろう。わざわざ届けに走ってきてくれたなんて、どれだけいい人なんだ、中野は。こういう人に限って心の中に爆弾抱えてるんじゃないかって、いつもの俺なら疑ってしまうのだけれど、中野の乱れた髪を見たら、そんな気持ちもわいてこなくなった。
 しかし今、問題はそこではない。こんなに治安の悪い場所に女子高生が来たら、危険極まりない。ここは元繁華街だった場所で、今はまともな飲食店はつぶれ、ヤクザが経営しているようなお酒の店や風俗店が多く残っている。辺りを見回すとまともじゃない顔つきの人が多く、女子高生は一人もいない。夕方だからまだマシなものの、もし夜だったら笑い事じゃ済まされない。
「中野。早く帰れよ。こっちの道は安全だから」
 自分でも冷たい言い方だと思うが、同級生の女子に対して心配しているという気持ちを、どんな風に表したらいいのか分からない。
 そうこうしていると、ガラの悪い二人がこっちを指差して何かコソコソ話していた。……もちろん、全部読めた。俺はなるべくそいつらから中野が見えないように隠して、小さく舌打ちをした。それから、中野の背中にそっと手を添えてから、ふっと空気ごと送り出すように力を入れた。
「走って」
 俺の突然の行動に中野は驚きの声を上げていたが、俺は構わず中野の腕をつかみ走った。
 飛び込んだのは、決して安全な店とは言えない、俺のバイト先だ。それでも、外にいるよりは遥かに安全だった。