遅刻ギリギリの時間だったから、校門には誰もいなかった。学校は、意外と苦じゃない。みんな考えていることがバラバラだから雑音としてしか聞きとれないし、音楽を聴いていればより気が紛れる。
好きでもない適当な音楽をかけながら教室に入ると、中野が俺に気づいたのかブンブン手を振っていた。避けられるか怯えられるかを想像していたので、俺は不覚にも拍子抜けしてしまった。
「日向君、これあげる!」
中野が何かをえいっと投げてきたので慌ててキャッチすると、それは墨で机を汚してしまったお詫びに、ともらったのと同じチョコだった。
「それ美味(おい)しいって、昨日言ってたから。盗撮のとき、助けてくれたお礼!」
中野の屈託のない笑顔を見て、心の中を覗いてもし物騒なことを企んでいたら、記憶を消せばいいと思っていた自分を心底恨んだ。今日は中野の反応を半分怖いもの見たさで学校に来た、なんて知ったら、彼女は俺をどう思うのだろうか。俺は、ほんの少しだけ自分の黒い部分を反省して、自分のバッグの中に手を突っ込んだ。バイト先でタバコを吸う人が多くて最近は喉を痛めてばかりだったので、ちょうどあれが内ポケットに入ったままのはずだ。
「これ、お返し」
「わ、レモン飴(あめ)! ありがとう」
中野に向かって同じようにえいっと投げると、彼女はギリギリ両手と胸でそれをキャッチした。あまりにキャッチが下手過ぎて少し笑いそうになったが、俺はひらっと手を振って教室から出た。一限は選択科目なので、この教室ではないのだ。一歩足を踏み出したとき、閉めたはずのドアの向こう側からクラスメイトの声が聞こえてきた。
いや、聞こえてきたというより、頭の中に流れ込んできた。

“なんで、あの日向と話してんの”
“日向君って、会話してくれるんだ”
 目立たないように地味に過ごしてきた俺が、急にムードメーカーの中野と話してたらそりゃそうなるよな。しまったな、と思いながら俺は長い廊下を歩いた。