お父さんとお母さんとは、きのう、帰ってきて髪を黒く染めてから、3人でごはんを食べた。お母さんがしょうゆニンニクのからあげをつくってくれていて、すごくおいしかった。
話したのは過去についてではなく、未来についてでもなく、いまのことだ。おにいの彼女の話。きょうの決勝戦の話。そう、なんでもない、他愛のないことばかり。
だけどそれが必要だったと思う。いまを知らないのに未来の話はできない。過去のことを話したってなんにもならない。わたしたちが生きられるのは、いま、この刹那だけなんだ。
完全燃焼じゃないと嫌だ。高校生、燃え尽きて終わりたいって思う。そのことだけはきっぱり伝えた。
ふたりはわかったようなわからないような顔で笑っていた。ただひとつだけ、後悔だけはするなと言って。4年前、おにいにも、同じことを言ったのかもしれない。
「うわっ、ゴンタが光乃のことナンパしてる」
地元紙の記者から取材を受けていた雪美ともみじが通りがかって、冷やかすように言った。
ゴンちゃんにはいろんな愛称がある。愛称の数だけ、ウチらからの愛がある。ゴンちゃんは本当に人気者の先生だ。
「うるせえ。とっとと行きやがれ、ガキども」
「あ。そういうクチきいたらダメだってまた怒られるよ」
もみじが勝ち誇ったように笑った。またって、前にも誰かに怒られたことがあるのかな。
「光乃、行くよ」
肩を叩かれた拍子に足が前に出た。そのまま人混みをかきわけて進む。ぐんぐん進む。
やがて、やわらかそうな黒と、その上をまっすぐ走る白、みずみずしい緑が視界いっぱいに拓けた。
どうして涙が出そうになるんだろう? まだ始まってすらいないのに。
心がふるえて、ふるえが全身に伝わって、熱がこみ上げて、どうしようもなくなってしまう。
同時にウチのノックのアナウンスが流れた。グラウンドに飛びだしてきた選手たちを見ていたら、彼らはきょうのために生まれてきたのかもしれないと思った。
この景色のなかを思う存分走るために、野球と出会ったのかもしれないと思った。