やはり忍び足で部屋に侵入した。おにいは本当にぐーすか寝ていてびっくりしたし、せまいワンルームにはあまり物がなくて意外だった。実家のおにいの部屋、すごくゴチャゴチャしてるから。
「あー……おはよう」
物色しているところにとつぜん背後から低い声がして、ビクッと肩が跳ねる。振り向くと、ボウズ頭とはすっかり無縁の伸びた髪をガシガシと掻きながら、兄が大あくびをしているところだった。
「オハヨウ」
わたしは小さな声で答えた。とたん、半分も開いていなかったねぼけまなこがいきなりぱちっと開いた。
寝起きのおにいは険しい顔で妹の名前をつぶやいたり彼女の名前をつぶやいたりした。なかなか現実を飲みこめてないみたい。そりゃそうか。彼女に挨拶をしたはずなのに、遠く住んでいるはずの妹が返事をしたんだもん。
「玄関でミユさんに会ったよ。バイトだって」
「ああ……そうか、中番って言ってたな」
ひとり言みたいにこぼしつつ、ベッドから抜け出したおにいはまっすぐ冷蔵庫に向かい、3分の1も入っていない2リットルのミネラルウォーターをラッパ飲みした。
「いっしょに住んでるの?」
「住んでないよ。泊まりに来てた」
「ふうん……。もう、若葉(ワカバ)ちゃんじゃないんだね」
おにいが盛大に噎せる。
「それ、高校のころつきあってたコじゃん。卒業してすぐ別れたよ。いつの話してんだよ?」
だって、おにいの彼女って若葉ちゃんまでしか知らないし。笑顔のやわらかい、おっとりした人だったな。おにいのこと大好きだったの。なんで別れちゃったんだろ。
「ミユさんとはどれくらいつきあってるの?」
「2年ちょい」
「……長いね」
「ふつうだよ」
寝起きの大学生はあきれたように笑い、バスルームへ消えていった。洗顔と歯みがきとヒゲ剃りを済ませ、スッキリとした表情になったおにいは、やっぱり昔よりずっと垢ぬけて見えた。