和穂がいるであろう女子更衣室に行くのにも、行かないのにも、勇気がいった。
行かないほうを選択したのは、なにを言えばいいのかわからなかったから。ゴメンとかアリガトウとか、簡単な一言で片付けたらいけない気がした。
もっともっと伝えなくちゃいけないことが、伝えたいことが、あるはずだ。
けっきょくしっかり掃除させられたせいで中途半端な時間になってしまい、ほとんど誰もいない通学路をひとりぼっちで歩いた。
涙の痕で顔がパリパリする。夕日の赤が妙にしみる。
伝えたいこと。伝えたい人。ていねいに頭に浮かべながら歩いた。ゆっくりゆっくり歩いた。
幼い声に呼び止められたのは、ちょうどお父さんとお母さんの顔を思い浮かべたときだった。
「おねえちゃんっ、ウサギさんっ、落としたよ!」
誰もいないと思って気を抜いていたからけっこうびびった。
振り向くと、天使みたいな笑顔を浮かべた女の子がわたしを見上げていた。体が小さいせいで、赤いランドセルがでっかく見えて、重たそうだな。小学校低学年くらいかな。
「おねえちゃんのでしょう?」
わたしの半分ほどしかない腕がこっちに伸びてくる。ふっくらした指先に握られていたのは、ピンクと白とレースとギンガムチェックのウサギだった。
はじめてバッティングセンターで会った夜、朔也くんがくれたもの。勝手にお守りにしていたストラップ。
「うん……お姉ちゃんのだ。ありがとう」
「どういたしましてっ」
ひざまずいて受け取ると、女の子がニコーっと笑った。あんまりかわいくて、黄色い安全帽子がずり落ちそうな小さい頭をそっと撫でた。
「かわいいウサギさんだねっ」
そう、とってもかわいいから似合わなくて、恥ずかしいんだけど。
「すごく大事なものなんだ。お守りなの」
「おまもり……」
考えるようにウサギを見つめた女の子が、とつぜんぱっと顔を上げた。