ただ、私にとって葵が大切で特別な存在だということは確かで、でも過去には妬んだこともあったわで、ひと言ではとてもじゃないけれど説明できない。
ただひとつ言えることは、葵がいなくなってから、私の毎日はどこかにぽっかり穴が開いてしまったということ。
その穴を塞げる人は、もちろん葵しかいない。他の誰かじゃ埋められない。
これって好きってことなのかな。でも、そんな安っぽい言葉じゃ足りないし、言いたいことはもっと深いところにあって。

「分からない……でも葵に対する気持ちは、あんまり誰かに言いたくない、って思うけん。上手く言葉にできんけど……」
そう呟くと、裕子は一瞬目を見開いて、それって本物じゃん、とよく分からない感想を述べた。
それから、おもむろに辻堂までの定期券を取り出して、私に強引に渡した。

「使いな、これ。私今月から寮生活になったし、もう頻繁には使わないから」
「え、でも待ってそんな……」
「そんなに大切な人なら、毎日辻堂通って、片っ端から探してみなよ」

裕子があまりにあっけらかんと言うものだから、辻堂に毎日通ってあるかも分からないピアノ教室を探すことが、凄く簡単なことのように思えてきた。
安いレンタル自転車のお店紹介してあげるよ、と裕子がさらさらとそのお店の名前をメモに書いて渡してくれた。
「大丈夫、生きていればいつか会えるよ」
そう言って、裕子は笑った。
そうか、生きてさえいれば、いつか会える。
不思議と力が湧いてきて、私は早速その日の放課後、辻堂に行くことを決めた。



大学の最寄り駅から一時間電車に揺られて、辻堂に着いた。
駅から出ると、海はまだ見えないのに、どことなく青の気配を感じた。
私は、裕子に教えてもらった自転車屋さんで自転車を借りて、辻堂をひたすら捜索する旅に出た。

……見つかる可能性はかなり低い。辻堂にいないかもしれない。
私はどうしてこんなに途方もないことをしてまで、彼に会いたいんだろう。
潮の風を感じながら、私はゆっくりと葵との思い出を辿った。


「……耳鳴りが止まない」
そんな風に訴える回数が、徐々に増えていった小学六年生の春。
葵は、下駄箱の前で立ち止まり両耳を押さえて、そう言った。桜が舞い散る、誰もいない放課後のことだった。
私はすのこの上に立って、外履きの靴をコンクリートに乱雑に置いて、裏返った靴を手で直している最中だった。