この小さな小さな町でも、皆何かしら苦しみを抱えて、生きている。
ミノル先輩も、遠藤ちゃんも、日吉も、ばあちゃんも、私も、葵も。
そんなことを思うと、途方もない気持ちになってきて、何も言葉が出なくなってしまった。

そんな私に、葵は今まで内に秘めていた感情を、ぽつぽつと、まるで小雨が降りだすかのような静かさで語り始めた。
「さっきのミノル先輩は、まるで自分そのものだった」
手話と一緒に思いを声にする葵の指は、尋常じゃないほど震えていた。
葵は、ミノル先輩のあの姿に自分を投影して、怖くなって逃げだしたのだろうか。
それともずっときつく閉じていた扉を、ミノル先輩によって無理やり開けられてしまったのだろうか。

「……俺はもう、天才じゃない。特別なんかじゃない。なんの個性も特徴もない。平凡で、退屈で、虚無だけが広がっている。最初から普通でいられたら、周りにこんなに落胆されることはなかった」
そうか、葵は、最初から普通でいたかったのだ。
初めてカノンを弾いて聞かせてくれた時、あなたはとても楽しそうにのびのび弾いていた。
あんな風にピアノを弾くことが、葵にとっての願いだったのかもしれない。
「勝手に期待されて、勝手に落胆されて、望んでもいないのに未来が見えるようになった。俺は特別なことなんか何ひとつ望んでいないのに……」
そこで葵は一度言葉に詰まって、それから苦しそうに最後に問いかけたのだ。それはもう、今にも擦り切れてしまいそうな声で。

「こんなに無駄な能力を与えるくらいならっ、神様はどうして俺にピアノを残してくれなかったの……？」

私は、横断歩道を渡って葵の元に駆け寄った。それから、きつくきつく葵を抱きしめた。
葵の冷え切ったコート越しじゃ、葵の体温は全く伝わってこなくて、それでも彼を温めてあげたくて、必死に腕を回した。

普通でいたかった葵と、特別になりたかった私。
なにが特別で何が普通なのか、それは誰が決めるのか。
今まで自分を締め付けていたものは、一体何？
もしかして、とてつもなくくだらないものだったのかもしれない。

「葵が私の絵を好きって言ってくれたから、私はまだ絵を描いていられるけんっ……葵がいたから」
どんな風に伝えたら、葵の心に優しく触れることができるだろう。